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父。

ひさしぶりの投稿です。
12月~1月にかけ気持ちも時間も落ち着くことなく過ごし、気づけば2ヶ月も空いてしまいました。。

先日、大好きなnoterさんがお父様のことを書かれていました。この2ヶ月間の出来事もありおれも父親について書いてみようと、note再開です。

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おれが幼い頃から父はとても厳しい人だった。でもたくさん遊んでもらって・・・と書きたいところだが、無邪気にうきゃきゃと遊んでもらった記憶はない。何事も真面目で真剣な人だったのかとんでもなく不器用な人だったのか、キャッチボールでぶち切れられた記憶はある。

そして、子どもを子ども扱いしない人だった。ひとりの人間として、何なら大人(社会人)と対等の存在として見ていたように思う。もちろん、父としてはそんな気はなかったかもしれないし、社会人として扱うなんてそもそも無理だし、当時子どもだったおれにそんな意識もなかったけれど、いま振り返るとそういう認識になる。


小学校4年生くらいだったかな。父の友人が開業していた遠方の歯医者さんへ、父の運転で連れていってもらうことになった。先に運転席に乗り込む父。少し遅れて助手席に座るおれ。

・・・出発しない。しばらくたっても車は動かない・・・どころか父はエンジンすらかけていない。車内は沈黙。父を横目で見やると、表情を変えずに何もない前方を眺めている。

気まずさに耐えられなくなったおれが、行かないの?と口を開きかけた瞬間、父が言った。

『なにか言うことないのか』
(えっ・・・)

訳がわからず固まっているおれに続ける。

『人に連れていってもらうのに、なんか言うことあるやろ』
(えっ・・・、あ・・・)

「・・・よ、よろしくおねがい、します。。」
『そうだな』


翌週からひとりバスで行くことにした。

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恥ずかしながらおれ自身の黒歴史エピソードは数多あるが、父親との関係性において、思い出すと今でも胸がぎゅうっと苦しくなり、イタすぎて恥ずかしすぎて居たたまれない感覚に陥る記憶がある。


あまちゃんでクソガキだった思春期の頃、家出をしたことがある。100%おれが悪いんだけど、自分勝手なあほなことを言い出して、それが親に受け入れられなくて大喧嘩。

もうこんな家出てったると玄関に向かう。引き止めようとした母の手を払いのけ・・・、そこまではよかった。いや全然よくないけど。
両手でおれに掴みかかってきた父に膝蹴りを合わせて突き飛ばすと、あっけなく倒れそこで悶絶していた。おれは空手をやっていたが、親に頼み込んで習わせてもらったものを最悪な形で父に向けてしまった。

厳格で怖かった父親に力で勝ってしまったことが、おれはショックだった。自分が手をあげたのになんとも勝手だがとにかくショックだった。

そのまま玄関を開けて出ていくときにふり返ると、父も母も黙ってとても悲しそうな顔で立ちすくんでおれを見ていた。

「おれはあんたたちとは違う。」

ふたりにそう吐き捨ててしまった。

兄は何も言わなかった。何も言わず外まで出てきて、1万か2万か忘れたがお金を渡された。金ないやろ持ってけ、って言われた気がする。地味で静かで真面目で思いやりのある兄。対照的な兄弟だったから親は本当に苦労したんじゃないかと思う。

10日くらいして家に戻ったとき、母は「おかえり」と、ごはんを作ってくれた。食べながらおれは「ごめん」と言った。

単身赴任していた父は、いつも通り家にはいなかった。母に言った言葉を同じように伝えるタイミングを無くし、以来、父もおれもその話題に触れることはなかった。

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仲が良いとも悪いともいえない関係で、フツーに会話もするし一緒に酒も呑んだ。母への愚痴を聴いたこともあるし、おれの仕事の相談にのってもらったこともある。

ただ、おれの中でなんとなくずっと居心地の良くないわだかまりがあった。あの時のこと、ちゃんと伝えなきゃ。気まずかったのはきっとおれよりも父のほうだ。だからこそ、おれが伝えなきゃ・・・

そんな父との別れが近づいている。

3年前、治療法のない進行性の難病を発症し、あっという間に昔の面影は無くなってしまった。なんでも自分で器用にこなし、博識でこだわりが強く、いつでも厳格なイメージだった父は、文字通り誰かに頼らないと生きられなくなった。


2020年12月、容体が急変したと連絡があった。主治医は、今日かもしれないし、一週間後かもしれないし、もし持ち直したら数ヶ月後かもしれないと言った。難病であるがゆえに父親のちょっとした状態の変化によって切迫のレベルが異なると。

年は越せないか・・・と覚悟した。

ドアtoドアで3時間以上離れた地域に住んでいるおれは、リモートワークと有休と週末を使って出来るだけ実家にいる時間を確保し、何かあった時には一緒にいられるようにした。実家に向かうとき、実家から自宅に戻るとき、出勤中、打合せ中、落ち着かない日々が続いた。

父はまだ頑張っている。

なんか、ずいぶんと親不孝だったと思う。本当に、かわいくない息子だったと思う。でもきっと、親はそんなふうに思うことはないんだろうな。それがわかるから余計に切ない。


親父、おれまだ謝ってないよ。
あの時の気持ち、全部伝えるからもうちょっと頑張ってよ。


こんなふうに父との思い出や気持ちを整理して書くということは、noteが与えてくれた貴重な機会だ。

生きているうちに、ちゃんと言葉に。






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