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ショタ漫画と見せかけて、深い人生の教訓を描いた作品『私の少年』

バキ童チャンネルでFANさんがお勧めしていた、『私の少年』。

たまたまBOOK OFFで見つけて購入し、面白かったので一日で読んでしまった。

ショタ目当てに買ったのだが、ストーリーがとにかく素晴らしい。

その反対にショタ要素は少なく、9巻で4年近い時間が流れており、最初小6だった真修(少年の名前)は、3巻の段階で中学生になってしまう。

「ひょんなことからショタとお姉さんが同居することになり、濃密な時間と禁断の恋が描かれる・・・。」的な展開を予想していた私は、あまりの成長スピードに驚いてしまった。しかも、少年を家に泊めるのは一日だけで、それ以外は割と距離のある関係が続く。

物語を読み進めていくうちに、本当のテーマは別にあるということがわかった。今回は、男の子とアラサーOLの関係を通して、この漫画が何を伝えたかったのかを明らかにしようと思う。


『私の少年』ってどんな漫画?

子供が大人になる物語、大人が子供に戻る物語

一応言っておくが、ここからは容赦ないネタバレを含むので、これから作品を読もうと思っている人は、十分注意してほしい。

この漫画のテーマを、私なりに一言で表すなら「子供が大人になる物語、そして大人が子供に戻る物語」である。その意味で、クライマックスに主人公が発した「わたし真修の瞳にうつるわたしが一番すき」というセリフは、物語の本質を表していると言えるだろう。

まあ、これだけ言われてもよくわからないと思うので、順番に説明していく。

なぜ私は少年を保護しているのか

主人公の聡子は、深夜の公園でサッカーの練習をしている少年と会い、誘拐されそうになっているところを助けたこともあり、仕事終わりに一緒に練習することを約束する。

さらに、ご飯を食べていないことや、毎日同じ服を着ていることがわかると、自宅に連れて行き、そのまま一晩泊めてしまう。

もちろん、こうした行為は善意によるものだが、場合によっては犯罪に問われかねない内容だ。

次第に関係を深めて、サッカーを教えるお姉さん以上の関係になっていくとともに、「私はなぜ真修と一緒にいたいのだろう」「私が真修に抱いている感情は一体なんなんだろう」ということについて考えるようになる。

不幸な2人が互いに依存していく話・・・ではない!

この漫画の面白いところは、真修がそこまで不幸な子供ではなく、聡子も男性からそこそこモテる、というところだ。

真修が同じ服を着ていたり、満足に食事が取れていなかったのは、幼い頃に母親を亡くし、父親が仕事で家にいないことが原因だとのちに判明する。

しかし、(母方の)祖母の実家に帰り、面倒を見てもらえるようになったことで、これらの問題は解決する。さらに、学校生活も特段問題があるわけではなく、普通に友達を作って、普通に過ごしている。

主人公の聡子も、独身ではあるが、同じ職場に元彼がいたり、たまたま再会した昔の男友達と結婚直前までいくなど、男性に飢えている、といった状況では決してない。

だからこそ、互いに今の関係を「仕方ないもの」と片付けることはできず、自分なりの答えを見出さなければならなくなるのだ。

聡子のどっちつかずな態度

真修は割とシンプルで、「聡子さんのことが好き」という感情が全体を通して一貫しており、それが変わることはない。問題なのは、聡子の方である。

彼女は、明らかに真修に好意を抱いているのだが、本人に対しても、親族や信頼できる同僚に対しても、曖昧な態度をとり続ける。8巻の最後にようやく、恋のライバルである真修の同級生(小片)に、「私は真修がすき」と打ち明ける。

しかし、真修にその気持ちを伝えることはなく、物語は終わってしまう(その代わりに言ったのが、「真修の瞳にうつるわたしが一番すき」というセリフである)。

なぜ人を愛するのか

人によっては、このような少しモヤモヤする最後に、不満を覚えるだろう。だが、このような終わりには、ちゃんと意味がある。

この漫画は全体を通して、「愛するとは何か」という問いが問われ続ける。

それは決して聡子と真修の関係だけでなく、この物語に登場するほとんどの恋愛が、「単に人を愛する」以外の要素を含んでおり、むしろそっちが重視されている。

例えば、聡子と元彼の恋愛は、聡子が椎川(元彼)を別れたお父さんに重ねており、椎川本人のことを愛していたわけではなかった。偶然再会した男友達と付き合ったのも、「非日常が欲しい」「そろそろ結婚しなければならないのでは」といったような、漠然とした理由からだった。

このように書くと、聡子が身勝手な人間に思えるかもしれないが、どちらかというと、社会的な立場やあるべき大人といったイメージに振り回される、苦労人である。

とはいえ、真修に対してどっちつかずであることについては、完全に納得することはできない。だが、このような終わり方はこの手の漫画のお約束みたいなところがあるので、ある程度仕方ないところはあるだろう。

大人と子供の断絶

「背がっ、欲しいです!」

『私の少年』では、ことさらに「大人と子供の断絶」が描かれる。

それは、社会的には許容されない聡子と真修の関係や、社会的な立場を重視する大人と、自分の感情を優先する子供との対立、といったものだ。

夏休みの宿題を早く終わらせた真修に、聡子が「何か欲しいものってある?」と聞くと、「背がっ、欲しいです!」と答えるシーンがある。ここでの「背」というのはおそらく、年齢のことを指しているのだろう。

年をとって、聡子と同じ立場になることができれば、恋愛することができたかもしれない。この真修の発言は、どうしようもなく大人と子供の断絶を表している。

断絶の先に生まれる関係

だが、こうした断絶の中に、この漫画の魅力がある。

立場や年齢がかけ離れているからこそ、お互いがお互いを引っ張っていくような、同年代同士の恋愛関係では決して生まれなかったであろう、特別な関係となっているのだ。

聡子にとって、恋愛は「退屈から抜け出すためのイベント」である。こうした彼女の姿は、「これからも恋を続ける」ために、ウェディングドレスのまま結婚式場を抜け出した『ハッピーマニア』のシゲカヨに似ている。

しかし、社会人の恋愛は結婚を前提としたものになるので、本質的に相手の男性への興味がない聡子にとっては、負担の方が大きい。

真修は、なぜか同年代の女の子への興味が全くない。彼にずっと思いを寄せているクラス委員長の小片(けっこう可愛い!)が、そこそこの頻度で登場するのだが、かませ犬と呼ぶのも変な気がするほど、あっけなくフラれている。

だが、聡子への思い入れはすごく、聡子が転勤で離れてしまっても、追いかけ続けるほどの情熱を持っている。

つまり、2人の相性はとても良いのだ。明確な恋愛関係でないからこそ、お互いに相手を追いかけ続け、相手の役に立つことを通して、自分の生きがいを見いだすことができる。

最初は、大人と子供の断絶が乗り越えるべき壁のようになっていたが、壁があるからこそ、健全な関係が保たれるという仕掛けになっている。

真面目な父親が見せた子供らしさ

とはいえ、こうした断絶がずっと続くわけではなく、物語が進むにつれて少しづつ解消されていく。

そのきっかけの1つは、真修が父親と買い物に行ったときに起こった出来事だ。

真修は、幼い頃に母親を亡くしている。父親も仕事で忙しく、日々の生活に問題を抱えていたのだが、祖母と一緒に住むようになったことで、健康的な生活が送れるようになった。

祖母に頼まれて、真修は父と買い物へ行く。真修は、何を買うべきか全て把握しており、父に対して「にんにくはチューブの方」「納豆は大粒」など、細かい指示や訂正を行う。

自分が足手まといだと悟った父は、「父さんレジのところで待っててもいいか。俺がいる意味ないだろ。」とふて腐れる。

それを見た真修は、「好きなもの選んで。ばあちゃんには内緒にするから。」と、父をカップ麵の棚へと連れていく。

すると、途端に父は笑顔になり、まるで子供のようにウキウキになって、カゴに好きなものを入れ始める。

このシーンは、一見するとなんてことのない日常の出来事だが、真修の父親はずっと冷たい人物として描かれてきたので、最初からこの漫画を読んでいると、かなり衝撃を受ける場面である。

そして、幼かった真修が父親に指図できるまで成長し、ずっと大人として生きてきた父親に、子どもっぽいところがあることが判明するシーンでもある。

「大人も子供みたいになることがある」

この気づきは、ずっと大人と子供の断絶を経験してきた真修にとって、大きな意味を持つ出来事だった。

この親子で買い物に行く場面は、個人的にすごく好きなシーンだ。

「幼い自分」との出会い

聡子の方も、真修との関係を通して、断絶を解消していく。彼女の場合は、幼い頃のトラウマというべきだろうか。

詳しくは描かれていないが、聡子が母の再婚相手に性的虐待を受けていたことを思わせる描写がある。そうした過去があるせいか、彼女は少々過剰適応ぎみに、「大人」として社会に順応しようとしている。

しかし、真修と出会い彼の姿に自分自身を重ねることで、過去の自分と向き合うようになる。真修と新幹線で話す場面で、大人の姿から女子高生の姿に変わるシーンがあるのだが、よくできた演出だと感じた。

最後は、自分の部屋で小さい頃、中学生の頃、高校生の頃など、色々な時期の自分と出会う。

そして、

聡子「・・・私ね。多分これからずっと怖がりだよ。弱くって、泣くのが嫌なぐらい泣き虫で、臆病なままの私でいるんだと思う。」

幼い頃の聡子「・・・そんなままでいていいの?」

聡子「いていいよ。だから、これからは私と一緒に怖がってくれない?」

というやり取りで、過去の自分も、今の弱い自分も受け入れられるようになる。

これは、同世代の友人や恋人との関係では決して成し遂げられなかったことだろう。

真修と深く関わったからこそ、幼かった頃の自分を、断絶した過去ではなく、同じ自分として捉えられるようになった。

子どもの自分と大人の自分が一本の線でつながるという感覚は、当たり前のようで多くの人が失っているものである。

聡子もそうだったが、真修と出会い、自分自身の過去と向き合うようになったことで、そうした断絶は解消されたのだ。

本当は細かいシーンについても語りたいのだが、キリが無くなってしまうのでここまでにしておく。

漫画と一緒に聴いてほしい曲

ガガガSP『線香花火』

最後に、この漫画を読んでいて、ピッタリな曲が2つ浮かんできたので、それを紹介させてほしい。

1曲目は、ガガガSPの『線香花火』だ。

作中で聡子と真修が線香花火をしており、2人で夏祭りに行くシーンがあるから、というシンプルな理由なのだが、かなりこの作品のテーマとマッチしている。

退屈な日常を過ごしている主人公が、線香花火を通して昔を思い出すという曲のストーリーは、聡子と重なる部分が多い。

「僕が君を思い出すのは、 本当に好きだからなのか? それとも今の日々が、 楽しくないから想い出すのでしょうか?」

という歌詞は、なぜ自分が真修と関わっているのか悩んでいた聡子の気持ちを、よく表している。

それと同時に、叶わなかった昔の恋を振り返っている主人公の姿は、未来の真修のようにも思えてくる(もちろん、結ばれてほしいという思いはあるが)。

2人が向き合ってした線香花火の、火が永遠に消えないことを願おう。

フラワーカンパニーズ『元少年の歌』

2曲目は、フラワーカンパニーズの『元少年の歌』だ。

この曲も、毎日を頑張りつつ、過去を振り返る大人の姿が描かれている。

全ての歌詞が良いことは言うまでもないが、やはりサビの

「大人だって泣くぜ 大人だって恐いぜ 大人だって寂しいぜ 大人だってはしゃぐぜ」

という歌詞に、全てが込められている。

最後の、

「大人だって子供だったんだぜ」

というメッセージは、これ以上ないほど簡潔に『私の少年』のテーマを表現していると言えるだろう。

この曲のMVで、2人の子どもが「冒険だ!」と言いながら、ワサビ入りのホタテとイカを注文する場面、強面のヤクザのおじさんが、サビ抜きの玉子を注文する場面があるのだが、これも大人と子供が断絶したものではなく、確実に繋がったものであることを感じさせる。

この2曲があまりにも合いすぎていて、途中から一本の映画を見終わったかのような気分になり、思わず涙を流してしまった。

歌詞を確認するため、記事を書きながら曲を聴いている今も、少し目が潤んでいる。

もし『私の少年』を手に取る機会があれば、ぜひ最後にこの2曲を聴いてほしい。きっと、歌詞のメッセージが何倍にも深いものに感じられることだろう。

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