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タコもおだてりゃ木に登る


コーヒーの花

#創作大賞2024 #恋愛小説部門
あらすじ
1986年冬、中華レストランのバイトをしている私は、上司と恋愛がらみのいざこざでヒタチに去ってしまった主任、カワグチさんに会う為に「体調不良」と嘘をついて初めてバイトを休む。それからの話。


1.遭難
私はどこへ向かっているのか、どこへ行こうとしているのか、千代田線は幾つもの駅を過ぎ、嘘をついて休んだバイト先からはだんだん離れていく。ぼんやり思った、あんたはカワグチさんの所へ向かってるの、あんたはカワグチ主任に会いに行こうとしているの、あんたはカワグチさんに抱かれに行こうとしているの。馬鹿じゃないの、カワグチさんはあんたの事なんてちっとも考えていないよ、台湾人のリョウさんに横恋慕して、ゴリラみたいな副支配人 の小島さんに嫌われてヒタチに行く羽目になったカワグチさん。確かにあの夜カワグチさんはあんたにキスしたかもしれないけど、あの時は酔っていたんだよ。駅までの広い歩道を歩きながら、皆はそのままドトールの角を右に曲がって見えなくなったが、カワグチさんは何故か歩道橋の階段を上がり始めた。その後ろを離れて歩いていた私は「え、ちょちょっと、なんで…」と追いかけて駆け上がった。歩道橋の上で、駅の方ではなく店のある左手の通路へ歩いたかと思うと、ふらついたカワグチさんを支えようとしたあの時、急にカワグチさんの顔が近づいてきて…その瞬間突き飛ばした私の眼鏡は何処かへいき、私とカワグチさんは尻もちをついていた。私の耳に「お前あんがい鼻低くねぇな、」と言うカワグチさんの声が聞こえてきた。「なに」「なんで」言葉は出ない。そして眼鏡もないのに私は駅まで走り出していた。どうやってアパートに帰ったのか、まるで覚えていなかった。次の日バイト先へは行ったけれど、眼鏡を無くして仕事にならないと言って休もうとしていると、一階フロントに呼ばれた。私の眼鏡はフロントに預けられていた。カワグチさんはあれからずっと何も覚えていない風を装った。だから私も知らん顔を決め込んだ。そして数か月後、カワグチさんは店から退職していった。チーフの知り合いの店がヒタチにあり「そこへ行った」と岡田主任と佐々木先輩が話しているのを聞いたのは、一月ほど前の事だった。私はそれから少しづつ眠れなくなっていた。その中華レストランは、駅からも見える場所に確かに存在してはいたのだが、その入口は歩道橋の真下にあり、一見して目立つ事もなく、もしその前を通り過ぎて店の存在に気づいたとしても、どこかひっそりとしており、誰もが気軽に入ろうとするような、そんな入口では無いように思えた。私はその日当時時給の高かったその街で、さんざ足を棒にしてアルバイト先を探していたのだが、九州よりもっと南に位置する離島から都会に出て来たばかりで、ぽっちゃりとした体型に、上下微妙に色の違うジージャンとジーンズに白いTシャツに大きめの丸メガネという、どうにもこうにも洗練されているとは言い難い恰好の19歳は、どこへ行っても相手にされず、私は行く先々で「残念ですが、今回は…」と言う何人もの困惑顔と薄笑いを見る事になった。まともに面接さえしてもらえず断られ、身の程知らずだったと疲れ果て、帰ろう…と駅の方へ坂をふらふら上って来て、その歩道橋の階段をうっかり通り過ぎてしまった時、左手の壁のオレンジ色のプレートが目に止まった。『従業員・アルバイト募集』と書かれた、壁に嵌め込まれたオレンジのプレートをしばらく呆然と眺めた後、その壁のプレートの横に空いた暗い円型の入口をくぐって私は中へ入っていた。そこにはガラスの自動ドアがあり、その薄暗いドアの中に入っても、ただ幾つかの宴会らしき団体名の書かれた札のスタンドが立っているだけだった。見ると左手に地下への螺旋階段が見えた。営業しているのかどうかさえわからず、とまどいながらそれを下りて行くと、赤い絨毯が続く細長い廊下に降りた。廊下の左手の壁沿いには隙間なく椅子がびっしりと並べられ、右手には旅館の和室の様な引き戸の入口が数メートルおきに並んでいた。薄暗い廊下の先に不意に天井が開け、地下へ下りたはずが何故か左方向の窓から光が差す、明るい場所へ出た。左を見るとガラスの自動ドアがあり、その又向こうに外の駐車場らしき外界へ開くもう一つ別の入口が見えた。歩いて来たそのままに進むと、左手に更に下へ降りる階段が見えた所で、右手の受付らしい小さな凹みのスペースに、焦げ茶色の制服を着たお姉さんが二人並んで立っていた。その二人は私より先に私に気づいており、二人にじっと見つめられ慌てた私は「あのう…」と、表のプレートを見てアルバイトの面接に来た事を伝えた。片方のお姉さんが何処かへ電話をし、もう片方のお姉さんに「少々お待ち下さい」と言われ私は待つ事になった。お姉さん達の視線から逃れようと右の壁に寄り、歩いて来た廊下を振り向き天井から吊り下がる照明や壁や造りを見ていると突然、背の高い、蝶ネクタイに黒服の人が現れ「お待たせしました。こちらへどうぞ」言い、優雅な足取りのその人に続いて広い階段を下りると、途中の踊り場辺りから下の賑わいが聞こえて来た。階下のホールには大小幾つかの中華テーブルが見え、それを囲む人々の声、料理を持ってテーブルの周りを行き来するウエイターやウェイトレス、瓶やグラスのカチャカチャ音とともに温かな料理の匂いが漂って来た。長身黒服蝶ネクタイのその人に促され、私は事務所と言う小部屋へ通された。笑うと目尻の皺が頬の下まで届くようなクシャっとした笑顔のその人は、テレビか映画のスクリーンから抜け出たかのようで、まじまじと正視する事さえ気恥ずかしくなるような色男、そして低いテーブルに置かれた名刺には六本木晴明と書かれてあった。「なにこの人、この名前…」と私は思った。そう思わずにはいられなかった。後に六本木主任は六本木ではなく群馬出身だと知ったが、それでもこんな人がそこらに、フツーに存在しているのか、フツーにと、私は東京の底力を思い知らされたような気がした。六本木主任はその時私の中で確かに東京の象徴そのものだった。だがしかーし、確かに六本木主任は甘いマスクに声も低音の魅力で、たまに帰りの電車が新宿まで一緒になると、ちょいと背を屈めて電車に乗り込んだ瞬間からその車両のお姉様達の視線を一気に集める程のバッキャローハンサムではあったし、あのタチヒロシばりの低い声で「ツカサは新宿乗り換えか、新宿まで一緒だな…」などと私に話しかけていると「何故この人がこんな子に話しかけている?」と、くだんのお姉様達からそれとなくチラ見され聞き耳を立てられているのを感じ「ふふふ、」と思わないでもなかったが、そういかんせん私は面食いではなかった。バイト先の中華レストランには、六本木主任の他に、六本木主任と並んで女性常連客の人気を二分する、若く背は六本木主任より低いけれどオールバックに毛束を少し額に垂らしたツンツンヘアーにツヤピカ肌のやさ男、榎本主任、パンチパーマ風ヘアの岡田主任、カワグチ主任、ボテッとボディにモジャヘアーの新井主任と、主任の下には「キャプテン」と呼ばれる菅根さんがおり、それをすべて束ねる総支配人の下に、マネージャーと呼ばれる副支配人の長身ゴリラ顔の小島さん、小柄でいつも驚いた様なキョロっと目の管さん、ダサくなりがちなポマードの七三分けも黒服も任侠映画ばりにビシッとキマッた、いぶし銀の辻󠄀副支配人がいた。カワグチ主任が、あのスタイル抜群でストレートヘアーにカチューシャの良く似合う、少しハスキーな声も言葉も笑顔も立ち居振る舞いもすべてが美しいウェイトレスのリョウさんを好きになり、小島さんと一悶着あったなどと私には知る由もなかった。背も低く、ずんぐりむっくりでエラの張った顔立ちのカワグチさんを、始め私は密かに「カエルのカワグチさん」と心の中で呼んでいた。残念な事にカワグチさんはちっともハンサムではなかったが、国籍も年齢も性別もバラバラなバイトの誰からも好かれ、ガハハと笑い、しょっちゅうふざけた冗談を言っては空いた時間に私達と良く遊んでくれた。当時流行った「ランボー」という、シルベスター・スタローン主演の映画を真似してか、「ツカサ、打ってみろ」と胸を突き出してくるので「ええー」と言いながら私がぐーで叩くと「まだまだー」と言い、私が段々と強く叩くようになると、仕舞にちょっと痛そうにしながら堪える顔で「まだー」と言い、いやいや…と私達を笑わせてくれた。カワグチさんは、夏休み明けに私が専門学校へ行ってない事に気づいて「お前、学校行ってないだろう?早番ラスト入れよ」と言って来た。誰にも言ってないのに何故知られてしまったのかと思ったが、初めて「お前」と言われて嬉しかった。早番ラストは正直キツかったが何度か入るうちに、私はいつの間にかカワグチさんを好きになっていた。同期の尚ちゃん、とんちゃん、真由美さん、栄さん、多美ちゃんには直ぐバレた。私達はそれぞれ、尚ちゃんは榎本さん派だけど本当は厨房の小山さん好きで、とんちゃんこと16歳の千歳は六本木さん派だけど同級生の影山くん、真由美さんは厨房の中村さん、栄さんはキャプテンの菅根さん、多美ちゃんは厨房の塙さんが好きだった。私は一度も誰が素敵だカッコ良いと言った事は無かったが、帰りのロッカー室で何時ものように好きな人の噂話をしていた時、いきなり「ツカサはカワグチさんの事好きだもんね〜」と尚ちゃんに言われ「いや、いや、ぜんぜん!!!」と慌てて否定したけど「バレバレよね~」と皆に笑われたのだった。初めてのキスだった、あの酔っぱらいと歩道橋の上で、酒臭い匂いと、「お前鼻低くねぇな」と言われたあの時が。記憶の向こうに唇にぶつかるような衝撃と感触がうっすら残っていた。店からカワグチさんの姿が消えても、私は毎日三鷹のアパートと店を往復して何事もなく平穏無事に仕事をしていた。出来るだけ忙しくしていようと思っているのに、それでもふとした瞬間にあの衝撃が急に蘇えり、このままか、このまま、これっきり?、これきりって、なによ、ムカつく、なんなのよ、頭にくる、ああもうほんと、あったまにくる、あったまにくる!!!!!知らん顔で毎日をやり過ごしながら、仕事中の店の中や駅や人混みの中でまるで誰かを探しているような自分に気づくと、本当は何かがずっと心に引っ掛かっているという事を認めざるを得なかった。そしてある日とうとう、地下鉄で降りるはずの駅を通り過ぎてしまった。どの時点でそう決めたのかまるで最初から決めていたように、見知らぬ駅の公衆電話から「体調不良なのでお休みさせて下さい」と店に電話をかけた。電話に出た岡田さんは「大丈夫か、ゆっくり休めよ」と言っただけで、きっと駅の雑音が聞こえていたに違いないのに、それ以上何も聞かなかった。ヒタチの店というだけで住所も何も解らなかった。それなのに行けば会えるとしか思えなかった。だから頭の中で「あんたはカワグチさんに抱かれに行こうとしてるんだよ、馬鹿じゃないの、カワグチさんはあんたの事なんかちっとも考えてないんだよ、馬鹿、ほんと馬鹿、バッカジャネーノ?」と何度声がしてもずっとそれを無視した。そしてぼうっとして乗りそびれた電車を見送ったり、乗り継いだりしながら、思いのほか早く私はヒタチに着いてしまった。



2.漂着
駅を出て何人かの人に聞いた店へ行ってみたが、そこは街場の中華料理屋さんの様にこぢんまりとしていた。どうしようかとしばらく遠巻きに見ていたが、やはりその店では無いと思い、バス通りらしい道を行きつ戻りつしながら人に尋ねていると、駅の近くのデパートに入っている中華レストランがあると言う話を聞いた。きっとそこだとは思ったがいざデパートが見えて来ると、やっぱり急にいきなり会いに行くのはどうなんだ、とか「何しに来たんだ、さっさと帰れ帰れ」と冷たくあしらわれたら何て言うんだ、とあれこれ思った。デパートの一階で店は5階にあるのを確かめ、5階のフロアへ上がる前に下の階でトイレを探して入り、自分で自分に時間稼ぎでもするようにしてどうにか気持ちを落ち着かせた。5階へのエスカレーターを上がると店の入口はほぼ真正面にあり、ああもう逃げられないという奇妙な気持ちになった。地方都市のデパートの平日のレストランフロアはランチタイムのピークを過ぎたのか人影もまばらだった。私は慌ただしさに紛れる事も出来ず、内心ビクビクドキドキしているのを悟られないよう、ゆっくりと一歩ずつ平静を装いながら店に入って行った。カワグチさんらしい姿は全く見えず、女性スタッフさんに奥の席に案内されながら、素早く右手の厨房らしき方に目をやったがカワグチさんはいなかった。私は「すみません、」と立ち止まり「ここに座って良いですか」と、厨房に一番近い右手の窓際の席を選んで座った。ホールは左手の壁際と正面から右手の窓際まで「コ」の字型にボックス席が設えてあり、中央には幾つかの小さな二人席が、観葉植物の鉢植えで仕切られてあった。「ああ、そういう事か、休みって事もあるよなあ、そうか、そりゃそうだよなあ…」と思いながら急にお腹が空いてきて「担々麺を」と頼んだ。生ビールも頼み、気持ちを落ち着かせようと灰皿も頼み、カワグチさんが吸っていて、真似して私も吸い出したマイルドセブンライトを一本吸った。ヒタチの店の担々麺は、原宿店より細めの縮れ麺で挽肉や芝麻醤と良く絡んで美味しかったが、スープの味や麺は「やっぱり原宿の店のが好みかなぁ」と思いながら食べていると、突然背後から聞き慣れた「ありがとうございました」が聞こえた。「うっ」と思い丼に顔を近づけたまま左後方の様子を伺うと、左目の端を、あのいつもの歩き方で、背の低い短い足のカワグチさんが、向こうの通路を左手奥の中年女性二人組のボックス席の方へ向かって歩いて行くのが見えた。私はまだうつむいていたが、カワグチさんがホールを廻ってこちらへ近づいて来るのを察知すると、深呼吸して顔を上げて目線をちょっと下げてから又素知らぬ顔で窓の外へ目をやった。カワグチさんは一旦私の脇を通り過ぎると、えっとばかり数歩斜め歩きで戻って来てじっと私を見下ろし「なぁにしてんだ、おまえはー」と言い、首を傾げたまま目の前の席に座った。私は作り笑いをして「お元気そうで、何よりです」と言いビールをあおると、勢い余ってビールが口の端から溢れそうになり慌てて膝のトーションで拭った。久しぶりに会ったカワグチさんは少し痩せたような気がしたが、辞める前の、知らん顔をするようになる前のカワグチさんに戻った様な調子で「なんかあったんか、どうしたんだ、お前な、来るなら来るって言やぁいいじゃねえか、ったくいきなり来やがって…」と言ったけれど少し嬉しそうにも見えた。歩道橋の一件からカワグチさんが辞めるまでお互いにお互いを避け、仕事以外の会話をまったく交わしていなかったので「連絡もなにも、お店の場所も電話も、何も教えてもらってないじゃないですか…」とちょっと非難めいた口調で私はそう言い、自分でもそれに気づくと考えても思ってもなかった言葉が急に口をついて出て「すみませんが、私、原宿の店辞めようと思ってるんです。申し訳ないんですが、今日は泊めてください、お願いします」と言って頭を下げていた。カワグチさんは火を点けようと煙草をくわえたまま一寸止まって「はぁ、何言ってんだ、馬鹿かお前…」と言った。それからしばらく温かい湯呑でジャスミンティーを飲みながら二人で煙草吸って「皆、元気か」とかどうでも良いような話しをした後で、カワグチさんは「後一時間で休憩に入るから待ってろ」と言って去っていった。私は急に嬉しくなって「はいはい」とココロの中で返事をした。そして「辞めようと思ってる」なんてよく言ったな私、と思った。後一時間で休憩と言ったカワグチさんは30分足らずで戻って来て「…行くぞ」とだけ言った。それから二人で店を出て、カワグチさんの後をついてデパートを出た。厨房とスタッフの方へ会釈をして店を出る時、どうしてもその視線を感じずにはいられなかった。いくら私が馬鹿でもおおよその見当は着く。東京から追っかけて来たらしいよあの娘、それにしても若くない?、煙草吸ってたよさっき、なに、なに、どういう関係?…おおかたそんな会話が交わされたに違いなかったが、私にはどうだって良かった。カワグチさんの後をついて知らない街を歩くのは嬉しかった。前にバイト終わりの「おつかれ」で椅子を車座に並べ、パントリーの魔女「民野のおばちゃん」が出してくれたビールを飲んでいた時、映画の話になり私が「島には小さな映画館しか無いけど、こっちに来て未だ一度も大きなスクリーンで映画を観た事無いなぁ」と言うと「なんだ、今度連れてってやろうか」といきなりカワグチさんに映画に誘われた。それはたまたま、その時の話しの流れと言うそれだけの事だったかも知れなかったが、その時その輪の三分の一程の空気が一瞬「ん…」となったのを感じはしたが知らん顔して「本当ですか、やったー、絶対、絶対、約束ですからねー」と言ってその三週間後、カワグチさんが観たかったという『ランボー4』を、新宿ピカデリーで二人だけで観た。その日が来るまでずっと待ち遠しく、前日もその朝も新宿駅の改札でカワグチさんに会えた時も、最初からもう滅茶苦茶ドキドキワクワクしていたのに、なんとあろう事か私はカワグチさんにもたれたまま途中から完全に熟睡してしまったのだった。ラスト近くになって私が目を覚ました時、カワグチさんは私の頭や肩の重さを嫌がる様子もなくじっとしていてくれた。私はそれが心地良く、目が覚めてからもほんのしばらく寝たふりをしていたが「おい」と言われ、そこからはとにかくひたすら謝り倒した。「お前なぁ、寝てんじゃねぇよ、せっかく連れて来てやったのに…」「御免、ごめんなさい、ほんとにすみません…」映画館を出てからも何度も私は謝ったがカワグチさんは「しょうがねぇなぁ、まぁ、前の方が良かったけどな…」と『ランボー4』はあまり面白くなかったような言い方をした。映画の後は、カワグチさんが新宿駅の近くの「しょんべん横丁」という飲み屋街に連れて行ってくれ、二人で美味しいもつ煮込みや出汁巻き玉子などを食べながらビールを飲んだ。その後、ワタクシとしてはホテルにでももつれ込もうともやぶさかではなかったが「俺、これから用事あるからよ」と言われ、あっさり、さっくり新宿駅の改札で別れたのだった。ヒタチの街を二人で歩きながら、新宿デートの大失敗を思い出して話すと「あん時お前最悪だったよなー、ランボー観ないで寝るんじゃねぇよ、ったく」と又も叱られては謝った。方向音痴の私は、駅の方向と今出て来た店のあるデパートを何度も振り返り、位置関係を確かめながら二人で十分程歩いてカワグチさんのアパートに着いた。木造二階建てで横長の上下会わせて十部屋ほどありそうな、一目見ただけで十分すぎる絵に描いたようなオンボロアパートで、カワグチさんの部屋は、道に面した建物横の赤茶色の錆びた鉄の階段を上ってすぐのいちばん端の部屋だった。部屋に入ると「今夜は店のヤツんとこ泊まるからよ、汚ねえけど好きにしとけ、晩飯は近くに美味いとこあるから連れてってやるよ」とだけ言い、カワグチさんは鍵を置いて店へ戻って行った。入口に四畳半程の台所、奥に六畳の部屋と小さなベランダがあるだけの狭いアパートの部屋に一人残されたが、私はカワグチさんは夜中「必ず帰って来る、帰って来るもん、」と思った。台所には小さな冷蔵庫と調味料を置いたカラーボックス、仕切りの引き戸を挟んだ奥の六畳の部屋にはこれまた小さい炬燵と中古らしいテレビと、掛け布団ごと大きく二つに畳まれた状態の布団が一組あるだけで、カワグチさんの部屋にはほとんど物が何も無かった。掃除機も無く箒が一本あるだけだったので、まずは煙草の匂いのする部屋の窓を開け、布団からシーツを外しベランダで布団を干した。押入れを開けると、上の段の物入れに洋服が乱雑に入っていた。「好きにしとけ」と言われたのを良い事に、私は勝手にお風呂場の洗濯機を回しシーツや汚れていそうな衣類を放り込んだ。そして押入れの中の乱雑に積まれた服やタオルをたたみ直した。カワグチさんの部屋のベランダからは高速なのか、街灯が幾つも毛虫の毛のように並び立つバイパスが見えた。なんだかとても遠い所へ来てしまったような気持ちになった。カワグチさんと二人でこの部屋で同棲する妄想を抱いたが、まさかね…あのオッサンは私とは同棲しないよなぁ、リョウさんみたいにスタイル抜群で黒いワンピースにパンプスの似合う、ストレートヘアーの楚々とした優しい笑顔の美人が好みなんだからな…と直ぐに思った。私はと言えば、身長は155センチで体重は55キロもあって太っているし、アラレちゃん眼鏡におかっぱ頭でいつもTシャツやトレーナーにジーンズで、安い帆布のバッグを斜め掛けにしてスニーカーを履いたこんな恰好のお子様だしな…といつの間にか同棲の妄想は影も形も無くなっていた。

3.道程
私が店に入ったばかりの頃カワグチさんにはまだ妻子がいたのだが、それからしばらくして離婚してお子さんは男の子と女の子の二人でまだ幼く、奥さんは昔アルバイトに来ていた人だったという噂だった。カワグチさんや六本木さんは学生時代から原宿店でアルバイトしていて、そのまま大学を中退する形で店に就職したという話だった。私は綺麗で本当に優しいリョウさんが好きだったが、ゴリラ顔の小島さんにも妻子がおり、実はリョウさんはだいぶ前から小島さんの愛人だったのだが、それを知らずに惚れたカワグチさんがリョウさんに手を出したのかどうなのか、とにかく小島さんと揉めた挙げ句に店を辞めるのだという噂を聞いた時から、リョウさんをだんだん嫌いになっていった。カワグチさんの離婚の原因がリョウさんだったのかどうかは判らなかったが、どちらにせよそんなカワグチさんにまつわる話は、どう見ても30半ばの愚かな中年男という体は免れなかった。そしてリョウさんはカワグチさんが辞めるだいぶ前にいつの間にか店を辞めてしまっていたのだった。その頃、店は本店の拡張工事が終わり、昭和39年のオリンピックに合わせて建てられたという表参道坂に沿って建つその古い建物の、私が面接の時入った店は「迎賓館」と呼ばれる事となり、その「迎賓館」と地下通路で繋がる形で新しい『本館』が、坂の下側を入口にオープンした。坂上の迎賓館と比べ、本館の入口は歩道から明るく広い階段を数段下りた硝子の二重扉で、坂に面したガラス張りのフロントロビーは外からもゆったりと見えた。二重扉の自動ドアを入って目前のエスカレーターを下りると数百席の広々とした大ホールとそれを囲むボックス席、ボックス席の後ろには廊下に並んで10部屋の個室と奥にも広めの個室があり、「鳳凰」と名を冠した大理石床の宴会用の中ホールや、大ホールは天井からのパテーションで宴会用に幾つか仕切りもされるような造りになっていた。それまでの手書きの伝票が導入されたばかりのコンピュータ入力となり、バイトも配膳会のヘルプも、厨房もバングラディシュ人の鍋洗い専用の人員までもが増え、新しい体制に慣れようと皆毎日必死に働いていた。2台のラップトップのコンピューターは導入後半年以上もしょっちゅう不具合を起こし一晩に何度も静止画面となり、その度に手書きの伝票にテーブル番号のクリップが付けられ、デシャップ台から奥の厨房に向けて投げられた。厨房のチーフや鍋振りの板さんや若手の調理人達と、ホールの主任やウエイターとの間ではオーダーミスや伝達ミスからの小競り合いや怒鳴り声がいつも飛び交っていた。パントリーの魔女、通称「民野のおばちゃん」は70歳を過ぎた、小柄で痩せた金髪のショートヘアー、釣り上がった眉と鷲鼻のべらんめぇ口調で、私達が「裏」とか「キッチン」と呼ぶスタッフ専用の作業場より一段上がったパントリーの上から、いつも鋭い視線を投げ、睨みを効かせしょっちゅう「馬鹿野郎!」と怒鳴ってはその圧倒的な存在感を放っていた。私は尚ちゃんより一日遅れでバイトに入ったが、胸にネームを着けない民野さんの迫力にビビって「オガワラさん、ねぇなんかあのおばちゃんすごく怖いんだけど…」と尚ちゃんに話しかけ「民野さんっていうらしいよ…」と教えてもらい、だんだん尚ちゃんと仲良くなっていった。外国の絵本に出て来るような、鷲鼻の魔女そっくりのおばちゃんを始め私達は「魔女のおばちゃん」と呼んでいた。民野さんは、奇抜で派手なレオタードシャツにジャケットを羽織り首に大柄のスカーフを巻き、濃い色の大ぶりのサングラスといった出で立ちでいつも歩いて坂を上がって来るらしく、店の近くの界隈に住んでいるとの噂だった。民野さんは店でカワグチさんや六本木さんより当然長く、副支配人の小島さんや管さんや辻󠄀さんさえも呼び捨てするような人で、くわえ煙草で食器を洗っていたかと思うと、注文が入るとその小柄な体で背後の大型冷蔵庫から瓶ビールやドリンク、宴会のフルーツデザートの大皿を次々と出し、オーダーミスの際に主任がお客様にサービスする、緊急のフルーツ盛合せも手際良く作って出すという働きぶりで店では誰もが一目置く存在だった。「今まで何十人ものバイトが民野に怒鳴られいびられては辞めて行った」とか「民野に睨まれたら命は無いと思え」とか、バイトからバイトへ伝説のようにあらゆる話が囁かれていたのだが、バイト三日目にして、早くもランチに来た若いサラリーマンのお客様に食後の熱いお茶をかけてしまうという、とんでもない大失態をやらかしてしまうほど鈍臭い私は何故か民野に睨まれる事はあっても、怒鳴られる事はそれほど無かった。初めは恐ろしいだけの民野とも毎日顔を合わせているうちにその存在にも慣れて会話も増えて行った。いつか南の島の私の親から当時珍しかった時計草の原種が店宛に送られて来た時、箱いっぱいの黒ずんだシワシワの時計草を見て、大学生の先輩の方々、法政の佐々木さんや数年後にその嫁となる青学の恵子さん、群馬の明大生で私が三鷹に住んでいると聞き「キミは太宰が好きなのか?」といきなり聞いて来た山形さん、 それほどでもない世間話で「来年弟が上京してきて一緒に住まなければならないんですけど、うちのアパート女性専用なんです」と私が言った時、心底同情を禁じ得ないというような顔で「ツカサも、大変だなぁ…」と切なそうにそう言った羽田さんや、北海道出身のアンパンマン似の吉原さん、爪先のトンがった靴でツッカ、ツッカ、と軽くリズムを刻みながら独特の歩き方をする根橋さんや、千葉の黒縁メガネの市川さんも、本当に先輩のみーんなが「何、コレ、腐ってんじゃねぇの?」と口々に言い、私が「いや、これは腐ってるんじゃないんです」と言っても誰も信じてもらえない中、民野だけが躊躇なく割ってそれを食べ「馬鹿野郎、お前ら知らないだけでそこの千疋屋にも置いて無いぐらい高級な果物なんだ」と言って「それ全部寄こせ」と箱ごと貰って行ってくれたので私は本当に嬉しかった。それから民野に何度も「おいツカサ、あのパッション又送ってもらえよ」と催促されたが「すみません、家、農家じゃなくてあれは畑に自生してるやつで数が無いんです…」と言い続けた。それに民野は本当はとても優しく、ラストまで働く者達の為にいつも宴会で出た余りの瓶ビールの数を誤魔化しては「おつかれ」で飲むビールを確保しておいてくれていた。本数はその日の忙しさや宴会の規模によってまちまちで、ラスト近くになると「今日、何本?」とバイト間で秘密の伝言がされ「今日少ないみたいだから俺帰るわ」などと「おつかれ」参加人数は自然調整された。そして厨房からチーフや板さんや下働きの若い調理人達の姿が見えなくなると、時々「つまみ」と称して主任が厨房の冷蔵庫から幾つかの食材を頂戴してきては炒め物などの料理を作ってくれ、オーダーミスで余った料理と共に、私達は少なからず民野の恩恵もうけていた。バイトも配膳会のヘルプも入れ替わり立ち替わりさまざまな人間が働いていた。中国人、香港人、韓国人、台湾人。当時はビルマと呼んだミャンマー人まで居た。中国人と香港人はあまり仲が良くなく、香港人は「俺達は香港人だ」と言って中国人と呼ばないで欲しいようだった。当時まだ香港はイギリスの統治下だったので殆どの人が英語を話す事が出来、中国人とは違うというプライドがあるのだと誰かが言っていた。ビルマ人のゾー・ウータンは、カワグチさんが当て字で考え、辻󠄀マネージャーが達筆で書いてくれた「造 雨丹」というネームを付けてもらい、誇らし気に笑みを湛えて皆は彼を歌う事なく「造さん、造さん」と呼んでいた。バングラディシュからの5人は鍋洗い専用で雇われ、信憑性は無かったが風呂無しの6畳のアパートの部屋に全員一緒に住んでいるとの話だった。地下通路や、よたよた歩きの台湾人のお爺ちゃんシェフが「イッヒヒヒ…今日はドイツの家庭料理だよぉ〜」などと言っては、キャベツとウインナーのドイツ風煮込みと言う、怖ろしく不味い賄いを食べさせる従業員用の食堂で鍋洗いの彼らとすれ違うと、一見して全体的に黒い一群が強い体臭を匂わせながら集まって笑い話をしているばかりでそれはちょっとした圧迫感があった。私達が「おはようございまーす」と挨拶しても、厨房の若い人の真似してしているのか「ウーィ」としか返事をしなかった。いつも集まって国の言葉で話しているせいでいつまで経っても一言の日本語も話せる様子はなく、そのうちだんだん鍋の扱いも雑になった。鍋を2、3m離れた場所から鍋置場のコーナーへ次々と放り投げていく様になり、当然鍋は上手く重なっても外れて床に落ちても大きな音を起てその結果、板さん達にドヤしつけられるという有様だったが本人達は怒られても余り意に介さず、仲間同士で笑い合いながら直ぐまたゲームのように同じ事を繰り返すのだった。それでも大抵は皆勤勉に日本語を覚え、真面目に働いていた。当時はバブル前夜と言われ国が外国人労働者を多く受入れ始めた頃だったが、今は大抵は綺麗な日本語を話し、どんな田舎の工場や現場でもオペレーターや職人としての技術を買われて雇われていたりする。彼らの親の世代はきっと低賃金の単純労働しか与えられず、働く意欲も持てなかったのかも知れないけれど、四十年の間に語学や技術のスキルを身につけて人間が変わっていったほど、何か大きく変わる事が出来ただろうか。祖国を離れこんな異国の島国に来てしまった人たちの事を、私もまた良く知ろうともせず今も自分の事ばかり考えている、今もまだ此処は子供のままの国のような気がするけれど。

4.飯事遊び
カワグチさんのアパートで洗濯を干し始めてすぐにハンガーが足りなくなったので、途中で見かけた小さな雑貨店まで針金ハンガーを買いに出た。外へ出ると、冬とは思えないほど暖かく気持ち良い風が吹いて、日差しは強く晴れ渡る青空は高く美しかった。リサイクルショップを兼ねた様なその店で、古いハンガーの束と新品の洗濯バサミと掃除用のコロコロと自分用に歯ブラシを一つ買った。和室の処々煤けた古い畳のほつれたイグサがなかなか取れず、床に置いた物に細かいイグサが付くのでそれを少しでも取りたかった。それからお風呂場には台所用の小さなスポンジが一個あるだけだったのを思い出し、風呂用のスポンジを買った。洗剤もあれもこれもと買いたかったが、手持ちのお金はあまり無く今夜の食事や帰りの電車賃の事を考え少しでも節約したかった。部屋に戻り乾いた手ぬぐいや、シーツやポリエステルのシャツ数枚を取り込み、次の洗濯物を干した。日差しはまだ暖かかったが、風が少し涼しくなって来たので掃除があらかた済んだところで布団を先に取り込んだ。太陽の熱を吸い込んだ温かい布団に顔を埋めると、カワグチさんの煙草の匂いがした。炬燵の上の灰皿を洗いトイレやお風呂も簡単に掃除しながら、そんな事だけでもカワグチさんにしてあげられる事があると思うとそれだけで嬉しかった。シーツを布団に敷いてその上に寝転がり、サッシのガラス越しに流れる雲など眺めてどきどきしながらのんびりしていたがふと、急にこの街まで来てしまった私は、お風呂に入っても着替えが無い事に気がついて跳ね起きた。それまで色気のある下着を買った試しがなかったが、クレジットカードも持たない私はブラは高いので買うのを諦め、それでもパンティぐらいはどうしても可愛い物を買いたくて慌ててアパートを出た。風はひんやりと冷たく強くなり気温はだんだん下がって来ていた。あちらこちら探し歩き、結局カワグチさんの店が入ったデパートの下着売り場のワゴンの中から、派手過ぎず地見過ぎず値段の安い可愛いピンクのパンティをやっと選んで一枚買ってデパートを出ると、いつの間にか日はだいぶ西に傾き薄暗くなり始めた街にはあかりが灯り始めていた。昼間のあの暖かさはこの強い風に何処へ運ばれたのかと思うほど肌寒くなり、部屋に戻ると窓を閉めて出たのに、日差しが差し込んでいたはずの部屋の中はとても寒く感じられた。台所で鍋を探したが大きめの鍋は見当たらず仕方なく私は大きめの雪平鍋と薬缶にお湯を沸かし始めた。お風呂も水を溜めて沸かし始めたが、ガスストーブは使い方が良く判らず恐くて点けられなかった。ベランダの洗濯物を取り込み、畳んだ物を押入れに収めていると、押入れの箱の中にドライヤーを見つけた。新しい物が何も見当たらないカワグチさんの部屋で、新品のドライヤーを見つけて私は喜んだ。雪平鍋と薬缶のお湯が沸騰したので種火にし、その湯気で少しずつ部屋を温めながらテレビを点け、炬燵でお風呂が沸くのを待って入る事にした。お腹が空いて来ていたが、カワグチさんが何処か美味しいお店へ連れて行ってくれると思って、帰り道の途中で見たケーキ屋さんのシュークリームも我慢して買わなかった事を悔んだ。しばらくしてお風呂が沸いたのでカーテンを閉めようとベランダの窓に立ち外を見ると、先のカーブしたバイパスの灯りが、ずらりと並んで点いているのが見えた。街の上を這うようにくねった巨大な毛虫が毛を逆立て何処かへ行こうとしているようだった。カーテンをぴったりと閉め、畳んだカワグチさんのバスタオルを借りてお風呂場の入口に置き、そのままそこで裸になった。お風呂場の中は凍えるほど寒く、とりあえず温まろうと手桶に汲んだお湯で何度も全身にそれを掛けた。浴槽には水を足しながら又お湯を沸かし、カワグチさんのシャンプーやリンスや石鹸で急いで髪や身体を洗い、またお湯を汲んでは掛けまた最後に頭から掛けたお湯で身体を洗い流し湯船に浸かった。お湯は大分減っていたがしばらくすると全身が温まり生き返ったような気がした。私は自分の身体や胸をそっと触った。今夜カワグチさんに触れられるかもしれないと思うと胸が高鳴りながらも怖ろしく、なぜか寂しいような気がした。身体を見られるかと思うと絶望的に恥ずかしく息苦しくなっていった。よく温まってからお風呂から出て体を拭き、買ったばかりの下着を履いた。髪が乾き辛いので、時間をかけてドライヤーをかけた。普段からまったくメイクをしない私が持ち歩いているブロウペンシルで眉だけを描き、色つきの薬用リップクリームを塗った。台所の換気扇を点け立ったまま煙草を一本吸い、部屋の中で最後の洗濯物を干して炬燵でゴロゴロしながらテレビを観ていると、「おーい」ドンドンドンと声がしてカワグチさんが帰って来た。鍵を外しドアを開けながら「何でですか、お店まだ早くないですか」と言うと「ここんとこ色々あって、休み無しでずっと働いてっから男連中が帰れ帰れってうるせえんだよ、お前が来てっから、早く帰ってやれってよ」と言ったので「あ、すみません…」と謝り、「カワグチさんのお気に入りの店に連れて行ってくれるんですよね?」と言うと、「判ってんだろうけど、洒落た店じゃねぇからな」と応えた。それから少し片付いた部屋に気づいたのか「お前…ありがとな」と言った。私は照れて、そう言えばガスストーブの点け方が判らなかった、と言うと「馬鹿か?何で判んねえんだ?」と言うので、ウチの島ではガスストーブとかあんまり見無くて、炬燵とか火鉢とか灯油ストーブはもちろんあるけど…と言うと、「そっか、お前沖縄だったか南だったな、真冬でもみんな裸足で歩いてんだって?」と言うのでムッとして「はぁ?どうせそうなんでしょうね、」と言うと、さも可笑しそうに笑いながら「部屋温めといてやるよ」とガスストーブを点けてくれて二人で部屋を出た。外は風がますます冷たくなっていた。駅の方へしばらく歩いて、縄暖簾のある居酒屋に入った。店内は温かく半分以上は客で埋まっているような賑わいだった。カワグチさんは常連らしく店のご主人らしき人を「大将」と呼び、ちょっと話してから私を奥へ促し、私は大将に会釈してから座敷へ上がった。二人ずつ並んで大人四人が座ると狭いくらいの小上がりの座敷席に向かい合って座ると、すぐに高校生ぐらいの大将の娘さんらしき女の子が注文を聞きに来た。カワグチさんが「俺は生、お前は」と聞くので「同じでお願いします」と言うと女の子は「大将、生ビール二丁!」と元気な声でオーダーを通した。お通しは表面を少し炙った厚揚げに大根おろしと葱と鰹節がかかった物だった。「お腹空いたー」と一口食べ「ん、これ煮てあるんだ」と私が言うと「美味いだろ」とカワグチさんが言い私は「うん」と、もう一口食べながら「炙ってあるから焼いただけかと思った…」と言うと「ばぁか、霙煮っつうんだこれは」と教えてくれた。生ビールが来たので殆ど食べてしまった霙煮の大根おろしを箸ですくいながら食べていると「お前、料理なんかしそうにないもんな」とカワグチさんが言うので、「しますよ私もたまにはー」と言うと、「まぁ大した事無いだろうな」と言い、急に思い出し笑いをし始めたので「何ですか、またあの話ですか」と言うとさらに笑いながら「あんとき新井の目が点になってたからなぁ…」と言い、私はむっとしたがカワグチさんは「わりぃ、わりぃ」と言いながら更に笑った。それは私が、神宮外苑の絵画館前グランドで行われる早朝野球の試合の応援におにぎりを作って持って行った時、中に入れる具材が足りなかったので冷蔵庫の中にあった大きめの沢庵をま、いっかとそのままおにぎりに入れた為、それを食べた新井主任に「なんだ、これは、おめぇ、沢庵そのまま入れんじゃねぇよ」と怒られ馬鹿にされた事だった。勘弁してよと「…もういいんじゃないですか」と膨れたまま私が言うと、カワグチさんは笑いながら何度か頷きビールをおかわりした。山芋と鮪のヅケ和え、金目鯛の煮付け、茄子の揚げ浸し、烏賊と里芋の煮物、アサリの酒蒸し、カレー味のポテトサラダ、次々と出て来た大将のお任せはどれも美味しく私とカワグチさんは次々とビールを頼んでは飲んだ。カワグチさんが店で作ってくれた海鼠の炒め物を「あの時初めて海鼠食べたけど、美味しかったー」と話した。いつだったか夏に「おつかれ」で誰が言い出したのか「皆、夏休みも無いから、これから海に行って、明日の仕事までに戻って来ようか」という話になった。たまたまだったのか、車で来て店の裏手の駐車場に止めていると言う六本木さんの車を、まだ酒を飲んでない学生の誰かが運転するという事になった。最初は「女の子は駄目、」と言う話だったが、私と尚ちゃんは「湘南」と聞き「行きたい、行きたい」とせがんで食い下がり、半ば強引に後部座席に乗り込んだ。主任はカワグチさんと六本木さんで運転は佐々木さんがする事になった。誰の車だったのか、もう一台の車にもアルバイトの数人が乗り、二台の車の後から若いバイト生二人は中型バイクでついて来る事になった。東京に来てからずっと波の音を聞いてなかったので本当に嬉しくワクワクしていた。いつも電車で見る風景とは違い、街中を走る車の中から夜の東京の街を見るのは新鮮だった。車の窓から高層ビルを見上げると遠くの何処かで『アンジェリーナ』のイントロが流れて来るような気がした。だいぶ時間がかかって、ようやく夜明け前の海に辿り着いたが未だ真っ暗で、近くのコンビニでトイレを済ませ、飲み物を買って海岸沿いの階段に座り、気持ちの良い早朝の潮の香りの風の中でおしゃべりなどしながら夜明けを待っていたのだが、辺りが白々として来た時私が見たものは、日が昇って明るくなってもただただ真っ黒でしかない海だった。目を凝らして、ずっとじっと見つめていても色が全く変わらない海に、その時隣に立っていた佐々木さんに思わず「海なんですよね、これ」と言ってしまった。横浜生まれの佐々木さんは「そうだよ、お前んとことはだいぶ違うんだろうけどな…」とちょっと悲しそうな顔でそう言った。その時の海は真っ黒で砂浜は灰色で、海岸のずっと遠くの方までゴミのような物が夥しく散乱していた。それはあまりにも私の知っている海とは違い同じ海とは思えない程で、自分の知っているそれしか知らない海が、じつはとても美しいものだったという事を知らされたのだった。それでもその夏の夜のドライブはそれからずっと後になっても私の中に残り続けた。帰りに雨が降り、バイクの二人は夏の雨にずぶ濡れになった。皆まだ若く仕事終わりで寝ずにとんぼ返りして東京に戻っても、使われていない店の部屋で僅かばかり仮眠をとったままでその日も普通に働いていた。カワグチさんは酔って来ると語りだし、「仕事ってのはだいたいチームでやるんもんだ、俺はそう思ってるよ。人一人の力なんか高が知れてるんじゃねえか?」とか「忙しければ忙しいほど細心の注意を払いながら客に満足して帰って貰う。それを誰がくだらないと言おうがとにかくやる、それで良くねぇか」などと話した。カワグチさんは私が本当に店を辞めるかどうかで悩んでいると思ったのか、ただ酔っ払って語りたかったのかは判らなかった。私は二人きりで居る時間が愛おしくカワグチさんをひとり占めして嬉しかった。ハンサムでも色男でもなく、大声でよく笑うくせに少し寂しそうでちょっとしょぼくれた中年男、優しくて純粋で愚かで、あれこれ間違ってそれでも毎日不器用に生真面目に生きている。普通と言えば普通の人なのかもしれないカワグチさんの、良く笑うくせにそのちょっと寂しそうな所がたまらなく好きだと思った。酔いが廻ってきた頭で、この人を自分が信じられると思った通りの人だったのかどうか確かめたかったのかも知れないと思った。お酒にそれほど強くない私は酔って、カワグチさんは私よりもっと酔っていた。大将にお代を支払う時、「私も」と財布を出そうとするとカワグチさんは一瞬私の手を軽く叩いて「バーカ」と言って奢ってくれた。私は大将に「ごちそうさまでした」とお礼を言い、店を出てからもカワグチさんに「ごちそうさまでした」と言って並んで歩き出すと、カワグチさんは急に優しい口調になり「いいって、俺も誰かと飲みたかったし」と言った。外は凍えるように風が冷たく、気温はぐんぐん下がってきていて「雪でも降りそうだな、こりゃ」と言いながらアパートの下まで戻って来ると、カワグチさんが「じゃあな」と言ってアパートを素通りして去って行こうとするので、「え、ちょっと、カワグチさん」と追いかけてジャンパーの腕に手をかけると「ばーか、俺は今夜は店のやつんとこ泊まるっつたろうが、」と私の手を払い除けた。その口調に「わかりました、おやすみなさい」と私はすぐに引き下がった。カワグチさんは振り返らずにちょっと右手を挙げただけでその先の角を曲がって見えなくなった。とても寒くて、私はアパートの階段を駆け上がった。部屋に入るととても暖かかった。トイレに入ると、「いや」と思った。きっと、帰って来る、帰って来てよ、帰って来るでしょう?と思った。歯磨きし、部屋の灯りを小さく消して、私は一旦閉めた部屋の鍵をそうっと外して眠った。

5.言訳
最初は唸るような風の音を聞きながら何度も寝返りをうち、なかなか寝つけなかったが、疲れていたのかいつの間にか眠っていた。私は階段を上がって来る物音で目を覚ました。カワグチさんが帰って来て、ドアを閉めて鍵を掛けた。私は背中を丸め入口に背を向けたまま寝たふりを続けていた。カワグチさんは何かブツブツ独り言を言いながらトイレに入り、出て来ると台所と和室の間の戸を開けそして閉めた。よたよたとジャンバーを脱ぎながら寝ている私の側まで来て「ツカサぁ、追い出されたよ」と言いズボンを脱いでいる様子だった。「外はえらく寒みぃぞ…ツカサ…悪りぃな、悪ぃけど、凍えてんだ…ごめんな…」と言いながら布団に入って来た。肌着だけのカワグチさんの体は冷え切っていて、私はうん、うんとうなずきながら全身を硬直させた。何か言おうとしてやっと「おかえり…なさい」と小さな声が出た。カワグチさんは「ツカサ…」と言いながら抱きついて来た。私はその体を受け取るように抱きしめた。お酒と煙草の匂いがした。カワグチさんは私の身体を触り、服の上から胸を揉み始めた。破れるかと思う程大きく心臓の音が聞こえ頭がぼうっとしてきた。カワグチさんが私の服を脱がせようとするので、「じ…自分で脱ぎますから」と言うと「脱がせろよ」と言われ「いや、自分で」と言い、上半身を起こしてブラだけになり横になるとカワグチさんは私の体に跨がった。カワグチさんは私に覆い被さり私が顔を少し傾けると額から頬にかけて唇を押し当ててきた。髭があたってちょっと痛かった。唇を重ね薄暗がりの部屋で抱き合った後、ほんの一瞬カワグチさんが身体を離し私を見下ろした時、自分でも理解不能な感情が沸き起こり突然私の両手はカワグチさんの体を押してその動きに抵抗しはじめた。「え、どうした、ん、おい、ツカサ」と慌てて髪を撫でてきたカワグチさんの手や体を私は払いのけ、身を捩って両脚をバタつかせその胴を拳で滅茶苦茶に叩いていた。カワグチさんは「おい、おい、」と私の両手首を掴んだが、揉み合い、私は「やだ、やだ、だめ、だめ、やだ、やだ、嫌だ、だめ、だめ、だめ…」と言いながら、カワグチさんを突き放そうともがいていた。そうやって一体どれぐらい取っ組み合っていたのか、カワグチさんは諦めたように体を離して、背中を向けて私の隣に倒れ込んだ。「おい、お前、どうすんだよ、俺、どうすりゃいいんだよ…」「…」「おまえなぁ、俺はもうこんな…どうしてくれんだよ…どうしたんだよ…」「だめ…だめなんです…判らないけど、駄目なんです…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめん…ごめんなさい…」私はいつの間にか涙声になり嗚咽しながら泣いていた。しばらくして私の声がだんだん小さくなると、カワグチさんは半分諦め、半分諦めきれない様に「おまえなぁ、やっぱり、だめなんか?俺だって、こんな途中じゃよぅ…」と言ったがそれから「…あぁもう」と小さくため息をついて仕舞に「わかったよ…わかったから、もう寝ろ…」とだけ言った。何が駄目なのか何が「だめ」だったのか判らない。本当はカワグチさんが心から私を好きじゃなくても、それでも良いからと思ってずっと会いたくて会いたくて、会いに来たはずだった。抱きしめてもらおうと思って抱かれに来たはずだったのに、どうしてもどうしてもどうしてもどうしても駄目だった。訳の分からない、カワグチさんには説明の仕様もない、けれどその時、その気持ちの生まれた瞬間を私は確かに思い出した。それは私が確かに聞いたのに、心の中で聞かなかった事に、知らなかった事となかった事にしてしまっていた事だった。数週間前のある夜、仕事の終わり間近の時間に、大ホールのボックス席で片付けをしていた時に聞こえて来た話だった。ホールに面して並ぶボックス席には仕切りがあるだけで上部の空間が空いていて、その後ろには廊下があった。そしてその廊下に並んだ個室のドアを開けたまま、中で片付けをする佐々木さん達の会話が聞こえてきていた。カワグチさんが東京を引き払う前に数人でカワグチさんの家へ行き一緒に飲んだ事、その時カワグチさんは泥酔してほとんど酔い潰れ、寝言のように別れた奥さんの事を「アイツ帰って来ねぇかな…」と言っていたという話だった。知らない、「知らないよ」と私は思っていたた。大人の事情なんて、私の気持ちとは関係ないし、知ったこっちゃないよと思っていたし、ここまで来てカワグチさんに抱かれてカワグチさんと私がもしも万が一恋人になったとしても、やっぱりたった一度きりの関係でもどちらにしても「知る訳ないよ、知るもんか」と思っていたはずの事だった。カワグチさんが私を見下ろした時、薄暗い部屋の中、極度の近視で何も見えないはずなのにちょっと笑っているカワグチさんを見た瞬間、ほんとうは、この人が求めているのは、誰でもいいからセックスする事じゃないんだ、ほんとうに抱きしめたい人は私じゃない、他に居るんだ、と思ってしまった。判ってしまった。今は私が目の前にいるから、だから私とはこの行為だけで、今夜だけセックスして一度きりの関係で、私だってもうそれきり何も無くしらん顔で生きられるかも知れない。でもたったその一度きりの出来事が、すべてを変えてしまうかも知れない事への怖ろしさ、最初っから解っていたはずの、奥さんと二人の子供の居る男のすべてはやっぱり重く抱えきれないという思いと、その時頭の中に急にどっと、わあっと押し寄せて来た、それでもやっぱりホントのホントは私を本当に好きになって欲しい、私を、私だけを求めて欲しいという感情は、どうしてこうも我儘で身勝手なんだろう。カワグチさんが欲しかった。多分カワグチさんの全部を私は欲しがった。絶対手に入らない物を心まで欲しがった。手段として抱かれる事で私はカワグチさんの心まで手に入れようとして、でも私には手に入れられないんだ、とどうしようもなく悲しかった。だから違う、駄目だ、と思ってしまった。何でなんだろう、抱かれる事を、そういう事を、ずっと前からカワグチさんといつだって出来るつもりでいた。大人になったつもりでそう思っていた。それなのにその時何かが私の中で決定的に「違う」とカワグチさんを拒否してしまった…私はやがて泣き疲れ、いつしか眠ってしまった。

6.笑い話
「おい、雪だぞ」とカワグチさんに言われ私は目を覚ました。「起きろ」と、カワグチさんが言うので起き上がり、窓の外を見ると信じられないように真っ白な風景が広がっていて、私は窓の向こうを呆然と見ていた。巨大な毛虫のバイパスは白く凍りついたまま死んだ様に静止していた。「俺、休みだから駅まで送ってくわ」と、カワグチさんは優しかった。ゆっくり遅めに起きたので、駅前まで行く頃に街はもうとっくに動きだしていた。外はとても寒く少し積もった雪は溶け始めていた。真っ白い街の中を二人で駅まで歩いた。駅ビルの上の階に洋食のお店が入っているからそこで何か食べよう、とカワグチさんが言って入った。店はお昼前でほぼ満席でとても賑やかだった。カワグチさんはハンバーグセットを、私はスパゲッティを頼んだ。食後のコーヒーを飲み終わる頃いきなりカワグチさんが「俺、お前とセックスしなくて良かったわ…」と言い出した。「え、え、えっ」と慌てる私を見ながら平然と「俺、お前と、セックスしなくて、良かった、ほんとーに、良かったわぁ」と変な女口調で区切りながらもっと大きな声で言うので「え、やめて、なんですか、ちょっとお…」と立ち上がり、カワグチさんの口を手で塞ぐようにすると、カワグチさんは可笑しそうに私から逃げ、なおも「俺…」と言おうとするので、わかりました、わかりました、すみません、すみません、と私も大声になり、周囲の人達に見られながら慌てて私はカワグチさんを引っ張ってレジまで連れて行き、支払いをしようとすると「ばあか」と言って私を制して支払いをしてくれた。ホームで電車が来るまで、ニヤニヤ笑いのカワグチさんに何度も大きな声で「お、れ…」と言われ「やめて…」とそれを言わせないように私が止めるという、ふざけた遊びのようなやり取りをした。そして最後に「じゃあな」とカワグチさんは言い、私は「すみませんでした」ともう一度言って頭を下げた。私はカワグチさんの姿が消えても手を振り続け、カワグチさんは最初手を振る私を笑いながら見ていたが、電車が動き出すと後ろを振り向いて歩き出し、ちょっと右手を上げただけで二度と振り返らなかった。私はしばらく乗降口にもたれていた。窓の向こうは真っ白な街が続いていて、遠くの方にカワグチさんの部屋の窓から見たあのバイパスが見えた。電車は急行で、乗り継ぎなしで東京まで行く様だった。席に着いてぼんやり窓の外を見ているうちにうとうとと眠ってしまった私が気がついた時、電車はもう東京駅のすぐ近くまで来ていた。すべて、まるで、嘘だったかのように、窓の外にはほんの僅かの雪も残っていなかった。何事もなく日は過ぎて行った。店の誰彼に何か言われる事も想像していたが、岡田さんも何も言わず、皆「体調もう大丈夫?」と聞いてくれて優しく申し訳なかった。いつも話している尚ちゃんやとんちゃんにはなんとなく言えなかったが、ある夜私は中野のマコちゃんに電話をして仕事帰りに会う事になった。マコちゃんは前にバイトに来ていて私より二つ年下だったが、生れも育ちも東京で、茶色がかった大きな目と透き通る肌の東欧の御人形のような顔立ちで、何か考える時や思い出す時は必ずその大きな目を上向きにしたり、鼻の上に細かい皺を寄せ唇をすぼめたまま広角をちょっと上げて悪戯っ子のように笑う仕草がとても魅力的だった。デザインの学校に通いメイクもファッションセンスも抜群の素敵な都会の娘で、脚がそれほど細くはないマコちゃんがコンプレックスと言う大きめのお尻は、私には健康的でエロチックでしかなかった。中野の喫茶店は駅の近くのチープな造りの店で、カラオケの様な小さなテレビがいくつか低い天井から下がっていて、ずっと流行りの洋楽のPVが流れていた。マコちゃんと会い、私がカワグチさんに会いたくてヒタチに行った事の顛末を話すと、マコちゃんは大きな目を見開き両手でテーブルを叩くようにし呆れた顔で「ツカサさん、どうしてさせてあげなかったのよぉ…」と言った。「何でかなぁ、どうしても駄目だったんだよ…」と私が言うとやれやれな顔で「可哀想なカワグチさん…」と言った。私は「うん…そうだね」と言い「でもさ…」と、それからカワグチさんに大きな声で「お前とせっくすしなくて、ほんとーに、良かった」って何度も言われて「あわわわ」って無茶苦茶焦ったと話をして笑った。あの時の気持ちを上手く説明する事は出来ないけれど笑い話にして終いたかった。私が明日お休みなんだと言うとマコちゃんは心配そうに何度も「あたしん家、友達が良く泊まりに来るから、ツカサさん今夜家に泊まりに来ない?」と言ってくれた。私は「大丈夫、ありがとう、いいよ、良いよ」と手を振って中野の改札で別れた。ホームにはほとんど人影が無く、私は一人ホーム端の端まで歩いて行った。電車はしばらく来ない様子で、近くのプラスチックのベンチに座ろうと思ったが、電車も駅も無い島から都会に来て、一度で良いからホームに座ってみたかった事を思い出し、肩から下げた帆布のバッグを点字ブロックの上に下ろしてしゃがむとホームの端に座りジーンズの足をぶらつかせて線路を眺めていた。すると「ツカサさん!」と、小さく叫ぶ声がした。顔を上げて見ると、マコちゃんが目の前の先の線路脇の道で立ち止まり、こちらに向かって「ねぇちょっと!」と慌てた様子で私に呼びかけていた。「ああ、マコちゃん家そっちの方だったんだね、ん、大丈夫だよ、ちょっと座ってみたかっただけだから…」と私は言って立ち上がり、ジーンズのお尻とバッグの砂を手で払ったが、マコちゃんは「やだ、危ないよ、待ってて、そっち戻るから」と駅の改札の方へ首を振るとそう言って戻ろうとした瞬間、私は「いいって」と右手でマコちゃんを止めるように合図して線路に飛び降りていた。そして沢山の線路と枕木を跨ぎながらマコちゃんへ向かって真直ぐ駆け出していた。誰も何も気づかなかったようでもあり、何処かで笛の音が聞こえたような気もしたが、お構いなしに私は走り、マコちゃんは「ツカサさん!」と叫び、立てた古材の柵が倒れ、斜めに伸びた鉄条網が垂れ下がって空いた隙間を越えマコちゃんが立っている線路脇の道へ下りた。そして茶色い大きな目を見開いているマコちゃんに、私は「逃げよっ」と言い、二人で細い道を新宿方面へ走って逃げた。走って走って、やっぱり可笑しくなって私達は笑いあった。マコちゃんの家は線路脇の道から逸れた路地を幾つか入った場所にあり、マコちゃんのお母さんは娘と突然現れた珍客を快く泊めてくれ、お風呂も勧めてくれた。私はマコちゃんが、私が何かアブナイ事をするんじゃないかと心配している様子で、ホームに座るってそんなに「普通じゃない」事だったんだと申し訳なく思ったが、正直に言うとその日一人で三鷹のアパートに帰りたくない気持ちがほんの少しあった事は確かだった。マコちゃんのお母さんは、一見マコちゃんとあまり似ていない様に見え、何故か私の田舎の島にいても不思議じゃないような、素朴な笑顔が素敵などことなく懐かしい顔立ちをしていたので、私がマコちゃんに「マコちゃんのお母さんって東京の人なの?」と聞くと「うちのお母さんね、エスキモー人なの」と、とぼけたようにマコちゃんは言った。「えっ、エスキモー?」と私が驚いた時、悪戯っ子のように鼻の頭に皺を寄せて笑ったその時のマコちゃんの顔は、やっぱりとてもお母さんに良く似ていた。二人で寝る前までお布団の中でずっと話しをしていた。そしてその夜私はマコちゃんにそれまで誰にも言ってない事を打ち明けた。小学二年生の時、掃除の時間に校長室の掃除の係だった時の事を。

7.告白
校長室は長方形の広々とした部屋で、入って左手の壁の天井付近には歴代の校長の写真がずらりと掲げてあった。部屋の中央に大きな会議用の広いテーブルがあり、その周りにパイプ椅子が向かい合って10脚程備えられていた。そのテーブルにはシーツよりもっと大きく真っ白なテーブルクロスが掛かっていて、その上の二つの小さな花瓶には花が活けられてあった。両脇には部屋を囲むように腰高の棚が設えてあり、棚の上には様々な置物やトロフィーが飾ってあった。スピーカーからは掃除の時間の急き立てられるような音楽が流れていた。二年生女子5人は体育服に黒いブルマー姿で並べられ、始めは掃除担当の先生が「物を壊さないように、気をつけて掃除するように、お喋りをしないように」と指導していたが、やがて先生がいなくなると直ぐに私達はお喋りを始めて棚や床を拭いていた。いつの間にか痩せて背の高い校長先生が奥の左手の隅に立っていた。私達は校長先生に気づくとそれまでのお喋りを止めて、緊張しながら掃除を続けた。校長先生はしばらく微笑みながら掃除する私達を見ていたが「ちょっと…」と声を掛けた。スピーカーからの音楽がうるさく私達はその声に気づく者と気づかない者がいたが、床を拭いていた私は近くの子と手を止め顔を見合わせて校長先生を見ると、先生は私を指差し手招きしながら「ここをお願いしようかな」と言った。校長の机は部屋の奥の正面にあり、机の右側は事務用の高い棚で囲われ、左側の方からしか入り込めない様になっていた。その大きな机の前には保健室にあるような可動式の水色のパテーションが立ててあり、皆が掃除をしている広いテーブルの空間からは見えていなかった。友達と一緒ではなく一人で校長の所へ行くのは緊張して嫌だったが、私が雑巾を手に立ち上がり近づいて行くと、校長はその机の下を拭くようにと言い、私はしゃがんで四つん這いになり、その大きな机の下の暗い空間を拭き始めた。あまり汚れてなかったので直ぐに拭き終わり、「おわりました」と言って机の下から出て行こうとした時、校長は自分の方に除けてあった移動式の大きな肘掛け椅子に座っていて、その長い両手で私を捕まえ抱き上げ自分の膝の上に乗せた。私はあまりの事に驚き、身体がそれきり意思の無い人形の様に固まって動かなくなった。校長は私の身体を両手で抱き締め身動き出来なくして、私は私のお尻の下に堅い物が当たるの感じた。それからその両腕で更にぎゅうと抱きしめ、その時校長は私の耳元で確かに「かわいいね」と言ったのだ。恐怖で私は一言も発する事が出来ず、誰か、誰か、誰か気づいて、早く、お願い、誰か来て、と叫ぶように願ったが、机の前のギャザーの寄った薄い水色のパテーションと音楽はその時間と空間を遮断し私を無惨にこの世の全てから遠ざけ、頭は混乱して何処か暗い所へ落ちて行くような恐怖だけがあった。その時、隣りの職員室から用務員の小野さんがいきなりドアを開け「校長…」と呼びかけた。机の横のその壁にドアがある事さえ私はよく分かっていなかった。その時小野さんは驚いた顔のまま動きが止まって校長とその膝に乗せられた私を見たが、校長が私の頭をポンポンと叩き「はい、ありがとう、ありがとう」と言って私を離すと、小野さんは校長と何か話していたが、私は校長室を上履きのまま飛び出し走って正門から学校の外へ出ると、手に持ったままの雑巾を途中の草むらに投げ捨て家に帰った。学校から帰った私はお腹が痛いと嘘をつき、友達がランドセルや制服のスカートや靴を持って来てくれた。それから掃除区域が変わるまで何度か同じ事があった。気づかれないように部屋の真中の大きなテーブルの下に隠れるようにしていても名前を呼ばれ、聞こえないふりをしていても友達に「呼んでるよ」と言われ、いやだ、いやだと思いながら雑巾を持って立ち上がる、その時間は泣きたくても叫びたくてもただ恐怖でずっとじっとしていた。小野さんはもう来てくれなかったが恐ろしい時間は少し短くなった。校長は普段も私に話しかけるようになり、友達は私が校長に気に入られていると言って、私も表面上ではそう装った。隠している事が怖かった。友達に言えない秘密が出来、校長に話しかけられる事を嬉しそうにさえ振る舞った。私はいっぱい嘘ばかりついた。私は嘘つきだった。絶対に、誰にも知られてはいけないと思った。私は授業中だろうがお構いなしに突然怒ったり泣き喚いたりする情緒不安定な子供になった。両親も理由も判らず急にヒステリックになる私に手を焼いていた。小さい頃は学校の担任でさえ親には揃って尊敬の対象でしかなく、親達は「子供が言う事を聞かない時は、どうぞ罰を与えて叩いて教育してやってください」と言うのが当たり前の時代だった。それが校長なのだから誰かに何か言う事は考えられなかった。私はずっと、もし私が親にこのことを言ったとして「校長先生はあんたを可愛がってくれただけだよ」とでも言われたら、その時はもう私は死ぬしかないんだと思っていた。絶対誰にも信じて貰えない、だから死なければならない、と思った。それからはいつもちょっとした事ですぐ死ぬ事を考えた。死ねば終わるとすぐ考えた。理不尽な怒りとともに、心のどこかで本当は嘘つきな自分は駄目な人間なんだと思っていた。長く生きていてはいけない人間だと思っていた。誰も彼もが信じられず大人は皆嫌いだった。中学生の頃には理由もなくすべての先生に反抗的に突っかかって、職員室で私にビンタをした事の無い先生は一人もいなかった。なぜか、それまで絶対に誰にも言えないと思っていた事をその夜私はマコちゃんに初めて打ち明けた。マコちゃんは黙って話を聞いてくれていたけれど、ゆっくりと「私の友達がさ、中学生の頃、その頃良く通っていた雑貨屋の店長と顔見知りの客に乱暴された事があるんだよね…」と言いだした。私は言葉が出なかった。どうして、どうしてなんだろう、いつだって世の中は理不尽な事で溢れている。ある時思いもよらない出来事が不意に待ち構えている。目の前が真っ黒になる。どうしたら逃げられるのか、何処へ行けば生き延びられるのか、逃げても良いのか、どうすれば体にまとわりつく死の影をふり祓えるのか誰も教えてくれない。子供なら尚更混乱して何処へも行けない、逃げ場も無いような気持ちになる。悲しい事や辛い事がありふれた事みたいに在るのは何故、どんな神様も仏様も御先祖様も助けてくれないしどうする事も出来ない。怒りが込み上げてくる。マコちゃんは「ねえツカサさん、あたしは思うんだけど、自分で自分を可哀想にしてしまわないで、怒りがあるならその時の自分をもっと抱きしめて、絶対に必ず幸せになる事が最高の復讐なんだよ、その時、もうその女の子はきっといないよ」と言った。涙が出た。理不尽で無意味な憤りしか無いような出来事ばかりあるような世界で、ほんの少し意味のあるような瞬間に出会う事がある。自分で自分を抱きしめる、抱きしめなきゃと私は思った。本当に嬉しかった時、あんまり胸がいっぱいになると「ありがとう」って言いたくても、その一言がついぞ言えないように、私にとって長い間誰にもずっと言えなかった事を、小さい頃から嘘ばかりついて、隠して、誤魔化して、恨み憎み続けた人や自分が居る事をマコちゃんに言えたことと、その時マコちゃんの言葉を聞いて胸がいっぱいになった事は今でも幸せな記憶だ。生きていると神様か仏様か御先祖様かは知らないが、誰かがそんな幸せな瞬間をくれる事がある。


8.山桃の木の上で
私は田舎の島に戻り、父が病死した後に結婚し子供を三人授かって育てた。二十数年後に離婚し土木作業員を七年間やって実家に帰り母親の介護をして、今は県立病院の6階東の病室の窓から青空を見ている。あれからだって私はいっぱいいっぱい間違った。顔を覆いたくなるような事も何度も繰り返しちっとも「魂が入らなかった」。あの時あの場所に居たあの人達はもう居ないけど、確かにあの時は皆揃ってあの場所にしかいなくて、あの時出会えた人達みんな今も元気でいて欲しいと、もしまあそんなに元気じゃなくても、ほんの小さな馬鹿ばかしい事やふざけた瞬間を見つけて、どうか一日に一度でも笑っていて欲しいと心からそう願う。子供の頃長く生きていちゃいけないと思っていた私は自分でも笑っちゃうけどまだ阿呆みたいに生きていて、何十年も何が愛、愛ってなんだよ、んなもんあるかよって人を好きになるなんて良い事ばかりじゃない、とうそぶいていた私が遠くにいるピアノを弾く人を好きになって、たぶん私は六十近くのこの歳になってまた恋をしている。何度しくじっても、打ちのめされてもどうにかこうにか生きていると、タコが木に登るような奇妙奇天烈で信じられないような不思議な事も起きるものなんだなと、山桃を食べるタコのように目を閉じて笑っている。


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