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We all live in this world like a shit,though.

西日をまともに喰らいながら坂道を原付で下る。
次の訪問場所までは30分弱しかない。
月曜は午前に1件、午後は休憩なしに3件廻るのでとにかく必死だ。
ひょんなことから、去年の冬辺りから資格を取って訪問介護の仕事をしている。
(週に2日で、あとは英語の仕事)

イヤホンを付けながら運転するのは怖いので、
脳内で曲再生リストを検索して、毎度好きな歌を口ずさむことにしている。

出てきたのはお久しぶりのglobeの『Sa Yo Na Ra』だった。

ベッドに倒れて眺めていた
遠い日の憧れの誰かのポスター
涙吸い込まれて流したね
暇だったのかもしれない

あたしはこの「暇だったのかもしれない」がおかしくなるほど好きだ。

ふと、我に帰ってほんの1、2分考えた。

「暇だったのかもしれない」時が確かにあった。
けどそれがいつだったか、忘れた。
あくせく働いて、36歳になった。

今年はもう1つ歳を取る。げー、マジかよ。

わかってるよ。若いよ。人生100年だっけ?
そんなに生きられるとはとても思わないけど、
ジジババに比べたらそりゃ若いよ。

でも、自分は世の中で言う大人なんだなって思った。

そして、クソみてえだな、って思った。

なんだか全部、行き交う車とか、信号とか、最近多すぎる事故とか、潰れそうな店だの、そこで暇そうに働いてる人だの、大きな会社だの、高級マンションだの、そうじゃないボロいアパートだの、独居だの、病気だの、フランチャイズのコンビニだの、不動産だの、金だの、ビジネスだの、搾取だの、年金だの、税金だの、嘘ばっかりついてる偉い人たちだの、国だの、争いだの、守らなきゃいけない弱い者をいじめるやつだの、どうやったらバズるかだの、どうやったら得するかだの、なんかそういうの全部引っくるめて、クソみたいだなって思った。

そしてクソみたいなのは子どもじゃないじゃん、
全部大人じゃん、って思ったら悲しくて涙が出てきた。

こんなはずじゃなかった、と思った。
こんなまともに、大人になるとは思ってなかったのに。
あたしはずっとアッパッパーでいるんだと思ってた。
いつからアッパッパーじゃなくなったんだ?
どこが大人の世界の入口だったの?
自分から入った記憶さえないよ。
知らない間に勝手に入らされたのかな。
確か数年前までは道で踊ったりもしてたよな?
そりゃ1年に何回かは道でゲロ吐くこともあるけど、もう終電で帰るってば(丸の内サディスティック)な飲みしかしないし、気づけば体にいいもの食べることとか、糖質制限のこと考えたりしてる。

今や一児の母で、仕事は2つ掛け持ちし、支払いに追われ、クソ忙しいのに学校じゃPTAまでやって、昨日は脳性まひの女の子の車椅子を炎天下何kmも押して歩いたので両足筋肉痛になって、ゼーハー言っている。
そのうえ今日はバイクの鍵を家に忘れて、往復1時間半かけて昼休みに取りに戻ったりしてる。

アホだ。
アホだけど、真面目だ。
紛れもない大人だ。

あたしが子どもの頃周りにいた大人もみんなそうだったのかな?
気づいたらいつの間にか大人になっていて、あれ、こんな大人になるはずじゃなかったのにって思ってたのかな?

あくせく働いて、自分が大人だと言い聞かせて、「お世話になっております」とか「かしこまりました」だとか言ってたのかな。

あそこを歩いてる人も、前の車を運転している人も、大人に見えるだけで本当は大人なんかじゃないの?
みんな大人のフリが上手なだけなの?
それとも本当に大人なの?

どっちだかわからないので、あたしは大人が苦手だ。大人っぽい人も苦手だ。
子どもの方が好きだ。子どもは子どものフリをしないのでわかりやすい。

子どもたちも、いずれ大きくなって、大人になるか、大人のフリが上手になっていくのかな。

岩場で「カニ捕りたい!カニ捕りたい!カ~ニ~捕~り~た~い~!!」と言っている子どもたちが?

まるで信じられない。
そんなことには巻き込まれずに、ずっとヤゴとかカニとか捕ってればいいのに。
「うんこ足すうんこはダブルうんこ」とか言ってればいいのに。

でもきっと、いずれは大人の世界の住人にならなくてはいけない。
その時にあたし、胸張って大人の世界いいよ、って言いたい。

窮屈じゃないよ、って。

なりたい自分になれるよ、って。

クソみたいなんかじゃないよ、って。

昨日やっと「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観た。
自分でも信じられないくらい泣いた。
こんなに観るのが遅くなったのは、こたが「さっくんとめーちゃんと3人で観たい」と言ったからなんだけど、3人で観れてよかった。

あの映画を作った人たちは、クソみたいなこの世界を、ちょっとでも良くしようとしてくれてるんだなって感じた。
クソみたいなこの世界と戦ってる。
負ける時もある。でも、諦めないで戦う。
無様でも、最終的には死んだとしても。

あんな、美しくて、強い人たちだって、もしかしたら「こんなはずじゃなかった」って思ってるかもしれない。
「つまんねえ大人になっちゃったな」って。
もっとこうだったらな、ああだったらな、って。
いろんなこと諦めて、諦めたこと後悔して、でも仕方なかったって言い訳して、それも人生だし、まぁまぁ悪くない、って言い聞かせて。

でも本当は、戦うチャンスはあった、
し、これからもある。

だから、その時は大事なもののために戦うよ。

しかもきっと、その時あたしは一人ではないはずだよね。
一緒に戦ってくれる人たちだっているはずなんだよね。

なんかそう思えて、今日もアベンジャーズの面々を思い出しては泣きました。
あーもう1回観たい、今度はぜひIMAXか応援上映で。

いささか感傷的すぎる、とは思ったものの、
仕事が終わるとすぐに、家で留守番をしているこたに電話をかけて
「How was school?」と聞いたあとに
「How do you like your world?」と聞いたら、

『world?worldってなに?』と聞くので、「worldって、世界って意味だよ」と言ったら、
『まぁまぁかな。少し問題はあると思うけど』と言っていた。
(英語の勉強のために、息子相手に英語で話しかけたりしてる。)

急いで帰ってご飯を作って、あれやこれやの業務確認のメールをして、また明日への英気を蓄えるために寝る。

今日は完全にランニングする人みたいな格好で出かけてしまったが、1週間に1日でも2日でも、自分が素敵だと思える服で出かける。

なるべく週に1本は映画を観る。

読みたいと思った本はなるべく早く買って読む。

毎月は無理だけど2,3ヶ月に1回は旅行のようなものをする。

女友達と銭湯に入って人生について語る。

お酒の場はとことん楽しく。

家族で過ごす時間を大事にする。

こたの一瞬一瞬を、無理なことはわかってるけど忘れないように、いとおしむ。

友達と過ごす時間を大事にする。

自分のこと「よくやってんじゃん、あんた36にしてはお尻も上がってるしイケてるよ!仕事も子育てもよくがんばってるね!」と褒めて、少しは甘やかしてあげる。

そうやって、この世界をクソみたいな世界じゃなくするために戦っていく。

つまり希望というのはそんな大げさなことではなくて、よかったなぁとか美味しかったなぁとか楽しかったなぁとか楽しみだなぁとかあの服絶対欲しいとかあの映画絶対観たいとかあの国いつか行ってみたいとか、それと一緒にいる誰かにもそう思ってもらえるようにするとか、
そういうことではないだろうか。

そういう小さな希望をたくさんの人たちと叶えたり叶える努力をしたりして、あたしがこの一年間をなんとか乗り越えてきたことは事実で、
ただ、今ここにこうして「いる」、
ということが実存で、
それはあたし以外のすべての人もそうで、
それがこのクソみたいな世界でキラリと光る何かだと思いたい、
と西日をもろに喰らいながら思ったのでした。

バイクは泣いたって、誰にもバレないからいいよな。
36にもなって原付運転しながら泣くとは思ってなかったわ。
そりゃそうでしょ?子どもの頃のあたし?

今日も生きてるし、明日も力強く生きよう。

Good night, my world like a shit.