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【コラム】子供の頃のゲームに感謝してることと、その思いを通して伝えたいこと。

最近、ちょくちょく思います。

わたしが今こうやって仕事していられるのは子供の頃興味を持ったゲームのおかげだと。

子供の当時、親からは「ゲームばかりして…」と、怒られてましたが、ゲーム自体に熱中してたのはもちろんですが、何よりそのテクノロジーの進化の方にも心が惹かれました。

同じハード内でもリリースされるゲームが時間を経るごとに、ビジュアルやサウンドのクオリティが向上し、開発者の方々が限られたハードウェア資源の中で工夫しているのが感じられたり、新たなハードが出ると中のスペックや構造にワクワクし、感動と共に好奇心をおぼえました。

ちょうど私が10代の頃は、ゲームが3Dになり出した頃でポリゴンと呼ばれる3Dを表現するための演算表現が使われ始め、最初は3D空間中に今では考えられないほど(笑)荒くてカクカクした状態で表されていた人や車がハードが変わるたびに格段に向上し、そこから発達した技術が今やなんとあり得ないほどリアルに感じる空間表現にまで進歩しました。

そんな中進歩への好奇心は増すばかりで、ゲーム雑誌にあるハードに関するコラムや開発者のインタビュー中に出る技術的な苦悩と、それを克服するための工夫を熟読して、気づけばゲーム機しか持っていないのに、小中学校の段階である程度、コンピューターの基本用語や構造などを得ており、当然の様に高校からは情報処理を専攻しました。(余談ですが、その高校ふたをあけてみたらレベルがアレで高校2年の1学期迄に情報処理の全カリキュラムを終えてしまい、その後先生から「お前はもうテスト受けなくて良い」と言われる始末。残りの時間は進学目的のために費やしました(T . T))

そして、ゲームをきっかけに情報について学び、知識が得られたおかげで最終的に今こうやって社内SEとして仕事できております。

わたしが子供の頃は今よりもゲームの地位は低く、将来の役に立たないと言われていたのに、今となってはどうでしょう?

今思うと将来役に立たないと言われたりしていたゲームを一生懸命凌ぎを削って開発されていた方々に感謝が絶えません。

こう考えると、子供達が自分で興味を持った何げない事が将来生きる糧になる可能性があるのだと最近つくづく感じます。

なので、大人は子供が興味を持った事を否定してはならないと強く思います。

子供のクリエイティビティの芽を摘むと、これからはますますクリエイティビティが求められるのでその子が苦労するばかりです。

ですので、大人が自分の価値観で子供の興味をむやみに否定しないよう注意しないといけないと自分の経験を振り返ってみて思います。

ではでは。

p.s これだけゲーム愛を書きながらも、なぜか今では買ってもなかなか子供の時ように熱中できず、楽器を触っている時の方が楽しいですが…。

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