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【#4】2022年7~8月 転機のときの荒波は世の摂理?

モヤモヤから次第に自分の方向性が定まった6月。
会社退職は決めたものの、上司に伝えるなど現実的な動きはまだだった7月初めに、一気に現実が加速化しました。

洗礼?

夫が台湾に飛んだ6月24日から、
母子3人での生活が始まりました。
そしてその3日後、早くも日常に荒波が。

3歳息子が発熱し、保育園をお休みしたのが6月27日から7月1日の1週間。
7月4日、次第に歯車がかみ合わなくなっていた本業で、大事な仕事を外されるという緩い死亡宣告をされたその日に、喉の痛みと全身のだるさが始まり、
翌日に発熱で倒れ、7月6日、私が新型コロナの陽性判定

さらに、私が陽性判定を受けた日に、
5歳娘は「ひじ」が外れる「肘内障(ちゅうないしょう)」になって保育園から帰ってきました・・・

これが大変!

夕方通学バスから降りると「腕が痛い」「腕が上げられない」と言う5歳娘。
これはなんだろう?どうしたものか、、、
でも私は発熱中で陽性、病院に連れて行けないし、このまま治るのでは、、、という微かな望みにかけてその日はなんとか寝たものの、
明け方に娘は痛くて大泣き

24時間対応の#8000(子ども医療電話相談)に電話すると、「肘内障」だから病院で直してもらう必要があると言われます。

その間もずっと泣き続ける娘。
整形外科を探して電話をかけ続けても、「子どもは見られない」、「自宅隔離中の人は診察できない」、と断られることが続き。

病院を探すのと同時に、私の代わりに娘を連れて受診してくれる人がいるか、解決策を見つける必要があります。
(私の両親は遠方で、さらに持病があるため不可能。もちろん義実家は台湾。)

感染の危険を冒してもらうことになるこんな依頼、一体誰に頼めばいいのか、、、
悩みに悩み、
古くからの友人に無理を承知の上で相談してみたところ、
1時間以上かけて来てくれると、快く引き受けてくれたのです。

さらに、肘内障も治療できる医師を近所の小児科にネットで発見し、治療と、コロナの検査を合わせてしてくれることに。
タクシーを呼び、友人に娘を託して小児科に向かい、腕の骨をはめ直してもらうと、
あっという間に腕の痛みがなくなり、娘はすっきりとした顔で帰ってきました。

この混沌の中で助けてくれた友人には、ありがたすぎて、もう本当に足を向けて寝られません。
診てくれると言ってくれた医療機関も、ありがたくてありがたくて。
さらにこの日は、自宅の玄関の外まで、食料を買って届けてくれた友人もいて。

自分のリスクをとってまで助けてくれる人がいること、心配してくれる友だち。
これ以上の感謝はなく、この孤立して取り残された状況の中で、涙が出ました。

優しさが、どれだけ心に染みたかわかりません。

約3週間の自宅隔離

娘のことが解決してほっとしたら、自分も辛くなってきて息が苦しく、不安に。
翌日の7月8日、5歳娘が発熱。前日の検査結果ももれなく陽性。
その2日後に、3歳息子が発熱。(6月末の発熱は何か別の感染症だった様子、、、)

息子においては、もう病院の受診すらできず(病院行けない、往診も不可、検査も受けられず。)、保健所に連絡しても無駄。
往診サービスの予約を何時間もかけて取っても、最終的に他のリスク高い人を優先、とキャンセル。

これで万が一息子に何かあったらどうなるんだと、
こうやって見捨てられるような人が、世の中に他にもたくさんいることを実感し、
日本社会の冷たさを感じて恐ろしくなりました。

背中をどつかれてスピード行動

こんな中でも、仕事は、ずっと有給を使って休むわけにもいきません。

約3週間まともに集中して仕事ができていない状況で、在宅勤務をしても、できるのは簡単なメールを返すことと、なんとか1〜2時間子どもたちにテレビを見せながらのミーティング。

会社という場所に、こういう状況を共有しあえる心の繋がりのある人がどれだけいるだろう?
1人で歯を食いしばってまでする仕事ってなんだろう?
これは誰が求めていること?誰かに求められていること?自分にとってどれだけ大切なこと?

やっと子どもたちも健康を取り戻して、保育園に行き始めたのが7月20日。
母子3人だけで過ごした、
長い長い、3週間でした。

やっと1人でPCに向かえるようになったその日、会社の全体会議にオンラインで参加して話を聞きながら、
ああこれはもう無理だ」と頭だけでなく全身で理解し、
人事にすぐアポを取り、退職を考えていること、これからの仕事のことについて相談しました。

その2日後に、上司に1 on 1で今後の自分の進退を伝えました。

背中をどつかれて、
もうこれ以外ないよ!分かるでしょ?
神様?前世?宇宙全体?何だか分かりませんが、
いろんなエネルギーからこぞってメッセージを伝えられた感じです。

現実的にも終わりが見えたことで重荷が一気にすーっととけ、その日の夜は子供との夕飯で一人ビールを飲み、打ち上げ。
重荷を下ろしてほっとしたビールは、いつも以上に美味しかった。。!!

本当の本当の本当に大切なこと

この母子3人世界から切り離されたような気持ちで過ごした3週間に、
より強く、際立って分かったのは、

  • 大事にしたい人、これからもずっと関係性を大切にしていきたい人が誰なのか

  • 自分の大事な、限られたエネルギーを、何に対してどう使うのか、使いたいのか

    ということ。

自分が本当に大切に思う人を大切にし、
心が喜ぶことをする時間を持てる自分でありたい。

自分の心をすり減らしながら、大切な時間を消費するのは、
命の無駄遣い。

私の周りには、
心が豊かになる時間をくれる人、共感できる人、一緒にいることで元気になる、道しるべのような希望を見せてくれる人はたくさんいる。
自分も、これからはもっとその「いいエネルギー」の比重を大きくして、生きていきたい。

そういう思いをより強くしました。

執着を断ち切る

終わりを宣言したからこそ、残っている仕事を完了させるため、
ほんとにやめるつもりある?というほど根を詰めて働いたその後の約2ヶ月。

あっさり気持ちを切り替えられたかというと、全然そんなことはありませんでした。
11年間働いた会社で、その時の仕事に思い入れもあったからこそ、未練は思った以上に大きいものでした。

目の前の仕事に取り組むほどに、
「この先は本当はこうしていきたかった」「私がいたら来年はこうしていきたかったのに」とか、
なんとか続けられる道はないか、とまで毎日考えてしまったり。

これは、今となれば「執着」だったと分かります。
持っているものを手放すのは、
想像以上に勇気がいるものです。

目の前のことを淡々とこなし、仕事を終わらせて、子どもと向き合って、家のことをして、日々を過ごしていく
と言うことに集中するしかありません。

私の執着のせいか、
最終出社を2ヶ月間延長、と言う現実まで引き寄せてしまいましたよ。

書くこと、願望に気付くことで現実化が加速

2年前に自分で描いていた「未来予想図」の3年後は、
自分の人生を自分の手のひらに握って、働く場所、時間を自分で決めることができる働き方、暮らし方

2年前は夢のようなこと書いてるな、と思っていたけれど、
自分の願望に気づいて「書く」ということをしたら、
そしていつも自分の感覚に気づけるようにマインドを整えて、直感を大切にしていたら、
その願望は、現実化するんです。

逆に言うと、願望に繋がらないことをしていると、「違和感」を覚えて、その違和感を無視できなくなると言うことかもしれません。

私にとって、自分の直感や感覚に気づくために大事なのは、瞑想する時間をとること。
この瞑想を最初に習慣化できたのが、CITTA手帳を作った青木千草さんの朝活に2021年に参加したことなのですが、
朝活で聞いていたヨガ哲学がベースになったいろいろな話、
中には「執着」のお話もあったなあ。
この本の中に、ぎゅっと書かれています。
おすすめ。


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