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とりあえずの信念で地元北海道から東京へ


北海道を出る以外の選択肢がなかった

私は小学校~大学までを北海道札幌市で過ごしました。
北海道は冬が長く、夏も近年はとても暑くて自宅にもクーラーがなかったので(しんじゃいます)気候的にとても住みやすい!と大声で言える自信はありませんが(汗)、自然が豊かで食べ物も美味しく、札幌は街の規模感もちょうど良くて素敵な場所です。

そんな私がなぜ上京を志していたか、、、、、それは、とにかくずっと札幌にいるのはつまらない、知らない街に出て、色々な人と出会って、たくさんのことを吸収して、人間的に成長したい、という仕事の管理栄養士には直接的には全く関係のないぼんや~りとした理由でした。(幼少期を本州で過ごしたため、本州に住むことの抵抗感が少なかったこともありますが)ぼんやりしていた割に意志は固く、帰りたいと思えば帰ればいいし、最初に出ないと絶対タイミングを逃す、管理栄養士としての職場が見つからなければ、最初は管理栄養の仕事じゃなくてもいいからとにかく北海道を出る!(それもどうなの)とまで思っていました。
東京というこだわりは特になかったのですが、田舎よりも都会が好きな人間なので関東を考えておりました。
そんなこんなで、自分のアルバイト代で引っ越しが実現できる、ということを第一条件にそれに見合った環境のある企業を探し、今の職場に入社しました。

何かしないと!!と悩んだ5月

今の会社では管理栄養士は厨房業務ができる必要がある、との方針のもと、おおよそ2~3年は厨房業務をします。同業者の方はお分かりいただけると思いますが、クックチルシステムということもあり、大学で学んできたことを使ったり、栄養知識としてのインプットがなく、会社の方針を十分に理解していましたがいざ働いてみると、物足りなさや国家資格を取った意味はあるのだろうか…と思い悩みました。具体性のある目標はなかったものの、ただ都会で遊びたいから地元を離れたというわけではなかったため、仕事をしつつも「今は何もできていないな…」「何かしなければいけない」と5月頃本格的に考えるようになりました。


一人暮らしって案外…

地元を離れたと同時に初めての一人暮らしが始まりました。最初は自分の想像していたよりも買い揃えなければならないものが多く、今まで親がしてくれていたことのありがたみを早々に感じました。一人でいることが苦ではなく結構好きなのですが、親と離れてしばらくはとても寂しかったです🥲(笑)特に始めは100均様様期間でした😂早くに親元を離れて生活されている方々、本当に尊敬です.…
私の大好きなSUPER EIGHTのふりむくわけにはいかないぜという曲、普段あまり聴く曲ではないのですが、引っ越しを手伝いに来てくれた母と空港で別れた後の電車で何回も聴いて大泣きし、新生活の背中を押してくれた思い出になった曲です( ´◡`)˖✧(突然の紹介)

一人暮らしはすごく大変なものかなと思っていましたが、案外やってみればできるもので、家事に関しての困りごとは思っていたよりはありませんでした。

。。。しかし会話する人がいない。家は職場から近いので電車等使いませんし、職場の人とコミュニケーションはあるものの厨房ということもあり、一定の決まった方たちとしか関わりがないため、人と関わることが好きな私にとっては、その部分が苦痛でした。
休みの日に電車に乗ってどこかへ出かけたり、私が土日休みの仕事ではないためなかなか友人とも休みが合いませんが、友人と近況報告などする時間がありがたく、とても貴重なものになっています。


こんな感じで私の社会人生活は始まりました。
管理栄養士を目指した理由や、ちょっと行動してみたことを後々のnoteで綴っていけたらと思っております。^^



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