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イヤイヤ期 心が折れそうで「イヤ」と言いたいのは、私でした

赤羽雄二さん『自己満足でない徹底的に聞く技術』で書かれている
アクティブリスニングを実践中の畑中です。

魔の2歳児 イヤイヤ期は自己主張 練習期

我が家の3人の子どもたちも「魔の2歳児」を経て、現在は、長男11歳、次男7歳、長女4歳です。

「魔の2歳児」の時期は、何でも「イヤ」と言われて心が折れそうなときが何度もありました。こちらの思い通りに進まないことばかりで、2歳の子どもに「なぜ、そこで一つ一つ立ち止まる・・・」と心で突っ込みを入れながら、関わっていました。

そんな私の「思考」を変化させてくれたのが、「自己主張 練習期」という言葉です。

イヤイヤ期の子どものことをよく「魔の2歳児」といいますよね?

「魔」と聞くと、悪魔とか、魔戒とか、魔縁とか、魔王とか。

この言葉には、何をいってもわからない傲慢な魔王に、こちらの心が惑わされ支配されるようなイメージが私にはありました。

そんなイメージで子どもを見ると、目の前の愛らしいあどけない動きや、たどたどしく話す子どもが「悪魔」に見えてしまうから不思議です。

ところが、イヤイヤ期を「自己主張 練習期」と表現することを知ってから、子どもの言動に対する私の捉え方ががらりと変わりました。

「魔の2歳児」というフィルターを通しているときは、子どもが「イヤ」というたびに、「出たー。『魔の2歳児』とはよく言ったものだな。ほんとうに悪魔のように私を困らせるな~」と感じていました。

ところが、「自己主張 練習期」とフィルターを通すと、「おー、自分の意見を言えている」(今までは、泣いたり、むずがる動きでしか表現できなかったのに成長を感じる)とか、「あー、この子は今、自分の「イヤ」という気持ちに気づいているんだ」とか、「ほー、イヤならこの子はどうしたいのだろう?」と子どもの気持ちや行動を観察できるようになりました。

人生100年時代です。
自分がどうしたいか、自分がどうありたいか、自分が何をするとうれしいかなど、それをきちんと感じ、周りに理解してもらい自己実現していく力をつけるのに、この「自己主張の練習」は大切ですよね。

ちょっと先の未来を想像してみたんです。

大学生や社会人になった子どもたちの行動習慣が、「言われないとやらない」という能動的なものだったら、きっと私は「なんで言われないとやらないの?」と、言いたくなります。

でも、どうして「言わないとやらない子」に育ったのか?

それは、子どもが「イヤ」と自分の気持ちを伝えたときに、気持ちを受け入れてもらえなかった、「●●がいい!」といったときに、「それよりもこっちにしなさい!」と指示・命令される経験を積み重ねた結果、身についた思考グセが原因ではないか?

誰だって、気持ちを受け入れてもらえない、指示・命令ばかりされたら、「言わない・やらない・考えない」という行動が習慣になります。だって、言ったり、やったり、考えたりすることがムダなことに思えますし、言ったり、やったり、考えたりしない方がイヤな思いをしないのであれば、自然とその行動をとりますよね。

はい、これで「言わないとやらない子」の一丁出来上がり!

大学生や社会人になっても、「言わないとやらない」子どもたちに囲まれて、私はいつまでたっても大変で、イライラして、いつまでも子どもの足らないことを言い続ける…。いつになったら、子育ての楽しみを味わい、いつになったら子育てから卒業できるのか…。

2歳児の「イヤ」にこちらも「イヤ」と抵抗し、子どもをコントロールすることは、私の望む未来を遠ざける行為だと気づきました。

2歳児が表現している「イヤ」という自分の気持ちや考えを、丁寧に聞いてあげるという小さな積み重ねが、先々の私の育児の負担を激減するための種まきだと気づいたら、「(とりあえず、なんでもかんでも)イヤ」と言っている我が子を見ても、微笑ましく感じられるようになりました。

いいぞ!自己主張!!って。

子どもの気持ちを言葉にして、気持ちを受け止めていることを伝える

でも、そんな風に温かく見守れるのは、こちらに時間にも気持ちにも余裕があるときです。

出勤前の忙しい時間に「イヤイヤ」と言われると、「イヤなのはわかるけど、もういいから支度して!」とイラついて指示・命令したくなります。

あなたも、さんざんご経験されていると思いますが、こちらが「イライラ」すると、子どもとのやりとりがこじれて、さらに時間がかかって悪循環に陥ります。

それでどうにもいかなくなって、最後は怒って、強引な力でねじふせる親とねじふせられる子という、どちらも望んでいない関係に突入しがちです。

そんなときに効果的だったのが、子どもの「イヤ」に私が反応しないためには、自分がとる行動をあらかじめ決めておくでした。

冷静さを欠いているときは、感情に振り回されて、望まぬ結果をまねくことばかりでしたので。

「イヤイヤ」と言われたら、「イヤなんだね」と返す

とりあえず「イヤ」と言われたら、「イヤなんだね」という言葉を発します。ロボットみたいですが。習慣になってくると反射的に言えるようになります。

この感情を受け止める一言があるかないかは、その後に発する私の言葉が子どもに届くかどうかの分かれ道だったりします。

参考ブログ:「情緒的見捨てられ体験 子どもが悲しんでいるときに励ましていませんか?」

その上で、子どもに行動を決めてもらう

例えば、私がよくやるやりとりはこんな感じです。

親:「さっ!お着がえしよう!」
子ども:「イヤー」

親:「おー。イヤなんだね」
子ども:「うん。イヤー」

親:「じゃあさ、●と■(2種類の洋服を見せる)だったら、どっちがいい?」
(「お着がえ」がイヤなようなので、「お洋服選び」に変更)

子ども:「それなら、■がいい。けど、▲のほうがもっと好き」

親:「ほー。確かに、▲っていいよね、いいの選べたね」
子ども:「うん」

親:「じゃ、どっちが早く着れるか競争しよう!」
(なぜか、子どもって競争が大好き)

子ども:「私のほうが早いよ~(*'▽')」

と、さっと着がえ出したりするものです。

「やっぱりできたね!」で自己効力感UP

そして、最後は「やっぱりできたね!」で締めくくります。
こんなやりとりで、「イヤ」といっていた子どものご機嫌はよくなっています。
ここまで来たら、しめたものです。子どもがご機嫌で過ごせると、何がいいって、私が楽!!

親:「うわー、早いね。お母さんも着がえるから、待ってよー」
子ども:「やったー!もう着替えちゃった♪」

親:「●●ちゃんが、決めた▲やっぱりいいね!●●ちゃんならできると思ったよ!協力してくれてありがとう」

子どもが本来の力を発揮してくれると、自ら、靴下をはき、登園バックを持って、玄関に行って靴まで履いてくれます。

この好循環の第一歩は、「イヤ」という気持ちを受け止めること。

お着がえイヤ!の気持ちは、着がえ自体がイヤなわけではなくて、あなたもお察しの通り、保育園に行くのがイヤからきていたります。でも、行かないといけないことは子どももわかっていて…。そんな心の葛藤から出てきた「お着がえイヤ」をいったん、受け止める。これって、ほんとうに大切だなと思います。

これは、アクティブリスニングの第1ステップでもあり、人と信頼関係を築くための大切な過程です。

プリゾニゼーション(刑務所化)

刑務所ではよく「プリゾニゼーション(刑務所化)」という言葉が聞かれます。
刑務所での生活に慣れてしまい、個性や積極性を失うことです。刑務所では常に職員の指示に従って行動することが求められますから、それに適応した結果です。
1~2年ならそれほどでもありませんが、10年も入っているとプリゾニゼーションによって社会生活を送ることが難しくなってしまうのです。

『犯罪心理学者が教える 子どもを呪う言葉 救う言葉』

「イヤ」という気持ちや考えを聞かずに、「ダメ!」「●●しなさい!」というやりとりは、家庭が「プリゾニゼーション(刑務所化)」している状態だなと思います。

家庭をプリゾニゼーション(刑務所化)させないために、2歳児が、自分の気持ちや考えを表現し、自ら行動する力を育んでいる「自己主張 練習期」の見守りは有効そうです。

ちょっと、気持ちや話しを聞いてあげることは、お金もかからず、毎日、親が子どもにしてあげられることだと思います。

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