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【2024note書き初め】年始に考えていたとりとめのないこと

年明け早々目を覆いたくなる厄災の連続。こういう時SNSや各種メディアから流れてくる情報を目にするだけでも過去の災害の記憶が蘇ってきて心が辛くなりがちなので、意識的にSNSやメディアからは距離を取るようにして過ごしています。まあ、ちょっとしたデジタルデトックスにもなるし案外不自由でもないし。

焦燥感や使命感みたいなものに駆られるけれど、自力で現地に乗り込んで災害復旧に従事する程には行動力は無く、そんな何も出来ない自分に自己嫌悪に陥るという事が今の自分と比べて若い頃は多かったような記憶がある。

子どもの頃から幾つか大きな災害を目の当たりにしながら、すこしずつ身の丈に合った支援の仕方や、心の折り合いのつけ方を覚えてきたそんな感じなのかもしれない。

3.11の時にある程度そういった心の距離感を掴んだ感覚があって、既に社会人だった僕は目の前の仕事を頑張って経済を停滞させない様にするのが使命だろうと思えるようになってから随分気持ちが安定するようになった。

今回の能登地震でもそのスタンスは変わっていない。10年ぐらい前に石川県に旅行で行った時に立ち寄った妙立寺(忍者寺)は大丈夫だったのかなとか、加賀温泉で宿泊した旅館は無事だったのだろうかと思い出しながらも、粛々とYahoo!募金で手持ちの電子マネー残高を全部募金した。

1月3日の深夜に近場の神社に初詣に行った時、手を合わせて目を閉じたら僕にとって身近で大切な人たちの顔が次々と浮かんだ後、旅行で行った金沢市内や加賀市の風景やそこで出会った人の顔が浮かんできた。
どうか無事であって欲しいと神前で祈りを捧げた後思うのは、今は状況を見守りつつ一段落したらまた石川県に旅行に行こうかなとそういう心持ちでいます。

僕は運動不足解消と趣味を兼ねてクロスバイクっていう種類のいわゆるスポーツ自転車に乗っているんですけど、冬場になるとほぼ乗らなくなります。理由は寒いのと服装の調整が難しいから。

その代わり、冬場はなるべく毎晩5km以上ジョギングをするようにしています。いつも近所にある公園内の決まったコースをぐるぐると周回して、このアルバム1枚聴き終わったら帰るとかそういうことを夜な夜なやってたりします。

けどこの年末年始の間、完全にジョギングをサボって寝正月を放いていた影響でテキメンに体力が落ちていてこりゃあかんなとなり、今少し焦りながら体力を元に戻している最中です。

年齢を重ねていくにつれて体力を増強させる以前にキープさせることの大変さが身にしみるようになってきていて、一度落ちた体力や筋力を元に戻すのが結構しんどい。

気持ちはまだまだ若いつもりだけれど、確実に身体は衰えていって、気持ちに身体がついていかないことが多くなったし、徹夜も年々しんどくなってきた。

それでもめげずにそれに抗うように身体のコンディションや食べ物に気を使っているのはいざという時、最後に頼れるのは自分自身の肉体ひとつという想いがあるから。

僕は3.11発生当時、五反田に仕事場があってそこで震災を経験した。公共交通機関が麻痺してしまってオフィスに留まっている同僚たちを尻目に、自宅まで歩いて帰ることにした。

五反田のオフィスから自宅まで6時間以上かけて革靴と背広で自力で歩いて帰宅出来たことが結構大きな体験として残っていて、何かしらの有事があったときにどんな悪路でも独力でA地点からB地点へたどり着くフィジカルや冷静な判断能力の重要さ、大きく括ると人間一人の総合的な遂行能力(ミッション達成能力)の重要性を身をもって体感したのがこの時だったように思う。

それまでも散歩は好きで比較的良く都内を歩き回っている方だったけれど、災害が起こる度に思い直すのはゆっくりでもいいから何時間でも(歩みを止めずに眠らずに)歩き続けられるフィジカルとメンタルを持っていなきゃなということだ。


今回の様な大きな災害で道路が寸断されていたり、通信網(携帯とか)や公共交通機関がストップしてしまったとき、結局頼れるのって己の知恵(経験や状況判断能力)と体力(フィジカル)、そして精神(メンタル)だと思っていて、だから僕はよく遊びに行く場所や職場と自宅間を必ずと行っていいほど徒歩で歩いてみることにしている(他にも理由はあるのだけれど)。

どんな時でもどこからでも自力で歩いていけるように、都内の地理地形とりわけ土地の高低差や河川の位置や治水、都市整備計画などそういうところに興味を持つようになったのもそうした理由が僕の心にフックを掛けた気がする。

いつもそんなことを考えながら深夜散歩したりジョギングしてるよっていう話し。

それと新年ということで抱負みたいなものとして、しばらくやっていなかった瞑想を毎日短時間だけれど再開している。今住んでいるところの住環境がそんなに良くないのでいつまで続くかわからないけれど、今のところ順調に続いている。

ある程度習慣として座ることが再定着したら、今年中にまた10日間の瞑想合宿に行きたいなとも思っている。

2022年に書いた瞑想合宿の体験記を読み返していて(超大作だけどクソ長い)、この合宿は本当に環境が良かったし瞑想と向き合うには僕の知る限り最適な場所だったなって最近特に恋しくなっている。

なんかねでも、瞑想やマインドフルネスって自身の欲や執着から開放された境地を目指すのが到達点の1つとしてあるので、アイドル現場とは対極にあるような存在で瞑想実践との相性がとかく悪い。

瞑想実践をちゃんと続けながらそれでも地下アイドルのオタクを続けるとしたら、かなり大目に見て在宅オタクぐらいの距離感がベターで年2~3回程度ワンマンや周年ライブを観に行くぐらいの頻度に留めた方が賢明だし、チェキや会話なんてもっての他だし、ツイ廃みたいな習慣も本当によくない。良くないことだらけのオンパレードだ。

地下アイドルの話題になったついでに、昨年僕が足を運んだアイドル現場数が遂に100現場を切って90弱にまで減少した。

2022年が160現場ぐらいだったので大幅減だ。それでも今のモチベーションや興味を引くグループの数を考えると2024年は50現場前後に落ち着くんじゃないかなと言うのが正直なところですね。

これだけモチベーションの低下が著しいのは年末に投稿した2023年を振り返っての記事内で言及したことが大きく影響している。

最近特にグループの解散や活動休止、アイドルのスキャンダル、コンプライアンスがどうかしている運営など目にしたくないもの、地下アイドル界全体の品位を下げる事柄に少し触れすぎてしまった嫌いがある。
<中略>
最近の地下アイドル界隈に対して感じている嫌悪感の正体が何なのかがはっきりと分かった。業界全体としてモラルの低下が著しい!これに尽きる。

2023年を振り返ってより抜粋

自ら糞まみれになりたくて現場に来ている人がいることも理解できるし、そういう糞にまみれさせることを商機にしているのもわかるし、そういう楽しみ方や売り方を否定するつもりは全然ない。

けれど知らず知らずのうちに自覚症状なく他人の投げた糞で窒息しそうになって苦しんでいる仲の良いオタクや、同じく自覚のないまま糞で塗り固められた神輿に担がれている推しも正直なところあまり見たくないなあ。というのが率直なところです。

しっかりとしたポリシーや管理体制を持った運営やグループが(地下オタク以外の一般層を取り入れながら)人気を伸ばしていく一方で、味噌でも糞でも楽しければ良し、キャッシュが入れば良し、というのもある一定規模までは正しいのかもしれない。けれど目先の実入りにばかり目がくらんでしまうとすぐ限界がきてしまうんじゃないかなっていうのは2023年のシーンを見ていて思ったこと。

売れるところは地上に手を掛けるところまで1年足らずで到達する一方で、どうやって利益を出しているのか心配になるぐらい過疎ってにっちもさっちも行かないところのコントラストがより鮮明になっていく気がしてならない。そしてその脇で嬉々として糞の投げ合いが行われている…目も当てられない。これまでの渾然一体としたびっくり箱みたいな地下アイドルシーンはもう無くなっていって2極化がもっと進むんじゃないのかな。

それでも良い楽曲や面白そうなコンセプトのグループがいればフロアに足を運ぶだろうし、同じフロアで糞の投げ合いをしていても大して気にならないのかもしれない。けれど、市場が今よりも更に縮小していって魅力的なグループがどんどん撤退していってしまったら僕はもうフロアに戻らないだろう。

幸いなことに今のところ継続して応援したいし、ライブが楽しいっていう魅力的だし精力的に頑張っているグループがいくつかあって、そういうのを加味して2024年は50現場前後がいいところかなという目算に落ち着いた。

年末年始にかけて随分辛辣なことを立て続けにnoteに書いたなと思っているけれど、あくまで僕はこの地下アイドルというシーンやカルチャーが好きだし、どうにかこうにか良い話題で世間の目を集めてもっと盛り上がって欲しいなという気持ちです。

当記事ではアイドルの話題は敢えて書かないようにしていたのに、結局最後はアイドルの話を長々と書いてしまうぐらいには好きなんです。

#note書き初め
#ナイショの抱負


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