見出し画像

「亡き友人の願い。」

中学時代いじめでボロボロだったわたし。みんなが受験しない少し遠い高校に入って、所謂高校デビューをしたわたしは、クラスの人気者的なポジションにいた。
毎日充実して楽しい日々だった。でもそれは長くは続かなかった。
入学し1ヶ月、メンタルに不調が出始め、毎日遅刻。
また高山さん社長出勤ー?って先生に言われながら遅刻届に「寝坊しただけ」「五月病」って書いてたの、懐かしいな。笑

直接教室に行くことができなくなり、保健室に寄って養護教諭の先生に「おはよう、ちゃんと来れたね。少しゆっくりするかい?」と言われてベッドで休んで2限から行くスタイル。

この人なら理解してくれるかも、と先生に、家のことを相談したら「ツラかったね、高山さんは十分頑張ってる、話してくれてありがとうって頭ヨシヨシしてくれて、もう大丈夫だよ、一人じゃない。」って言ってくれた。

そこから、今の私に繋がる人生の始まり。
境界性パーソナリティー障害。(ボーダー、BPDとも呼ばれる。)

今が幸せな日々を過ごせてるから言えることなんだけれど、この人生で良かった、と思う。
関わってくれた全ての人に感謝してる。

高校時代、寒い冬の下校中、友達とコンビニで肉まん買って半分こして食べたの青春だったよなぁ。

28歳になってやっと堺界性パーソナリティー障害が落ち着き、ほぼ寛解に近い状態になった。

感情のジェットコースターほんっっとに苦しくてしんどくてツラかったなぁ。
人生楽しい!頑張って生きよう!と思った数分後には無理消えたい大量服薬した助けて。そんなんばっかりだった。

全盛期…
心臓の病を抱えた友人に、毎日のように消えたい死にたいツライ…と言ってたわたし。死が目の前にある恐怖と闘っていた彼に、「あなたは生きて」と毎日連絡をもらってた。そんなことを言わせていたわたしは一体…どんな気持ちでわたしに生きてと伝えてたんだろう。
いい加減にしろって、俺は死にたくないのに命の期限が来るって怒って当然なのに、彼は怒らなかった、心配だよってずっと言ってた。

そしてクリスマス前に緊急で入院した友人。
「年越しは出来ないかもしれない。」とわたしにケーキの写真送ってきて、僕は食べれないから代わりに食べてと笑って言ってた。
…数日後、彼は亡くなった。

ごめんね、友人。
最期まで心配かけてごめんなさい。

でも…生きてる、わたしはちゃんと生きてるよ!と伝えたい。
お空から見守っててね、あなたの分もちゃんと生きるからね。





ここまで読んでくれてありがとう。

あでゅ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?