「教」はムチでしばいて押し込むこと 「育」は側で見守ること
子供をムチ(孝のノの部分)で打つ様子に端を発する象形文字が「教」
「育」の上半分は子が逆さま、すなわち出産の様子を表した象形文字
「教」は愛する子に鞭打ってでも押し強いること
すなわち、生きていく、独り立ちする、そのとき必要なコトを
本人の欲求に関係なく教え込むこと
「躾(しつけ)」とか
そんな意味合い
「育」は愛する子に、手出し口出しを我慢して見守ること
すなわち、時々の本人の欲求の邪魔をしないで、
危険の無いよう、範囲で環境を整えつつ
できたことを共に歓び(褒めるより)
できなかったことを共に残念がる(叱ったり、教えたりしないで)
今朝のTVで林先生は
「育てるは、育む(はぐくむ)とも言うけど、元々、は・くくむ」
「羽・包む、羽根で包み込むって意味」
そう話してたよね
教えすぎると
怪我したり、失敗したり、悲しまないで済むけど
従うことを覚えて、自主性とか主体性を失うよね💦
育てるだけだと
自主性とか主体性とか
なんなら個性も引き出したり助長できるけど
まぁ、怪我するし、失敗するし、悲しむことになるよね💦
なので、
おとーさん・おかーさんも、先生も、先輩も、上司も
「教」と「育」を時々使い分ける
そんなウデ(技術・スキル)を身につけたいよね💕
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