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祈るという習慣

僕のプロフィール画像からは、考えられないと思いますが地味に『祈る』ということを習慣にしています。

朝は「今日も一日守って下さい」

寝る前は「今日も一日守って頂いてありがとうございました」

で一日が終わる。

何に祈っているのかは、よくわからないが多分、先祖とか守護霊とかであろう。念のために宇宙霊も含んでおこう。

手を合わせる動作。

言葉による出力。

よき事を思うイメージ。

意外にも上記の三つの行動はポジティブになる『一隅流3点セット』である。

なぜ習慣になっているのか小学生まで記憶を遡ろうとしよう。

小学生の記憶

はっきり言って、あまり学校に行くのが好きではなかった。

良い思い出もあるが悪い思い出のほうも記憶に残るものである。

最悪だったのが、小学3年生の時、授業中に筆箱を隠され「返して!」騒いでいた時である。

授業は学校の教頭先生であった。

うるさかったのであろう。

授業中に呼び出された。

黒板の前に・・・・。

「この子は悪い子です!」

はっきりとクラスのみんなの前で言われた。

隠された筆箱を探していただけなのに・・・・。

悪い子のシンボルになってしまった。

グレてませんけど。

大人なら理由くらい聞いて欲しいと思った。

こういう事もあり、学校に行くのが好きではなかった。

また、当時は親父が毎朝仏壇の前で拝んでから出勤していた。

この影響の方が大きいだろう。

教頭先生に怒られてから、僕も仏壇に手を合わせるようになった。

するとどうだ。

案外、一日が平和に終わる。

平和に終われば自然に「ありがとうございました」と一日に感謝できる。

不思議な感覚である。

習慣化されたスタート地点である。

大人になって

マイホームに仏壇がなかったので『祈り』に変化した。

気持ちが楽になるものである。

気持ちが楽になると、笑顔が増える。

今は、光トポグラフィー検査の結果『うつ病』と診断結果がでた人であるが、笑顔を絶やさない人ではあったと思う。

特に営業の女性とかのやりとりなんて『お笑い』を入れたものである。

まあ、相手にもよりましたが。

サプライヤーに対しても、よく『お笑い』をいれたものである。

笑ながら納期の督促をする。『笑う鬼』といったところだろうか?

部下に対しても笑顔で接する。

困っていそうな時などがそうである。

事情を素直に説明してくれる。

今は家族に対しても出来るだけ笑顔で話すようにしている。

最後に

だいたい、どこの国でも宗教的な文化がある。

人類の歴史からみても、祈らなければ、神様を持たなければ冷静でいられない状況があったのだろう。

また、感謝の気持ちは心の宝ものである。

少し西田文郎先生の言葉をかりよう。

感謝を知ることで、人は自己中心的ではなくなる

感謝を知ると、素直になれる

感謝を知ると、物事に不平不満を抱かなくなる

感謝を知ると、自分の苦しさや辛さは平気になる

感謝を知ると、何にでも喜びが感じられる

            『人生の目的がみつかる魔法の杖』より抜粋

祈りと感謝なんてただである。税金かかりませんから。



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