根拠のない「大丈夫」:育児日記
4月7日の緊急事態宣言以来、保育園も休園になった。
イヤイヤ期まっただ中の1.7歳娘さんとともにリモートワークする僕と妻は、休園と同時に詰んだ。
リモート会議や作業が落ち着いてできるようにと物置部屋を片付けて作業部屋に仕立て、互いのスケジュールをタイムツリーに入れて会議がバッティングしないようにする。提案者の僕がタイムツリーに入れ忘れてよく怒られる。
気づいたら午前中から夕方まで隙間なく夫婦で入れ替わり会議をしている日もある。
交代制で面倒をみるぶん、仕事は細切れになり、集中力は途切れ、家事も中途半端になりがち。
さらに、子どもに不自由を強いていることへの後ろめたさも襲ってくる。
「ごめんね、ごはんの支度するね」
「ごめんね、ジョージ(おさるのジョージ)見てて!」
「ごめんね、お散歩もうちょっと待ってね」
するとどうだろう。娘もアラームのように「ごーめんね!ごーめんね!」と言うようになってしまった。なんだか楽しそうに。
妻と僕は絶句、唖然、ぽかん。マジか。
同じように「大丈夫?」と声を掛けることも増えていた。
「大丈夫?怪我してない?」
「大丈夫?自分で脱げる?」
言葉をどんどん吸収中の娘は、これもコピーした。
けれどなぜか、僕の不安げな疑問文ではなく「大丈夫!」と肯定文で返してくれるのだ。もしかしたら妻がそう言っているのかもしれない。
うれしくて、「もう一回言って」と欲しがる。
頼りない親だ。
映画『天気の子』で「僕たちは、大丈夫だ」というセリフが印象的だった。
「ベイマックス、もう大丈夫だよ。」(『ベイマックス』)
「もう大丈夫よ、レオン。」(『LEON』)
「トニー、私を見て。私たちはもう大丈夫よ。あなたはもう休んでいいのよ。」(『アベンジャーズ/エンドゲーム』)
映画で聞く「大丈夫」には根拠が伴わないことが多い。いったん言ってみて先へ進もうとする宣言だったり、戦いに倒れた者を受け止める抱擁そのものだったり。
ずいぶん無責任な言葉でもある。でもそれが物語を前へ進める。
物語を軽く超えそうな現実のただ中にいる僕らがいちばん欲しい言葉でもある。
ぜんぜん大丈夫なんかじゃないけど。
あなたには僕らがいる。だから大丈夫。
これ以上の根拠がどこにあろうか。
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