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元ボンボンの地団駄vol24

少し間が空いてしまいました。そう、僕はまだまだ毎日必死のパッチ真っ最中の為、、、日々、様々な壁に直面しているので、、、こんな事もありますので、ご了承下さい。おそらく、ここ数日間の僕の動きはまたこのnoteにも書く事にあるであろう、濃い日々を過ごしておりました。

では、

vol23の続きにまいりましょう!


東京に到着した僕は、マネージャーと合流し、その金融機関に出向いた。

その時点でまだ僕の怒りは収まっていない。

上役と担当者が待ち構えていた。担当者は気が小さそうな細身の中年、上役はというと、波平である。

一応、波平と形式ばかりの名刺交換をし、僕が先に話始めた。

「昨日の件ですが、まず、年齢によって融資の可否は決まるのでしょうか?」

「いや、そのような事はございません」

と波平は口では言っているが、態度、雰囲気が全然そんな感じではない。完全に舐めている。なんとなく、大人がやんちゃ坊主を落ち着かせると言えばまだ聞こえはいいが、どこかバカにしたような、上から目線で僕に話をしてくる。そんな波平に僕は。。。

「僕は銀行からお金を貸して頂いてるなんて思っていない。だからと言って借りてやってるなんて思ってる訳でもない。僕はお宅から融資を受けて事業を回しているし、お宅は僕が融資を受けた金利で銀行を回している。どちらも対等な立場なはず。年齢や性別でその対等なモノが崩れてはいけないと思う。僕は先程からのあなたの態度はあまり気持ちいいと感じない。昨日、電話でもおっしゃられたように、僕の年齢がまだ若いと感じられて、経験も無い若造が何を言ってる。という感じに見える。うちの会社にとって、金融機関とのお付き合いは非常に重要な部分です。僕を信頼して貰わないと成り立たないと思います。追加融資は結構です。今後の事は少し考えてから連絡させて頂きます。」と伝えると。波平は、

「わかりました。どちらにしても、うちとしては追加融資は難しいという判断でしたので、それを踏まえてまたご連絡頂けますか。」と。

もう、怒りが頂点でございます。いくらバカボンでも、バカになり切れない時もございます。すぐにオフィスに戻り、対策を考えて、その日のうちに別の金融機関に連絡を入れ、事の流れを説明し、別の金融機関から借入をして、波平のいる金融機関の借入を全額返済し、取引をやめる事にしました。

今、思えば、、、ほんとにおこちゃまです。経営者失格です。ただ単にむかついたという理由で金融機関との取引を辞めるなんて、、、バカです。

ただ、そんな状態なのだから、事業自体もなかなか大変な状況のまま進んで行ってしまうのです。

その当時、東京での動きとは裏腹に奈良での動きはなかなか面白い事ばかり。

前のvolにも書いた、よく喋る営業マンGTOがその後転職をすることになり、以前にもまして密な関係になり、一緒に行動したり、たくさんの人を知り合うきっかけを作る為に、イベントを企画したりしていました。

その中でも、婚活イベントは結構楽しかった。その当時の仲間数人で「R2M」(Road to Marriage)という名前を付けて毎月開催していた。男女合わせて十数人に参加して頂き、会の最後に開催メンバーの仕事に関しての情報をお伝えするという流れ。

毎回、数組カップルとなり、、、結局、結婚された方は、、、いなかったように思う。

あと、バカボンの単体イベントとして、サーフィンヨガなるモノを考案してヨガ&ランチ会を某有名寺院に隣接する高級レストランにある、和室を借りて開催していた。

ご存じの通り、奈良には海が無い。アメリカにいるときは家から15分ぐらいで海に行けたのが、一番近いサーフィンが出来る海が家から車で1時間半。なかなかサラッといけない。海に行けない時でも何かトレーニング出来る事は無いかなと考えていた時、ヨガに出会った。そして、ある友人に相談したところ、ヨガインストラクターに知り合いがいるというのだ。すぐにアポイントを取って、会いに行った。そう、こういう時の行動力は異常に早いバカボンなんです。

ヨガの先生!!って感じのスラっとした切れ長の目の美人先生と会い、サーフィンと融合したヨガを考えて欲しいと無茶ぶりをした。そして、サーフィンのビデオや雑誌を大量に渡した。

ヨガの先生は見つかったが、じゃあこれをどこでやるんだ????と考えていた。僕はこの当時も今も、よく喋る営業マンGTOに事ある毎に相談をしていた。そして、この時も彼に相談をした。

その当時、彼は運送会社の営業マンを辞め、某外資系金融機関にヘッドハンティングされ、よく喋る営業マンから良く出来る営業マンGTOに変貌していた。彼はこの後、どんどんそのステイタスをステップアップしていく。その様も、ちょいちょい出して行こうと思う。

そして、良く出来る営業マンGTOの紹介で、某有名寺院に隣接する高級イタリアンで、日焼けしたチンチクリンでそれでいて非常に鋭い目をしたマネージャーを紹介された。彼も非常に面白い人物で、常に成功するには。。。みたいな暑苦しい事を常に考えているような人物で、僕の提案を快く受け入れてくれた。

その高級イタリアンは和風作りの店舗で、店舗内に20畳ぐらいある和室があり、その和室を貸していただけることになった。

数週間後、ヨガの先生から連絡が入り、この高級イタリアンで僕がお願いしていたサーフィンヨガのお披露目体験とミーティングを兼ねたランチ会を先生と僕、そして数人の友達で開催した。

初めて体験したヨガは非常にハードで、、、それでいて非常に気持ちいモノでした。そして、不定期に10回ぐらいのサーフィンヨガ&ランチ会を開催して、なかなか盛況で、僕の中では非常に印象深いイベントの一つになりました。

そんなこんなで、僕は東京と奈良とで凸凹な生活を送りながら日々を送っていたのだけれど、やはり、東京だけでなく、奈良の会社も少しづつ歯車が狂ってきていた。でも、その時はそんな事気付く事もなく、ただただ、青年実業家を気取っていたのです。

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