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下北沢の屋根裏にて。

さて。
今日は金曜日。

僕は今日も、懲りずに語る。

自分の思い。
この1週間を経て、
最も自分が今、強く感じていることを。

今日は、昔僕が出会った「ある人」を中心に。
今の気持ちをぶつけたいと思う。

良かったら、砂糖たっぷりのチャイでも飲みながら読んでほしい。
どうせ大したことは書いていないのだから。

下北沢と屋根裏

この言葉を見てピンと来る方はいるだろうか。

もしいたならば、
僕にとっては是非とも仲良くしたい人である。

下北沢 屋根裏とは。
かつて下北沢に存在したライブハウスの名前。

いつまでも捨てられないボロボロのパス

僕がバンドをやっていた頃、入り浸っていた思い出の場所だ。
ライブも何度もやらせていただいた。


小さくてヤニ臭くて、
ステッカーがベタベタと壁に貼られ、
たくさんの人が夢を語り、
そして音楽に酔いしれた場所。

今でも僕の心の中には、
あの場所の匂いも、雰囲気も。
消えることなく残っている。


「KOIDE CYMBALS」の男

僕がその人と出会ったのは、
何回目か分からない、下北沢屋根裏のライブの日。
そのバックステージだ。

彼はその日のヘッドライナーであるバンドのドラマー。
リハーサルから度肝を抜かれる演奏で、
周囲をドン引きさせた男だった。

爽やかな見た目と、腕に刻まれたタトゥー。
優しくしなやかで、
精密さと情熱を見事に調和させたドラミング。

僕は一瞬で、その演奏に心を奪われた。

そして、もう一つ。
たくさんのマイ・シンバル達が僕を驚かせた。

磨かれたシンバルにはどれも、
「小出」と刻まれている。

知る人ぞ知る。
日本国内に唯一存在するシンバルメーカー。

「KOIDE CYMBALS」
小出シンバルのフルセットだ。


こだわる、男

下北沢屋根裏の楽屋は、狭い。
そんなところに大量のシンバルケースを持ち込んだ男。

僕はそんな人を、見たことがなかった。

そもそもドラマーが持ち込むのは、

スネアドラム
スティック
ペダル

大体がそんなものだ。

たまにシンバルを持ち込む人もいるけれど。
一枚か二枚程度。
大概がライブハウスに備え付けのものを使う。

その男は、あろうことか。
誰もが持ってくる楽器の他に、
自らのシンバルを7枚ほど持ち込んでいた。

ハイハットシンバル2枚
ライドシンバル
クラッシュシンバル2枚
チャイナシンバル
スプラッシュシンバル

全てが小出シンバル。

それは僕の目には、
病的なまでの「こだわり」のように映った。


熱狂のライブ

その日のライブは、今も僕の記憶に残っている。

リハーサルで途轍もない演奏を見せられ、
小出シンバルのフルセットという
尋常じゃないこだわりも見せられた。

そんな人の前で、無様な演奏はできない。
僕は多分、僕史上稀に見るほど、頑張った。

そして、ヘッドライナーがステージに上がる。

かつてないほどの盛り上がり。
狭いライブステージの奥で、
何度も煌めく「小出」の文字。

観客は身体を揺らし、
その旋律とリズムに漂っている。

「プロを目指す人はこんなにも熱いのか」

趣味として音楽をやっていただけの僕が、
初めて触れた「プロを目指す人」。

その力強さに、ひたすらに心を打たれたことは言うまでもない。


語る、男

熱狂のライブが終わる。
興奮した僕は、彼に声をかけた。

こだわりが強い=偏屈

みたいなイメージもあったけれど、
話してみるとなんてことはない、
どこにでもいる気さくな人だった。

「すごかったです!応援してます!」

なんと声をかけたかは覚えていないが、
そんなことを伝えた気がする。

それからしばらく話をした。



そのとき、彼が言っていた言葉。
それが僕の胸に残っている。

「俺さ……借金ウン百万あるんだよね。
 もう、売れなかったら死ぬしかない」

ハハハと笑いながら。

……そりゃ、そうだ。

同じドラマーとして、バンドマンとして。
演奏を聞けばそんなことは納得できる。

そもそも、バンド活動はお金がかかる。

その上、
毎日毎日ひたすらに練習を重ねて。
とことん自分を追い詰めて。

そうでなければ説明がつかないほどの
演奏だったからだ。

彼らの演奏は、
「鬼気迫る」という表現以外の言葉が思いつかない。

とてもじゃないけれど。
まともな生活をしていて手に入れられるものではなかった。

今のネットビジネス界においては、
ウン千万円の借金を返して、今は年商何億稼いでます!
なんて売り文句を至る所で見る。

だからもしかしたら、
ウン百万程度で死ぬとか大袈裟、と
思う方もいるかもしれないけれど。

彼の表情の奥底から、
僕はリアルな気持ちを感じ取った。

それは、決して軽いものなんかじゃない。

確かな「覚悟」と

「不安」だ。


それから、10年。

この出会いから、およそ10年は経っただろうか。

彼らのバンドは、未だ世に出ていない。

突然更新が途絶えた、オフィシャルサイト。
YouTubeにも、音源ひとつ残っていない。

そう。
これが世に出た表現者の陰に潜む、
名もなき表現者の最後だ。


僕はなんとなく、最近。
あの人を思い出してしまった。

どこかで元気にやっているだろうか。

それならいいな。
そんなことを考えている。


人によっては、
そんな彼らを「消えていった」と称するけれど。

僕は彼らが残したものは、
無駄なんかじゃないと思っている。


彼らが音楽や言葉を通して心に刻んだものが、
どこかで花開いている人が絶対にいるはずだ。


僕は名もなき表現者となった彼らから。
世に名高い他の誰よりも、
芸術の素晴らしさを教えてもらったと思っている。






いまも心に残る、
世に出たい表現者の心の声と、
鬼気迫る演奏。


その思いに直に触れたから、
マイナーなバンドマンを応援するブログを
書いたりもしている。

そしてそれは、
音楽に限った話じゃなくて。

Kindleなどの執筆作品。
絵やアートもそう。

僕は今、猛烈に。
あらゆる表現者を応援したいと思っている。

僕ができるのは、
言葉や動画で発信すること。

たったそれだけなんだけれど。

それがもしかしたら、
何かのムーブメントを起こすかもしれない。
バタフライエフェクトになるかもしれない。

ほんの少しでも。
たった一人だけでも、多くの目に触れることが
何かのきっかけになるはず。

そう感じている。


僕はこの出会いがなかったら。
今も何者でもなかったのかもしれない。


おわりに

僕は、表現者を応援する表現者になりたい。

漠然とだけど。
今そんなことを考えている。

世の中を見回せば、今はたくさんの人が表現者だ。

Kindleだって、
音楽だって、
絵を描くのだって。

写真家、動画作品。

極端な言い方をしてしまえば、
誰でもスマホ一台あればアートが作れる時代。

趣味で副業、なんて人から。
信念を持ってアート制作に取り組む人まで。
あらゆる人が情報や作品を発信しまくっている。

アートという観点から見たときに、
まさに「玉石混合」の混沌の時代と言える。

値踏みをするわけじゃないけれど、
光が増えた分、陰だって増えている。

僕はそんな人たちの力になりたいと思っている。

もちろん、僕自身も作家の端くれとして。
自分自身の思いを発信していくことはやめないけれど。


誰かの力になりたい。
表現者の力になりたい。


これは
なんとなく見えた、
僕の未来。





これは言わずもがな、
彼らとの「出会い」の賜物。

10年も前の、何気ない出会いがもたらしたものだ。













きっと今度は僕が、
このバトンを誰かに渡す番。







読んでくれて、
ありがとうございました。



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