見出し画像

グローバリズムとナショナリズムの融合は可能なのか

グローバリズムは国境という概念を限りなくなくし、いわゆる自由経済圏の形成、そして自由貿易を推し進める思想です。

国境という縛りをなくすことで、個人がより自由に活動できるというのが売りですが、それに対抗する動きが広がってきているも事実です。

それが反グローバリズムの動きであり、ナショナリズムを再興させようという動きが世界各国に広がっていますね。

このグローバリズムとナショナリズムですが、二つが融合する、つまり双方のいいとこどりをすることは可能なのでしょうか。

この記事では下の3点に沿ってグローバリズムとナショナリズムの融合の可能性について考えてみたいと思います。

  1. グローバリズムとナショナリズムの違い

  2. 二つを融合させることは可能なのか

  3. 白でも黒でもない世界

グローバリズムとナショナリズムの違い

グローバリズムとナショナリズムの融合の可能性について書く前に、まず簡単にこの二つの違いを説明していきますね。

雰囲気的に違いを感じるかもしれませんが、実際にどんなものなのかを知っておくことで、世の中の見方が変わったりするので解説してみます。

グローバリズムとは?

グローバリズムのもともとの考え方は、地球主義といったような国境のない世界で人類が平和に暮らす世界をイメージしています。

その理想を実現しようとしたのが、EUといえるでしょう。

EU内にでの経済活動の自由や、人間の移動の自由などのもともとのグローバリズムの考え方をある程度具現化したものといえるではないでしょうか。

しかし今日、グローバリズムは多国籍企業が国境を越えて自由に経済活動をすること、または自由貿易など、世界規模の経済的な動きを指すことが一般的です。

つまりグローバリズムは、その本来の意味からかけ離れた考え方となってしまったといえるでしょう。

多国籍企業はグローバリズムの掛け声のもとに、世界各国の政府により小さな政府になるよう様々な圧力をかけてきます。

その圧力こそが、グローバリズムのトリニティですね。

つまりグローバリズムは、必ず「自由貿易」「規制緩和」「緊縮財政」の三つを伴ってやってきます。

自由貿易とは、自由経済そのものですね。

そして規制がありすぎては自由な経済活動ができなくなるので、規制が緩和されることで多国籍企業にとってはよりビジネスがしやすくなる。

そして緊縮財政という麻薬によって、政府の財政を削減することで政府機関の民営化を促しそれを買い取ってしまう。

このグローバリズムのトリニティによる政府の縮小によって、多国籍企業によるグローバル化が進行してしまうのです。

グローバリズムの問題点

グローバリズムの最も大きな問題は、やはり貧富の差が大きく広がりすぎるということでしょう。

自由貿易、そして規制緩和といえば聞こえはいいですが、実際は競争激化です。

競争激化によって負ける人たちがより多くなるのですが、緊縮財政をとる政府に負けた人たちを救う気はありません。

つまりいったんこければ、奈落の底まで真っ逆さまというのが、グローバリズムが浸透した世界なのです。

また、グローバリズム、国民国家、民主主義の同時達成は不可能といわれ、グローバリズムのトリレンマといわれています。

つまり上の三つのうちの二つしか達成できないということなんですね。

ナショナリズムとは?

ナショナリズムもいろんな意味で使われていますが、本来の意味は「国民意識」もっと言うと、国という共同体への帰属意識と考えていいでしょう。

ナショナリズムという言葉は、例えば国家主義、国民主義、民族主義、国粋主義などと訳され本来の意味がよく分からなくなっているんですね。

しかしその根底にあるのは共同体、特に国という共同体への帰属意識になるのです。

共同体とは、簡単に言えば共通認識を持った人間の集まりといえるでしょう。

例えば、大阪市廃止のための住民投票がありましたが、自分は大阪市民であるという認識を持った人たちの集まりが大阪市民という共同体ですね。

また、鬼滅の刃が好きだという共通認識を持った人たちの集団も共同体ですし、会社、職業団体、学校など、人間の集まりも共同体といえるでしょう。

そして現代において、共同体の一番大きなものが国ということになりますね。

ではなぜ国が共同体となるのか、何が国民に国という共同体への帰属意識を与えるのかというと、それはやはり国境であったり、言語であったりするわけです。

そして、ナショナリズムの下で行われる経済政策は、もちろん多国籍企業のためではなく国民のために行われます。

ナショナリズムの経済政策は、グローバリズムのトリニティの反対で「貿易規制」「規制強化」「積極財政」が基本的な政策になるのです。

国民経済の状況を見ながら、貿易の自由化が必要な場合は自由化し、規制緩和が必要な場合は緩和する、財政の引き締めが必要ならば引き締める。

つまり手綱を操るように、引き締めと緩めの加減をとるのが、ナショナリズムに基づいた経済政策になるのです。

二つを融合させることは可能なのか

結論から言うと、不可能です。

まずグローバリズムは、ナショナリズムがなければ存在することはできません。

グローバリズムとは基本的に人間を共同体という枠から解き放ち、最終的に個人を元素的な点としていくもの。

つまり、ナショナリズムが無いところにはグローバリズムも存在できないのですね。

そして、ナショナリズムが内包する多くの共同体を破壊し、国家という枠から人間を解き放つことで生まれるのは、独裁になります。

本来なら国家と個人の干渉役になる、様々な意見や考えを代弁してくれる中間組織を潰してしまえば、次は国家が直接個人に干渉してくることになるでしょう。

とても全体主義的な世の中になりますね。

白でも黒でもない世界

しっかりと考えてみるまでは、グローバリズムとナショナリズムの部分的な融合があるのではないかと考えていたので、「白でも黒でもない世界」としたのですが、実際のところこの二つの融合は不可能です。

どちらかというと、グローバリズムとはナショナリズムに寄生するウイルスのようなものといえるのではないでしょうか。

ナショナリズムがなければ存在することができないグローバリズムは、今後も発生し続けるでしょう。

そして、グローバリズムによって死に至らしめられた国の末路は、貧困と全体主義に苦しむ運命にあるのです。

そんな世界を望んでいるのでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?