考えなくても動けるレベルになるまで、ひたすら慣れよう。│ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!⑪
第二巻 観念について
第九章 知覚について
習性、とりわけごく早く始まった習性は、ついには、私たちのしばしば気づかない動作を私たちに産むようになるものだ。
前回、意識的に「知覚」をしに行く必要があるということが分かりました。
しかし、これがまぁ大変な作業なわけです。
大変過ぎてついついサボってしまいます。
しかし、知っておいてほしいのは、
「どんなに大変な作業も、いずれは慣れる」
ということです。
そして、
「慣れてしまうと、何も意識しなくても自然に体が動く」
ということです。
例えば、自転車に乗るときも、最初は苦労したわけです。
ハンドルを操作しながら、ペタルを漕ぎながら、バランスを取らなければいけません。
勇気を保ちながら、いろいろなところに注意して、それでも転びまくりました。
しかし、いずれ乗れるようになり、いつしか、何のプレッシャーも無く、自転車を乗りこなせるようになります。
「右のペダルを漕いだら、次は左のペダルを漕いで…」
なんてことは、もはや一切考えなくなります。
このように、最初はあんなに苦労していたものも、気がつけば、何も考えなくてもできるようになるのです。
「あれ?家の鍵ちゃんとかけたっけ?」
も一緒です。
「鍵をかける」という作業がもはや当たり前過ぎて、その行動に全く意識を向けていないのです。
でも、体はちゃんと動いて、鍵をかけています。
当たり前過ぎることは、もう記憶にも残らないのです。
相手のフォームを見る作業も、今は大変かもしれません。
頭を一生懸命に働かせ、
「このフォームだと確か、フォア側に打ってくるから、フォア側に動いて待っておこう!」
と、ようやく判断します。
しかし、慣れてしまえば、意識しなくても、勝手にこの作業を行うようになります。
意識しなくても、相手のフォームを見るようになります。
意識しなくても、フォア側に来ると判断するようになります。
意識しなくても、フォア側に体が動くようになります。
これが、卓球をやる上で目指すべき境地なのです。
今は大変なその作業も、それは一生大変であり続けるわけではありません。
なので、今はサボらずしっかり大変な思いをして、それを乗り越えて、その先の境地にたどり着いてください。
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