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国立歴史民俗博物館はすごい6

タイトル画像のゴジラを持ってくるあたり、歴博の恐るべきセンスを感じるのだが、現代の展示室の入り口にあるこの看板の内容に感銘を受ける。
泣きそうになるくらい悲愴な使命感を感じる。

現代の展示室を設ける歴博の心意気

写真だと文字が見づらいかもしれないが、可能であればぜひ拡大して読んでいただきたい文章だ。

現在は、というよりも現在も歴史の一地点でしかないが、それを視野としてみることは難しい。
現代の何をもって、歴史に残すべき展示物とするのか、それを見極める作業はとても大変だと思う。
現代の前半は、戦争を取り扱っている。歴史の教科書などで何度もその悲惨さは学習してきた。
歴博の展示で感じたのは、戦争も歴史の中の一つの出来事、相対化されているということだ。どちらかということこれまで「日本の敗戦」が語られてきた。負けた側の歴史を見せられてきたと思う。
しかし、ここでは日本とアメリカ、及び関係国での戦争のとらえられ方がフラットに語られているように思えた。
展示されている新聞に「平和」「戦争終結」と太文字で記されているが「勝利」とは書いていない。戦争という状態が終わった、という安堵感を感じる。世界的に見れば、倦むべき戦争だったのだろう。


戦時中の食糧事情。意外と兵隊はいいものを食べている。そして奥に見えるベッドは当時の対角を反映しているため、狭く短い。
大変に貴重な歴史的文書だと思う。この手紙で今の日本があるようなものだ。背筋を冷たいものが流れるようなそんな臨場感がある。

戦後の復興は、学生時代の歴史勉強で一番薄いところだ(笑)大体時間がなくて教科書をサラッと読んで終わってしまうし、なんとなく知っている感だけで済んでしまう。

自分は今40代だが、その学生時代にさらっと流した戦後、高度成長期はもう歴史の一幕となっている。
公害による生活破壊、都市開発による自然破壊、急激な「転向」による日本文化破壊・・・これまで見てきた日本の歴史や民俗が急速に壊れゆく危うさを見せつけられているようだった。
明るい面もあるだろうし、その「破壊」によって今の便利な暮らしがあるし、それを享受している私がいる。
だが、歴史や民俗というかけがえのないものを失ってもよいのだろうか。
いつもは、ここで疑問を投げかけて終わってしまうが、今回の歴博展示を見ての感想は、その先まで思わせる。
「いや、よくない」だ。

ゴジラの展示は、疑問から先、選択を突き付けられているような厳しい視線を感じる。資本主義的な時代は早晩終わりをつげ、循環型、自然回帰型の社会に向かわなければならない。
それに気づき始めた人が多くなっているこの頃だと思う。
歴博の展示は、見る人のアイデンティティを変えるだけの力がある。

迫力あるゴジラが決断を迫る!

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