シャンパン



かみさんの遠吠えが聞こえた。


大げさな表現でなく、たまに食事中に「わおーん」と遠吠えすることがある。


スパークリングワインがないからだ。


我が家最大の楽しみといえばやはりお酒と食事で、お互い仕事に出てから、今晩なにで一杯やるかを楽しみに生きている。冷蔵庫の食材先行で考えることもあれば、買い置きの酒をベースに何をあてるか考えている。たまにお客様からお酒をいただこうものなら二人でお酒様の前に土下座して、高いところへ飾り、週末の楽しみにしている。あなた方が手放した我が子は、うちで存分に可愛がってから胃の中に収めている。安心してほしい。

LINEのやりとりも

「いまうちになにがある?」「ウイスキー。」「高い?」「角」「じゃあハイボールか、じゃがいもある?」「ある」「ほい、ベーコン買って帰る」

と、基本こんな感じ。無駄がない、業務報告である。

そういったわけでほぼ毎日たしなんでいるのだが、たまに、がっと酒を飲みたいタイミングがやって来る。深酒とは言わないが、がっと飲みたい。そういうとき僕は大抵、常駐している焼酎かウイスキーで満たされるのだが、かみさんは無性にスパークリングワインが飲みたくなるのだそう。シャンパンならなおよい。

そのタイミングは横にいてすぐ分かる。

仕事が佳境を迎え、土日も残った仕事をちびちびこなし、明けて勝負である一週間の始まりとなる月曜日にそのタイミングはやってくる。サラダを食べ第三のビールを飲みながら録画したアド街をみていると


「あぁ、やっちまいたい」とつぶやくのだ。


そこから急にそわそわしだし、冷蔵庫を開けてはスパークリングワインがないことを確認してため息をつき、数分後に立ち上がってはまた確認に行く。まさかスパークリングワインが冷蔵庫の中で生えてくるわけもない。

そんなことを繰り返してはソファに戻るのだが、その目はしゅわしゅわのあの液体を思い描いている。そんなときに、冒頭紹介した「わおーん」という遠吠えが聞こえるのだ。


「おれいまから買いに行くよ」

「いいよ。もうごはん食べているし、悪いよ」

「じゃあ、カクヤスで配達は?」

「カクヤスは店舗に行けばいろんな種類が選べるけど、配達だとあんまり選べないの」


うるさい。


いっちょまえに種類にはこだわる。

まじでいっちょまえだなあと思う。


どうにかしなければいけない。
かみさんは実家暮らしのころ、飲みたくなったその日にたまたま酒が尽きてしまったことがあった。買いに行こうにもコンビニが遠く買いに行くことができず、しまいには酒を探して実家の下駄箱を開けたほどの実力者だ。諦めることはできないだろう。うちの下駄箱を開けて泣かれても困る。
普段なら買い物に行き円満に収まるのだが、その日はちょっとした奇跡が起きた。


ないと思われていた冷蔵庫に、小瓶のシャンパンがあったのだ。


頂き物の上等な品なので、特別な日に飲もうと、開けずにおいたまま忘れていた。

ないと思っていた酒がある。

これは酒飲みとしては大変ありがたい、砂漠で湖に出会うようなもの。

「あ、でも、特別な日に飲むんじゃないの?」

「そうか。うーん、おめでたいこと…なんかない?」

「まぁ11月で二つ目になって丸三年経つかな…」

「それだ!おめでと。よし飲もう」

すでに一週間経過した丸三年記念日を引っ張り出して、飲む口実も無事出来上がる。早速グラスを用意したのだが、その瓶を手に取るなり唖然とした。


見たことのない形状の栓なのだ。


シャンパンなぞ、脇にくるくるした針金がついており、それを外してコルクを抜けば済む話。でも手中にあるそれは、瓶からクワガタのような金属の棒が伸びて、そいつがコルクを離してなるものかと頑丈に押さえつけている。ここに画像を載せれば読んでいるみなさまも想像しやすいのだろうが、あえて言葉だけで表現したい。「クワガタみたく棒が伸びてコルクを押さえ込んでいる」どうかこれだけでご理解頂きたい。



笑いそうになった。



ないと思われていたシャンパンと出会い、感極まっているところに、急に立ちはだかる特殊なコルク。あと一歩のところで飲ませない、あざ笑うかのようなボトルを前に表情が曇っていく。


「なにこれ?飲ませる気あるの?」


こちらをそろりと振り返る。


たぶん笑った瞬間、瓶で頭をひっぱたかれる。その衝撃で瓶が割れたら儲けもんという勢いだ。

「ひどいよね、このコルクは」といちおう真剣な眼差しで付き合っておく。

こちらの手に渡り、間近で見たが本当に開け方がわからない。知恵の輪のよう。スマホで調べようにもその栓の名称すらわからない。YouTubeで「シャンパン 難しい 開け方」と検索しても、ソムリエやキャバクラのボーイがお洒落に開ける動画が上がっているだけでまるで戦力にならない。

いったん冷蔵庫に戻し話し合う。内容は主に、この栓を考えた開発者への文句だ。


以下、意見のまとめ。


「このコルクは人に飲ませる気がない」

「なぜ万人にわかりやすい、くるくるの針金を使わないのだ」

「やっと飲めると思ったのにこんな仕打ちはひどいじゃない」

「こんなふざけたクワガタ閉めを開発するな」


いつのまにか「クワガタ閉め」と名付けられたシャンパン。

ちなみに「シャンパン 開け方 クワガタ」と検索してもヒットしない。木の幹にシャンパンをかけて翌日クワガタが集まるか検証する動画くらいが関の山だ。

ここに苦しんでいる消費者がいるので、開発者がこの文章を読んだら、ぜひ御一考いただきたい。

どう開けろというのだ。いっそのこと消防署に出向き、口を電ノコで切り落としてもらおうか。指輪を切ってくれるのなら瓶だってできるはず。その線も視野に入れはじめたころ、シャンパンを送ってくれた方からLINEが入る。

開け方がわかりませんと質問を投げておいたのだ。

「簡単だよ。脇の針金をテコの原理でずらして、コルクを開けるだけ」

なんて簡単なのだ。


テコの原理。


意気揚々と僕がつまようじを持って行くと


「そんなもの折れるに決まってるでしょ。からかってるのかな?」


笑顔だがその目は笑っていない。そっと引き出しに戻す。
開けられるとわかってからの彼女の殺気はすごい。

他に適したものがないか探すが、意外とこれが見つからない。フォークは入らないし割り箸は折れる。しかたなくたんすの奥に眠っているマイナスドライバーを引っ張りだす。こいつを突っ込み、入ることは入ったがここからがまた非常に固い。十年くらい冷蔵庫の中で入れっぱなしだったジャムの蓋くらい固い。最後の最後まで飲ませないつもりだ。
しまいにはかみさんが瓶をつかみ、僕がドライバーを横にずらし「あぁ~」と情けない雄叫びをあげ、ようやく針金がとれた。

引っ越し以来の活躍となるマイナスドライバーも、まさかこんな登場とは思うまい。
その収納場所は、今後クワガタ閉めに出会ったときのため、台所の引き出しへと昇格した。


苦労して開けたシャンパンの味は格別だった。美味すぎて、むしろ試練を与えてくれてありがとうとさえおもった。酒が飲めればすぐにご機嫌になるのんきなやつら。


飲みながら話し合ったのだが、いったいソムリエはこれをどうやって開けるのだろう。専用器具でもあるのか。もし、ふたり掛かりで「あぁ~」と情けない声を出しながら開けるのならば、ぜひ注文したい。


こんど「クワガタ閉め」を見つけたら、こっそり冷蔵庫に入れておこう。


なるべく僕がいないタイミングでそれを見つけてほしい。
つぎは彼女ひとりで、その瓶にどう立ち向かうのだろう。

消防署に駆け込むかもしれない。













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