「舞いあがれ!」と「半分、青い。」【後編】
2022年10月から放送を開始したNHKの連続テレビ小説(以降、朝ドラ)「舞いあがれ!」は、2023年3月31日に最終回を迎えた。
本記事は、「舞いあがれ!」を考察した記事の後編である。前編では、「舞いあがれ!」には、2018年に放送された「半分、青い。」との共通点が多数あることを述べ、以下の5つの観点のうち、「1.「失敗」というテーマ」の観点から考察した。
前編の記事は、以下のリンクを参照していただきたい。
後編である本記事では、残りの2.から5.の観点で、引き続き「舞いあがれ!」を「半分、青い。」と比較しながら考察することにしたい。
キャリアドリフトするヒロインの人生
「半分、青い。」と「舞いあがれ!」の共通点には、ヒロインの人生の節目ごとに、ヒロインの職業が変わることがある。
朝ドラにおいて、ヒロインの職業が変わることへの、視聴者からの評判は芳しくない。「半分、青い。」では、「漫画家編は面白かったが、その後は全く別のドラマのようで興味を失った」といった感想が散見された。一方、「舞いあがれ!」でも、最終週寸前までは、「パイロットのキャリアを歩む、ヒロインの人生が見たかった」という感想が多かった。
しかし今の時代は、インターネットや人工知能等の技術革新、また震災やパンデミック等の大災害で、仕事のやり方が劇的に変わったり、新たな企業や仕事が続々と生まれたりと、変化が非常に激しい時代である。
例えば、5年前、10年前の自分に今の自分の仕事が想像できただろうか。またこれから5年先、10年先に、自分がどのような仕事をしているか、同じ会社に勤めているのか予測できるだろうか。正直、予測ができないという人の方が多いのではないだろうか。
将来のキャリアが予測不可能な時代になった今日、多くの企業における、社員へのキャリア形成の支援は、従来のキャリアデザインの考え方だけではなく、人生の節目において、自分のキャリアを見直す「キャリアドリフト」という考え方も浸透してきている。
そこで、人事に関するノウハウが掲載されている「人事バンク」のサイトから、「キャリアドリフト」の定義を引用する。
また「キャリアドリフト」に関しては、「半分、青い。」放送終了後に、ヒロインの鈴愛のキャリア変遷が「キャリアドリフト」であったと分析する考察記事もあった。ドラマ考察的にも鋭いが、キャリア形成を考える上でも参考となる記事である。
このように変化が激しい今の時代背景を考えれば、ヒロインの仕事が変わることへの批判はむしろ不当にも思える。現代劇のオリジナルストーリーの朝ドラでは、「キャリアドリフト」的にヒロインの職業が変わる方がリアリティがあり、納得感があると言えるだろう。
「半分、青い。」も「舞いあがれ!」も、ヒロインの成長物語が「キャリアドリフト」的な考え方に基づいているが、ヒロインの仕事に対する考え方や、仕事を変えた経緯は、「半分、青い。」と「舞いあがれ!」では対照的である。そのことについて次項以降で考察する。
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「半分、青い。」鈴愛のキャリア変遷
「半分、青い。」での、鈴愛のキャリアの変遷は次の通りである。
漫画家、100円コンビニ店員、五平餅屋、企画会社事務員、おひとりさまメーカー、律と扇風機の共同開発と、鈴愛が経験した職業は多岐に渡る。
しかし「どのように働きたいか」については、鈴愛は終始一貫していた。鈴愛の長所は発想力が高いことだが、「誰かを喜ばせる、楽しいアイデアを思いつき、それを具現化する」ことが常に動機となっている。
幼少期の鈴愛のエピソードにも、鈴愛のキャリアの考え方がわかるエピソードがある。例えば、鈴愛は、妻が亡くなったことに落ち込む祖父を元気づけるために「川をまたぐ糸電話」を創作したり、自分の片耳失調に落胆している母親を元気づけるために、失調した片耳の世界を表現した、緑色の服を着た小人たちが踊る「ゾートロープ」を創作したりしている。
そして、鈴愛が職業を変える動機は、良い意味で「利己的」である。
「半分、青い。」は、週タイトルが「○○したい!」で統一されていたが、次の目標を決めたら、己の欲望の赴くまま、がむしゃらにそこにに向かっていく鈴愛を象徴するようなタイトルである。
最終回で、鈴愛は律と「そよ風」扇風機の発表会を行う。この「そよ風」扇風機に到る伏線は、幼少期からずっと散りばめられていた。くるくる回るゾートロープ、漫画家編での師匠の名前である、秋「風」「羽」織、100円ショップ大納言編での、店長の「風は壁に当てると柔らかくなる」といった台詞等である。
ただし、漫画家や100円ショップのアルバイト、五平餅屋のキャリア等が直接「そよ風」扇風機の開発の役に立ったわけではない。役に立ったとしたら、おひとりさまメーカー以降のキャリアだろう。この点を踏まえた上で、次は「舞いあがれ!」の舞のキャリア変遷を考えてみたい。
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「舞いあがれ!」舞のキャリア変遷
「舞いあがれ!」での、舞のキャリアの変遷は、以下の通りである。
舞が経験した職業は「パイロット(訓練生)」「実家の製作所の営業」「東大阪の町工場活性化のコンサルティング」「空飛ぶクルマの開発会社の執行役員兼パイロット」と、多岐に渡る。
しかし、「どのように働きたいか」については、舞も終始一貫していた。舞は「困っている人を助けたい」「チームワークで難局を乗り切りたい」というのが常に動機となっている。「半分、青い。」の「利己的」なヒロイン鈴愛とは対照的に、舞の仕事に関する考えは「利他的」で、それがまわりまわって結果として自己実現につながる、「情けは人の為ならず」という諺がピッタリくるヒロインである。
そして「舞いあがれ!」が非常に優れていた点は、ヒロイン舞のキャリア変遷であったといっても過言ではない。
朝ドラの最終回は、大体、出演者総出のカーテンコールのような回だが、「舞いあがれ!」の最終回は、歴代の朝ドラの中でも、一番素晴らしい最終回だった。そのことは、「舞いあがれ!」最終回直後の「あさイチ」プレミアムトークの、NEWSの加藤シゲアキによる、朝ドラ受けからも言えるだろう。加藤シゲアキは「舞いあがれ!」を毎朝見ていたとのことで、朝ドラ受けで、次のように的確に「舞いあがれ!」を総括していた。
鈴木奈穂子アナウンサーも涙ぐみながら、「本当に、本当に」とうなずいていたが、「舞いあがれ!」は、まさに「人生に無駄なことはない」という言葉通りのストーリーだった。
言い換えれば、「舞いあがれ!」の各エピソードが、パズルのピースのようにはまっていき、最後に「空飛ぶクルマ」の絵が現れたと言える。
かくも素晴らしい展開になったのは、構想段階から、最終的な着地点の絵として「空飛ぶクルマ」があり、その結末から逆算してプロットを練り上げたからだろう。
舞が経験した様々なキャリアのエピソードは、いわば「空飛ぶクルマ」という絵の、パズルのピースである。「空飛ぶクルマ」を構成する各要素が、「舞いあがれ!」のどのエピソードに紐づいていたかを、思いつく限り挙げてみた。
更に、舞が歩んだキャリアの変遷は、リーマン・ショックや、航空会社の入社延期等、現実に起こった社会的な出来事とリンクさせる形で描いたためリアリティのある物語となった。
「舞いあがれ!」は、「半分、青い。」の、ヒロインのキャリアドリフト的な成長物語を参考にしつつ、より洗練された形で、ヒロインの成長物語を紡ぐことに成功したと言ってよいだろう。
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「キャリアドリフトするヒロインの人生」の要約
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脚本家の分身とクリエイターの苦悩
「半分、青い。」の脚本家である北川悦吏子と、「舞いあがれ!」の脚本家である桑原亮子には、聴覚障害という共通点がある。北川悦吏子は中途の片耳失調で、桑原亮子は中途の完全失調である。
聴覚障害の経験が直接「舞いあがれ!」という作品に反映されていたわけではない。しかし、「半分、青い。」との様々な共通点を「舞いあがれ!」に見いだせることから、桑原亮子としては、同じ聴覚障害をもつ北川悦吏子は、かなり意識されていた脚本家であったと推察される。
この章では、脚本家や制作陣のメッセージを代弁する登場人物を考察する。多くのドラマや映画には、台詞や演技を吟味すると、脚本家の分身といえる人物が必ず登場する。「半分、青い。」と「舞いあがれ!」にも、脚本家の分身らしき人物が登場し、人生に立ちはだかる困難や、クリエイターとしての考え方や苦悩が描かれている。そのことについて詳しく考察したい。
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「半分、青い。」における脚本家の分身
「半分、青い。」での、北川悦吏子の分身にあたる登場人物は、ヒロインの鈴愛と、鈴愛の師匠のカリスマ漫画家・秋風羽織である。
鈴愛については、幼少期に鈴愛は中途失聴で片耳が聞こえなくなる。片耳が聞こえなくなる時期は違うが、片耳失聴は北川悦吏子の実経験そのままであり、この事実だけで、鈴愛が脚本家の分身と考えられる。
また「半分、青い。」放送時に、北川悦吏子本人が、朝ドラ制作の舞台裏や視聴者の感想への返信等、無邪気かつ自由気儘にTwitterでつぶやいていたが、この自由奔放で天衣無縫な様は、鈴愛の性格と通じるところがあった。
そして、漫画家編での鈴愛を通して描かれたのが、クリエイターとしての苦悩や不安である。鈴愛の長所は発想力であり、秋風先生も、鈴愛のことをその点では評価していた。だが、発想は良くても、自分の漫画を売れる作品として完成させるスキルを会得することはできなかった。鈴愛は徐々にスランプに陥っていく。
第72話で、漫画家としてスランプ状態のところに、律が結婚した知らせが来る。恋も仕事もうまくいかない鈴愛は、ユーコやボクテに八つ当たりして暴言を吐き、大泣きしながら苦しい思いの丈をぶちまけた。このシーンは、SNSでも賛否両論あり、大いに話題を呼んだ。主題歌を歌っていた星野源は、このシーンが一番印象に残ったと感想を述べて、「クリエイターの不安や苦悩が現れていて、鈴愛が、そして演じた永野芽郁が代弁してくれたような気がする」と称賛していた。
もう一人の北川悦吏子の分身、秋風羽織については、「半分、青い。」のドラマ関連本、「秋風羽織の教え 人生は半分、青い。」が詳しい。
この本には、秋風羽織の名言集や、北川悦吏子と秋風羽織を演じた豊川悦司とのインタビューが掲載されており、秋風羽織が主演の「半分、青い。」スピンオフとも言える位、内容が濃い。そして、インタビューの中で、豊川悦司は秋風羽織について、次のように評している。
また、北川悦吏子は、秋風羽織というキャラクターについて、次のようにコメントしている。
豊川悦司、北川悦吏子の二人の言葉からも、秋風羽織というキャラクターは、北川悦吏子自身の創作者としての考え方を伝えるための、脚本家の分身だったといえるだろう。
「半分、青い。」では、脚本家の分身ともいえる人物が登場し、またドラマ上にでてきた秋風先生の名言の関連本が出版された。そのことを踏まえた上で、「舞いあがれ!」での、脚本家の分身を考えてみることにしたい。
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「舞いあがれ!」における脚本家の分身
「舞いあがれ!」における、桑原亮子の分身にあたる登場人物は、舞と、舞の夫となる幼馴染・梅津貴司である。
まず、「キャリアドリフトするヒロインの人生」で述べた通り、舞の人生は、パイロットの夢を途中で諦めるという、紆余曲折のあった「回り道」の人生である。 舞の「回り道」の人生は、弁護士を目指したが、自身の難聴が悪化し、弁護士を諦めて歌人と脚本家の道に進んだ桑原亮子の人生が反映されていると思われる。
そして舞は、桑原亮子だけではなく、共同で脚本を書いた、嶋田うれ葉、佃良太の3人の脚本家の分身とも考えられる。
複数の脚本家で共同でドラマの脚本を書いていくためには、ストーリーやキャラクターの認識のすり合わせ等、一人で脚本を書いていく場合とは異なる、様々な困難を克服していく必要があっただろう。
そのためにはチームワークが重要である。舞はチームワークを大切にする性格だが、共同で脚本を書いている自分たちにとっても、「チームワークは大切である」と、言い聞かせる意味があったと思われる。
次に、桑原亮子は歌人でもあることから、歌人の貴司が桑原亮子の分身であることは自明である。
そして「舞いあがれ!」でも「半分、青い。」と同様に、ドラマ関連本が制作される。2023年5月29日に発売される「トビウオが飛ぶとき」には、「舞いあがれ!」に登場した貴司の短歌等が収録される予定である。貴司の短歌以外にも、秋月史子やリュー北條、八木のおっちゃんの短歌も収録される予定であり、実質的な「舞いあがれ!」スピンオフ作品といえるだろう。
「舞いあがれ!」においても、「半分、青い。」と同様に、歌人の貴司を通じて、クリエイターとしての考え方や苦悩が描いている。
貴司の短歌作りがスランプに陥るのは、舞と交際する前、舞と結婚し子供も産まれ、幸せな生活を送っている時であった。逆に、貴司が短歌を詠んでいた時は、五島をはじめとする日本全国の放浪先であり、そこで詠んだ短歌を、絵葉書にしたためて舞に送っていた。歌人として売れてからは、世話になっていた編集者・リュー北條に提案されて、日本中を旅して、子供たちに短歌を教えながら、自分も旅先で短歌も詠む連載を開始する。
最終週で、再度スランプになった貴司は、両親の反対を説得して、師匠である、八木のおっちゃんが暮らすパリを訪れている。八木のおっちゃんも、詩を作る創作者だが、自分の古本屋を「根無し草」を意味する「デラシネ」と名付けたり、店を貴司に譲って放浪したりしている。
これまで挙げたエピソードから、「舞いあがれ!」には、「家庭を持ち安定した状態では、クリエイターは創作ができない」という考え方があるように思われる。ただし、この考えが桑原亮子のクリエイター論なのかどうかは分からない。
実は、「家庭を持ち安定した状態では、クリエイターは創作ができない」という考えは、「半分、青い。」にも登場する。それは、鈴愛の元夫である涼次のエピソードである。
涼次は、映画監督としての成功のため、なるべく映画に専念し、家族から離れたいと考え、鈴愛に離婚を切り出す。「家族は邪魔になる」とまで言った涼次に、鈴愛は「死んでくれ!」と言い放つ。このシーンもまた、SNSで賛否両論あったシーンである。
なお、「半分、青い。」の脚本家である北川悦吏子は、このシーンに関連して、次のようなツイートをしている。涼次の家族を捨てるエピソードは、北川悦吏子のクリエイター論が反映されているといってよいだろう。
「舞いあがれ!」での、「家庭を持ち安定した状態では、クリエイターは創作ができない」という考えが垣間見られるエピソードは、桑原亮子自身のクリエイター論ではなく、「半分、青い。」を参考にした可能性がある。
「半分、青い。」の、創作のために、夫が離婚を切り出すという設定は、かなり物議をかもしたので、「舞いあがれ!」では、離婚まではさせずに、一時的に夫が家庭を離れて放浪するという、若干マイルドな設定にしたのかもしれない。
貴司の設定に、桑原亮子自身のクリエイター論が反映されているかどうかはわからない。だが、クリエイターとしての苦悩を描いていること、そしてなにより歌人であることから、貴司が、桑原亮子の分身であることは間違いないだろう。
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「脚本家の分身とクリエイターの苦悩」の要約
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幼馴染みの恋愛物語
朝ドラはヒロインの成長物語をメインストーリーとして、ヒロインの恋愛物語等、いくつかのサブストーリーが重層的に進行していく。
朝ドラは、脚本家だけでプロットを全て作っているわけではなく、多くのNHKの制作陣が関わる。そして、特にドラマで問題提起される社会的な問題や課題は、脚本家の意向よりも、NHKの制作陣の意向が強いと考えられる。
一方で、ヒロインの恋愛物語は、脚本家の作風が尊重される箇所だろう。
ヒロインのモデル有りの朝ドラであれば、モデルとなる人物の史実に基づく必要があるだろうが、オリジナルストーリーであれば、自由度は高い。
「半分、青い。」と「舞いあがれ!」は、両作品ともオリジナルストーリーの現代劇であり、恋愛物語の自由度は高いはずだが、奇しくも、ヒロインと最終的に結ばれる相手が幼馴染みで共通している。
朝ドラでヒロインが幼馴染みと恋愛し結婚する展開は例外的であり、幼馴染みの男は、ヒロインに失恋する不憫な男の役割を担うことが多い。現実でもそうだが、付き合いが長すぎて、恋愛関係になるタイミングを逸してしまい、女性側からは恋愛感情を抱けず、友人としてしか見られないからだ。
そのため、幼馴染みが結ばれる恋愛物語を創作するのも難しいはずだが、「半分、青い。」は七夕伝説、「舞いあがれ!」は短歌という、古の創作物を絡める形で、幼馴染みのカップルを結びつける、素晴らしい恋愛物語が紡がれている。この章では、両作品の恋愛物語について詳しく考察していくことにしたい。
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「半分、青い。」の七夕ラブストーリー
「半分、青い。」の鈴愛と律の恋愛物語は、七夕伝説の織姫と彦星の設定を借用している。鈴愛は織姫であり、律は彦星である。鈴愛と律は、同じ町の同じ病院で7月7日の七夕の日に産まれ、家族ぐるみの付き合いとなる。二人の関係は、幼馴染みを超えたソウルメイトのような関係だった。
織姫と彦星が1年に1回会う場所は天の川であるが、鈴愛と律が幼少の頃から一緒に遊んだ場所、人生の重要な節目で話し合う場所は、常に河原だった。例えば、鈴愛が片耳難聴になった時、律の母・和子の葬儀の時である。
七夕伝説では、働き者だった織姫と彦星は、天の神様の引き合わせで結婚するが、結婚後は、仕事をサボり遊んでばかりになる。怒った天の神様は、織姫と彦星を天の川の両岸に引き離す。しかし、まじめに働けば、年に1回七夕の日に会うことを許す。
「半分、青い。」での若い頃の鈴愛と律の関係は、自他境界が曖昧な鈴愛が大人しい律を振り回す等、仮に交際して結婚してもうまくいかないと思われる未熟な関係だった。その後もすれ違いが続き、鈴愛も律も、別の相手と結婚してしまう。
その後、鈴愛と律は最初の結婚相手とは離婚するが、両者共に、結婚や育児を経験したことで、精神的には成熟した大人になったのだろう。鈴愛と律はそよ風扇風機を共同開発するビジネスパートナーの関係となり、最終回で律は鈴愛に「鈴愛を幸せにする」と誓い、やっと結ばれる。
以上の通り、「半分、青い。」での鈴愛と律の恋愛物語は、「七夕伝説」を下敷きにする形で、幼馴染同士を結びつける素晴らしい物語になった。
何らかの創作物を絡めて、幼馴染みの恋愛物語を紡ぐというノウハウは、「舞いあがれ!」が「半分、青い。」から参考にした点であると思われる。
この点を踏まえた上で、次は「舞いあがれ!」の、短歌を絡めた舞と貴司の恋愛物語を考えていきたい。
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「舞いあがれ!」の短歌ラブストーリー
「舞いあがれ!」における舞と貴司の恋愛物語は、二人が結ばれるまでに短歌が効果的に使われていた。#舞いあがれ感謝祭では、歌人の俵万智が、脚本家の桑原亮子が「舞いあがれ!」でやっていたことは紫式部と同じであると称賛していた程である。
「舞いあがれ!」には、「半分、青い。」の「七夕伝説」のような下敷きにした古典の恋愛物語は無い。短歌は脚本家・桑原亮子による自作である。しかし、貴司が折々に短歌を詠むことが、古典の恋愛物語をなぞっているようであり、幼馴染み同士であっても自然に結ばれるように思わせてくれた。
また、台詞とは異なり、短歌はストレートに意味を伝えるものではない。視聴者に想像させる「余白」があるため、貴司の気持ちを補って見る必要がある。短歌に込められた貴司の舞への想いを、視聴者に色々と想像させる効果があったことも、舞と貴司が結ばれるだろうと思わせる要因だったように思う。
貴司が短歌を詠み始めたのは、第30話で「デラシネ」の八木のおっちゃんに「短歌にしてみい」と言われたことがきっかけである。第41話では、航空学校で飛行訓練をしていた舞のもとに、貴司から次の短歌がしたためられた絵葉書が届く。
「トビウオが飛ぶとき他の魚は知る水の外にも世界があると」
「舞いあがれ!」関連本のタイトルにもなっている短歌であり、飛んでいるトビウオは舞のことだろうが、既にこの短歌から、舞に対する秘めた想いが込められていたと個人的には思う。
また、この短歌は、舞がパイロットを断念し、実家のネジ工場再建に専念するかどうか迷っていた時の、「トビウオは水の中におってもトビウオや」という助言の言葉にもつながっている。この言葉は「できなかったら、次にできればいい」というばんばの言葉と同じだろう。
第73話では、パイロットを断念して、実家のネジ工場の営業として働き始めた舞に、次の短歌がしたためられた、貴司からの絵葉書が届く。
貴司は昔から舞への好意はあったように思うが、舞の方は、少し前までは柏木と交際していた。この絵葉書を受け取った頃から、舞にも貴司への想いが芽生えてきたのではないかと思われる。
第91回では、舞は親友の久留美に次のように言われている。
本記事の前編では、「舞いあがれ!」のテーマである「失敗」を取り上げたが、舞も貴司も、恋愛における「失敗」を恐れていたのである。「本当の気持ちに向き合った方が良い」という久留美の助言は、原因4:「問題と向き合わない」「苦言に耳を傾けない」で述べた内容と通じるところもあっただろう。
第90回では、「梅津貴司先生のファン」という秋月史子が「デラシネ」を訪れてきた。舞にとっては恋敵となる史子が、逆に舞と貴司の関係を近づける展開になったのが面白い。
史子は、「押しかけ女房」みたいな形で、いつの間にか「デラシネ」に出入りするようになり、舞を貴司から遠ざけるように振る舞ったり、編集者のリュー北條と短歌談義までしていた。
その短歌談義の中で、恋の歌が話題となる。リュー北條は、貴司の歌には恋の歌が無いと言うが、史子は一首だけあると言う。その歌が「君が行く新たな道を照らすよう千億の星に頼んでおいた」の歌であり、万葉集にある、狭野弟上娘子が歌った、情熱的な恋の歌の本歌取りであると指摘する。
この時には「先生と私には特別な絆がありますから」と言って、自らの短歌の知識を誇った史子だったが、その後、貴司に告白して振られてしまう。そして、史子は舞の家に行き、舞の部屋にあった「君が行く~」の短歌の絵葉書を見て、貴司の本心を知り、舞にこの歌の意味を解説して、貴司の本心を聞くように促し、自らは身を引く。この「本歌取り」がキーとなり、貴司と舞がお互いの恋心を知り両思いとなる展開が素晴らしかった。
第96話での告白のシーンでは、次のやりとりの中にもある通り、舞も貴司も「怖かった」と漏らしている。
この「怖かった」という二人の思いは、「舞いあがれ!」のテーマである「失敗」にも、少し関わるところだろう。
しかし、舞も貴司も、最後には失敗を恐れずに、自分の本心をぶつけることができた。そして、貴司は、プロポーズの短歌を詠み、二人は結ばれる。
「舞いあがれ!」は、短歌という古の創作物を絡める形で、幼馴染み同士の素晴らしい恋愛物語を紡ぐことに成功した。「舞いあがれ!」では、貴司が一方的に短歌を詠む展開だったが、今後の朝ドラでは、短歌を詠んだら、返歌を返す、そんな恋愛物語も見てみたいと個人的には思う。
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「幼馴染みの恋愛物語」の要約
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「七夕伝説」と「風」
これまで見てきた通り、「舞いあがれ!」には「半分、青い。」を参考にしたと思われる点が多数ある。本記事の最後の章では、「舞いあがれ!」が参考にした、二つのモチーフ「七夕伝説」と「風」について考察することにしたい。
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「半分、青い。」に対する「返歌」
一つ目は「七夕伝説」である。「舞いあがれ!」第125話では、2020年に入り、空飛ぶクルマは「かささぎ」と命名された。舞の言葉にあった通り、「かささぎ」は織姫と彦星を引き合わせるために空に橋をかけた鳥である。
そして、「「半分、青い。」の七夕ラブストーリー」の項で述べた通り、七夕伝説といえば、「半分、青い。」である。「舞いあがれ!」の最終エピソードでの象徴である、「空飛ぶクルマ」の名前を七夕伝説から採ったのは、「半分、青い。」の「七夕伝説」のモチーフから着想したものだろう。
「舞いあがれ!」では、「空とぶクルマ」のコンセプトに、七夕伝説の「かささぎ」を借用したが、「かささぎ」を選んだところが、歌人でもある脚本家・桑原亮子による、「半分、青い。」の「織姫と彦星」への「返歌」であると思わせるところである。
もう一つの「半分、青い。」が参考にされたモチーフは「風」である。
「舞いあがれ!」の番組紹介文を引用する。
この紹介文からも分かる通り、「舞いあがれ!」では、舞をはじめとする登場人物たちが直面する困難が、「向かい風」として例えられている。
そして、「向かい風」というモチーフを着想するヒントとなったのが、「半分、青い。」の「そよ風」というモチーフと推察される。これもまた、「そよ風」に対応して「向かい風」と返したところが、桑原亮子による、「半分、青い。」への「返歌」であると思わせるところである。
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最終回のシーンの比較
最後に両作品の最終回のシーンを考察することにしたい。
「半分、青い。」の最終回では、鈴愛は「そよ風」扇風機の名前を急遽「マザー」に変更する。もともと、鈴愛が「そよ風」扇風機を発案したのは、母がガンで入院したことがきっかけである。外出できない母に、病院の部屋にいても、「そよ風」が感じられるようにしたいと考えたのである。
そして、鈴愛と律の誕生日でもある、7月7日の七夕の日に、岐阜の実家のつくし食堂で、母に捧げる「そよ風」扇風機の発表会が行われる。
一方、「舞いあがれ!」の最終回では、五島列島でのお披露目イベントを兼ねた、空飛ぶクルマ「かささぎ」の初フライトが行われる。舞はパイロットとして搭乗し、車いすのばんばが一緒に搭乗する。幼少期に面倒をみてもらい、舞の人格形成に大きな影響を与えてくれたばんばに初フライトを捧げたといってよい。
そして、舞が昔、ばらもん凧を揚げた島に近づいた時、ばんばは、舞を育てた時を思い出しながら、次の言葉をつぶやく。
「舞やあ、向かい風に負けんかったね」
「七夕伝説」も「風」も、「半分、青い。」へのリスペクトを込めての、桑原亮子の「返歌」だろう。そして、「舞いあがれ!」最終回のエピソードは、「半分、青い。」最終回からの「本歌取り」と言える。
「半分、青い。」は、NHKオンデマンドだけでなく、Netflix等のサブスクでの配信や、2023年4月からのLaLaTVでの再放送等、他の朝ドラよりも視聴手段がたくさんある。「舞いあがれ!」を完走していれば「半分、青い。」を、きっと面白く見ることができると思う。未履修の方には(大分ネタバレしてしまってはいるが)、ぜひ見ていただきたい作品である。
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「「七夕伝説」と「風」」の要約
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おわりに
「舞いあがれ!」の総括
「舞いあがれ!」は、現代劇のオリジナルストーリーの朝ドラとしては、非常に完成度が高い作品に仕上がっていたように思う。共同脚本の体制や、リーマンショックの描写は、今後制作される、現代劇オリジナルストーリー朝ドラの参考となるだろう。
「舞いあがれ!」は2020年放送の「エール」以来の共同脚本の朝ドラであった。航空学校編をメインに嶋田うれ葉、佃良太の2人の脚本家が分担して脚本を担当した。共同脚本に対する評価は賛否両論あったが、私は必要なものだったと考えている。
「舞いあがれ!」は、下町の町工場を描いたドラマだったため、よく言及された他のドラマとして、TBS日曜劇場の「下町ロケット」があった。TBSの日曜劇場には、他にも「半沢直樹」等の作品があるが、専門性の高い職業の描写が多いためか、これらの作品には共同脚本が多い。現代劇のオリジナルストーリーの朝ドラを、リアリティのある作品に仕上げるためには、専門性を高めた職業の描写が不可欠であり、その物語を一人の脚本家で執筆するのは限界がきているように思われる。
「舞いあがれ!」の「航空学校編」では、脚本家を含めた、専門チームが組成されたが、飛行訓練の迫力あるシーン等、成果はかなりあったと思う。後から聞いて驚いたが、実際に俳優を飛行機に乗せて撮影していたと聞く。今後の現代劇オリジナルストーリーの朝ドラでは、専門チームの組成や共同脚本が主流になるだろう。
朝ドラでは、ヒロインが困難に立ち向かうストーリーを描くため、また、視聴者に社会的な問題を考えてもらうため、戦争もしくは震災等の大災害のエピソードが含まれるケースが多い。「舞いあがれ!」においては、戦争や震災ではなく「リーマンショック」という金融危機が設定されたのが新しい点だろう。「リーマンショック」をとりあげたこと自体は、とても素晴らしいチャレンジだったと思う。
少し残念だったのは、舞の兄である悠人の、投資家としての職業の描写である。悠人の設定に一番近い投資家は、インサイダー取引で逮捕された設定もあり、村上ファンドの村上世彰であろう。しかし、悠人の金髪の兄ちゃん的な風貌は、村上氏のような投資家や、多くの金融業界に務める人間からは程遠く、リアリティに欠ける。
やはり、NHKのドラマが投資家や金融業界を描くとなると、土曜ドラマの大傑作「ハゲタカ」レベルをドラマ好きの視聴者は期待してしまう。
個人的には、今後の現代劇朝ドラでも、「リーマンショック」等の、金融危機や世界同時不況のエピソードが設定されてほしいと思う。そのために、投資家や金融業界を描く場合は、もう少し専門性を高めた、リアリティのある描写にしてほしいというのが、いち視聴者としての思いである。
俳優の演技では、貴司役の赤楚衛二の演技が素晴らしく、窓を挟んで柏木と対面したシーンの、絶妙な表情の演技は特に印象的だった。
#舞いあがれ感謝祭では、赤楚衛二曰く、「このシーンの表情を語ってしまうと、視聴者の「想像の余白」が無くなるから話さない」とのことだったが、浩太役の高橋克典は「うわ、決めよった!」「全国の腐女子たちの心をグッと掴んだ!」と笑いも入れつつ大絶賛していた。
赤楚衛二は、これからも多くのドラマに出演して活躍していくだろうが、「舞いあがれ!」で歌人の役柄を務めたこともあるので、2024年放送予定の大河ドラマ「光る君へ」に起用されてほしい、と勝手ながら思っている。
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過去の朝ドラ考察記事
次のリンク記事は、「舞いあがれ!」の前作の「ちむどんどん」の記事である。
「ちむどんどん」については、「社会的包摂」「沖縄のコミュニティ」という補助線を引くと、読み解くことができる旨の解説記事を書いた。多くの方にお読み頂いて、大変感謝している。
ちなみにこの記事では、「浜辺美波を愛でる」ことを「らんまん」視聴のハックとして紹介したが、予想以上に「らんまん」の浜辺美波が可愛いので毎日ドキドキしながら見ている。
次のリンク記事は、「ちむどんどん」の前作の「カムカムエヴリバディ」の記事である。
上記の記事は、「あまちゃん」と「カムカムエヴリバディ」は、クドカンと藤本有紀のドラマ脚本のラップバトルであると見立て、両作品を比較して考察した記事である。
2023年4月から、NHK BSプレミアムで「あまちゃん」が再放送されている。「あまちゃん」「カムカムエヴリバディ」を見た方には、こちらの記事をお読みいただければ、「あまちゃん」の再放送をより楽しく深く見ることができると自負している。
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ここまで、前編・後編合計して約36000文字近い長文となってしまったが、お読み頂いたことに感謝したい。個人的には、これで遅ればせながら、やっと「舞いあがれ!」ロスを脱して、「らんまん」に完全に移行することができそうである。
再び考察記事を書くかどうかは分からないが、いずれにせよ、何らかのnote記事は書きたいとは考えているので、次回の記事もお読みいただけると幸いである。
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