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自己啓発ってなんで流行ってるの? 宗教なの? -1- 6/14

なんかもう最近自己啓発書のことばっかり書いている気がする。久保内ですけども。で、この質問なんですが、どうして自分が新興宗教の売り方まで知っていると思って送ってきたんでしょうか。……一応知ってるから言いますけど、はい、同じですよ。幸福の科学のアニメ映画を8割ほどは見てますからね。

しかし、それだけを持って「だから自己啓発書は宗教だ!」とは言えないし、宗教だから何? 何となく悪い意味としてのレッテル貼りにしかならないと思うんです。そこを踏まえていうと……、はい、自己啓発書は宗教です……あれ?

ちょっと順番立てて話していきましょうか。まず、新興宗教と同じ売り方だったら、宗教なのか。

これは明確に違うといってよいかと思います。前二回のノリで書いたnoteでは、そのあたりのことは、自分としてはマーケ手法としていったんまとめていたと思います。マーケティングの方法論、というか、成果(販売数・そのほかのKPI)を最小の労力で最大化することを主眼に考えると、本であれ化粧品であれ、食品であれ、宗教であれ抽象化すると同じ方法にたどり着くんです。そのこと自体に善悪はないんですね。あるのか効率的かどうかのみ。同じ理論を学んで、適用しても同じ結果にならないのなんて批評理論とSTAP細胞理論くらいなもんです(適当)。

普通は、このマーケ手法を使いながらも、市場を壊さないようにとか、偉い人ににらまれようにとか、提供する価値に応じてとかを勘案して、敵を作らない・将来の行動を阻害されないようにと、適当に丸めると「愛されたい」欲望でこの効率化手法を徹底させないという判断をするんです。

が、ちょっとその辺の感覚がぶっ壊れたマーケティング・モンスターな方は、「市場の良識? なにそれ。それが壊れたら、俺は損するの?」とフルスロットルキメちゃうわけですね。

「ええ!? そんなことしたら、市場の信頼と同時にあなたの信頼も死んじゃうよ?」と思ったとしても、彼らはその手法をとっても自分は損しないか確信があるんですね。そもそも、普通の成人は、市場のランキングの信用性や、著者の信用性なんかはっきり認識しちゃいないんです。そもそも、国民の30%は1年間に雑誌や書籍を1冊だって買っちゃいません。残りも2~3冊で、読書家の仲間入りです。

(余談ですけど、岡田斗司夫の評価経済社会とかそのへんの言葉って、最近イケダハヤトや、はあちゅうとかによって意味がものすごく単純化されて、「フォロワー数はチカラ」という意味としてしか流通してないですよね。ホントにどうでもいい余談だった。)

だから、「読書こそが最大の自己投資!」みたいなクソどうでもいいスローガンが「学び」として2020年でも流通しているわけですよ。

結果、フルスロットル・マーケモンスターは、その時その時の書店の販売面積のマックスをとり続けることで、無視してよいくらいのごく少数の読書家の信用性を失っても痛くも痒くもない、「今本屋で一番売れているのだからいい本なんだろう」というぼんやりとした権威性をゲットできるのです。あやかりたい。

でも、自分は自己啓発書は宗教だとも言いました。じゃあそれは何なんだよ? というと、ここまでで30分くらい経ったので次回に回します。

一応言っておくと、「学び」と「気づき」と、「不景気」と、「ポジティブシンキング」、「思考は現実化する」あたりがカギだと思っています。

というワケで、今日はこの辺で。

続き書きましたよ。

久保内へのよろず質問・お問い合わせはマシュマロを使うと便利ですよ。そして、ついに「次回に回します」という何様なのかよく分からないヒキを使い始めた久保内のその次回とやらに付き合ってやってもいいかなと思った方は、note・twitterのフォローと、RTなどしていただくと神のご加護があるでしょう。noteのスキについては、ご加護の程がいまいちわかんないのでどっちでもいいです。




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