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毒親サバイバーの身内 03 「親の事を悪く言うのは駄目だ」という気持ちもわかる

フィクションってことになっています。

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すっかり間が空いてしまったが02のつづき。

ネットで見かけた言葉『毒親』、検索を続ける内に『毒になる親』の書籍に出会った。もともと心理学、精神、思想、哲学に興味があったので抵抗なく読めた。もしかしたら、毒親を持つ本人ではなかったからこそとっつきやすかったのかもしれない。

実はその前に『愛着障害』岡田尊司 著 を読んでいた。なんとそれは、彼の父親が家庭で開いていた『勉強会』のテキストとして家庭内に配られたものだった。何故か何冊か予備があったらしく、妹から手渡された。あの父親曰く、ここにいる皆が何かしらの愛着の欠損があり、それゆえ子供たちに虐待をしてしまった母親と、実親から逃げて来た下宿人?2人と、そして自らを“治すため”に勉強するそうだ。私にもこんな問いかけがあった。

「母親に何か不満があるだろう?」

特に思いつかなくて苦笑いでやり過ごした。心から不愉快だ。私に何か欠損があると決めつけ、私の母(何故か母だけ)に問題があると決めつけているからだ。

人間誰しも “誰かにとっては“ 欠損している部分があるものだ。だから群れで生活してして補い合って生きているんだと思うんだけど。


ね。


初めて『毒になる親』を読んだときは、答え合わせが出来た感がとても大きかった。

私もどちらかと言うと「親の事悪く言うなんて醜悪な思想だ」と思っていた側だった。善良な親御さんはそう。その善良な子もそう。毒親持ちで毒親に気づいていない人もそう。(別の記事で彼の毒従兄の事を書こうと思う)毒親が子供の洗脳(コントロール下に置く)に成功している場合もそう。毒親本人もそう。世の中では「親は無条件で大切にするもの」「子は厳しく躾けるもの」みたいなのがまだまだ根強いと感じる。自覚して謝って直そうとしている人のことは、いつか許すことも出来るかもしれないけれど、自身を正義と疑わず、排他的でありつつ当たり前に子どもに身体的、精神的虐待をする人たちのことなんて許す必要は無い。

たいていの毒親たちは外面がいいから、「子どもが最近〇〇で…」なんて、悲しい顔をして溜息混じりに言いさえすれば周りは信じてしまうし、聞いた相手は毒親側の味方をしてしまいがちだ。虐待が表沙汰にならない理由がここにもあると思う。





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