毎回、生きづらさを書き殴り続けているけれど、なんとかお金を稼いで生きていかないといけないわけで。 たぶんADHDの特徴なんだろうけど、どうも集中力が続かない。 でも、その割に、今までの経験で、そこそこ仕事自体はそつなくできてしまう。 そして、仕事やってしばらくすると、だいたい先が見えてしまう。 毎度同じことをしたり、ずっと似たようなことをすると、 ずっとこれが続くのか…と急にしんどくなる。 周りには「飽きた」って言い訳してるけど、 本当は「同じことが続く恐怖」と
今の仕事を休職して、2ヶ月半が経つ。 今の会社では、休職は最大3ヶ月までと規程があり、それを満了すると自動的に「自己都合退職」となる。 なので、退職は既定路線だ。 重い身体を引きずって、転職活動をしていた。 もう数えてないが、多分8回目だったと思う。 なんとか、内定が出た。 仕事の選びかた今でこそ、業種によってはフレックスやリモートも当たり前になってきた。 自分が身を置いているマーケティング業界やWeb界隈は、比較的それをやっているところもチラホラ。 でも、ほと
頑張るたびに壊れていく発達障害の中では、たぶん私は軽い方なんだと思う。 ほとんどの症状は、今までの経験から、なんとなく「こうした方が良いんだな」「こうしないとダメなんだな」と学習していて、そう振る舞うことができる。 だから、ほとんど周りから気づかれることはない。 言われるとしたら、「ちょっと変わってるよね」くらいのもんだ。 だけど、「振る舞っている」だけだから、当然小さな歪みが少しずつ溜まってくる。 そういった時に、人間関係や仕事上のストレスがかかると、一気に溜まった
正直、学生の頃からココロオドルようなことや、ワクワクすることがなかった。 そうか、行動原理が異性からモテたいとか、仲良くなりたいとか、そういう想いがあるからなんだな。 そうそう、僕はアロマンティックです。 アロマンティックって?要は、体の関係は否定しないけど、恋愛感情をまったく持たない指向です。 恋愛感情は全くないので、みんなが話している「好き」という感情の意味がわかりません。 友達として大切、とか、家族として大切、はわかります。 別に、冷血人間じゃないです。なん
なんとなく耳に残った曲を、サブスクサービスで調べてみる。 いろんなアーティストが、切ない恋や、希望を見出せない現状を憂い、歌っている。 たぶん、恋愛や友情や仕事の悩みというのは、普遍的なものなんだろう。 たくさんの曲が生まれ、消費されていっている。 ラブソングに感情移入できない自分自分は、アロマンティックというものにおそらく属する。 誰かのことを、恋愛対象として見たことはないし、好きになったこともない。 大人になると、学生の時のように周りに色々と話せるような信頼関
今月から、会社で辞令が出て強制的に休職になった。 もちろん、会社としては働く人の健康を気にして、 適切に対応する必要があるんだろう。 でも、まだ診断書も出していないのに、いきなりそういうことすんのどうなの? 確かに土日挟んで、前と後1日ずつ休んだけど… なんのエビデンスもなく、いきなり休職を告げられると余計に大変なのだ。 休職中のことを考えないといけない休職すると、その月の給料が出ないということになる。 月末締め、翌月末払い、とかなら前月の給料が入るのでまだよい。
ADHD かどうかとか、マイノリティかどうかとか関係なく、ほとんどの人は本当の姿、本当の思い、本当の自分を見せていないんじゃないかな。 人の前では、必死に背伸びして、必死に明るくして、必死に見せかけの自分を取り繕って生きている。 分かってるんだけどな。 もう自分はどこにも必要とされてねぇな、とか もう自分は生きている理由が特にねぇな、とか ふと思う時がある。 そんな時、どうすれば良いんだろうか。 恋人に慰めてもらうんだろうか。それとも、友達か、親兄弟か。 そういう
あんまり、こういうことを言うと元も子もないんだけど。 ADHD とか ASD みたいな発達障害、社会不安障害(SAD)、HSP、みたいなこの世の中の「常識」内で生きることにつらさを覚えるのって、 結局は今目の前のこともあるけれど、それより将来への不安、生活への不安のほうが大きいんじゃないかな。 二次障害のことほとんどの人は、障害があってもある程度は歯を食いしばりながら働いたり生きているわけで。 その範疇に収まっている限りは、実は大きな問題じゃなかったりする。 ちょっと
別に、いまニュースで報道されているような、一つ間違えれば死んでしまうような虐待を受けていたわけではない。 だけど、今でも精神的には傷があるし、結果としては虐待だったんだろう。 「普通」を求められる「普通じゃない」子ども自分は生まれつき片方の耳が聞こえない。 「小耳症・外耳道閉鎖症」という障害を持っているので、どうしても「普通」ではないのだ。 両親は、できるだけ「普通」として育てたかったんだろう。 でも、「普通」の人と同じ経験をしているわけではない。片方の耳が聞こえないと
36にもなったジジイが、流行りの曲に乗ってみたダサいタイトル。 そんなに聞き込んだわけでもないし、歌詞もちゃんと聞いたことないし。でも、なんか若者を中心に刺さっているのはわかる気もする。 夜が好きだ夜って、なんだかとても好きだ。 東京にいるときは、しょっちゅう新宿に入り浸っていた。 12時過ぎて、終電がどんどんなくなって、帰らない人・帰れない人だけになった街。 若いエネルギーを吐き出そうとする人、日ごろのうっ憤を晴らそうとする人、そんなエネルギーを使わそうとするお店。
毎日の仕事を、何のためにやっているのかと思うことばかりだ。 休みの日も、睡眠障害を無理して仕事しているので、その調整で終わってしまう。 別に、誰からも「特別に」必要とされているわけでもなく、誰かと密に連絡を取っているわけでもなく。 その誰かも、みんなちゃんとコミュニティがあって、友達や家族があって。 それで、仕事でも特に社会の役に立っていないのであれば、もはや存在意義ってないんじゃないのかと思う。 今まで、個人宅への荷物の配達をしばらくバイトとか委託とかでやっていた
私は、自分から何かに興味を持つことがほとんどない。 色覚は正常だが、世界はモノクロに映っている。 きれいな花を愛でることもなければ、歴史を調べたくなることもないし、澄んだ空気や田園風景にあこがれることもない。 話題になったゲームもやろうとも思わないし、映画も漫画も何が面白いのかさっぱりわからない。 みんなが生きる活力、もしくは稼ぐ活力にしているものに対して、何も食指が動かない。 ただただ、目の前の生活費のために働いているだけだ。 学生時代をさかのぼると高校までは、自分
note に限らず、SNS を日々やっていると、いわゆる「意識高い系」の投稿を目にする機会が多い。 自分はこんなことやってます!っていう投稿が、名前が、ただただ鬱陶しいしめんどくさい。 基本的に、そういう発信をしている人のほとんどが、その親玉みたいな人からやるように言われてやっていることを、僕は知っている。 自己のブランディングの一環として、意識高い系の投稿を並べて、いかに自分の付き合うのが得かをプレゼンしているのである。 虚飾にまみれた「心地よい」言葉の羅列自分は、はし
ADHD的な気質を持っていると、 「こういった傾向がある」「こういう思考回路になってしまう」というようなことは、当然頭に入っている。 なので、それに対しては、自分なりに比較的対処しているものなのだ。 例えば、 「周りを気にせずに話し過ぎてしまう」なら、自分は基本話さないようにして、周りが一通り話し終わるまで待っていたりする。 そこで、声の抑揚やトーン、表情などを見て、自分が入るべきか否か、気持ちを汲みとれているかどうかを見ていたりする。 こういうことは、社会人経験を経
体調に異変を感じた高校生の時の、家族のかかりつけ医からの診断名は「自律神経失調症」 社会人一年目、不眠と体調の悪さに泣きついた、手首にリスカ跡がある新宿のメンタルクリニックの医師からの診断名は「うつ病」 新卒で入社した会社を辞め、地元に戻って、就職活動をしながらネットでいろいろ調べて、みつけた病院の医師からの診断名は「双極性障害」 再度東京に出て、いろんな仕事を転々とし、もうどうしようもなくなって探した病院での医師からの診断名は「双極性障害、発達障害未満(ぎりぎり正常の
昨日の記事に40近いスキがついていた。 ほんとうにありがたいです、こんなつれづれなるままに書いているのに。 そこでふと、思い出したことがあって、今日はそれを書きたいと思う。 昔からそうだった小さい頃は、親の愛情のもとで育って、外で友達と遊んで、それで十分だったはずだ。 もちろん、親の愛情を十分に与えられなかったり、友達にいじめられたりすることもあるだろう。 それでも、基本的には「周りからの愛情」「友達との友情」が大きな柱であることは間違いない。 それがいつからか、「恋