見出し画像

「練習でできることが試合ではできない」のは、何か「やってない練習」があるから。│ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!㉟

第四巻 真知と臆見について
第一〇章 神なるるのの存在の私たちの真知について

単なる無がなにか実在の存有者を産めないことは、無が二直角に等しいことのできないのと同じだと、知る。

「無」から何かを生み出すことはできません。

つまり、練習をしていないと、できるようにはなりません。



例えば、

「練習では入るロングサーブが、試合では入らなくなる…」

という悩みがあります。



そして、解決策として、

「サーブ練習が足りないんだ!」

と言って、ロングサーブの練習に励みます。



しかし、この人は、おそらく十分なサーブ練習を既にしています。

練習では入るわけですから。

なのに、試合では入らないということは、どこか別のところに「無」があり、本当にすべき練習はそこにあるということです。

そこに気付かずに、ひたすらサーブ練習をやり続けても、「無」はあり続けるので、いつまで経っても試合でロングサーブが入らないのです。



では、「無」がどこにあるのかを、練習と試合を比較することで考えていきます。



サーブ練習では、コートの端を狙って打っているので、しっかり入る。

しかし試合では、「打たれたくない」と思ってしまい、コースギリギリを狙い過ぎたり、スピードを出し過ぎたりしてしまっている。

ということは、試合のときに狙い過ぎなければいい。

そのためには、「打たれたくない」と思ってはいけない。

だったら、「打たれてもいい」と思えるように、打たれる練習をすればいい。



ということで、「無」は、

「ロングサーブを相手に打ってもらい、3球目ブロックの練習」

だということが分かりました。

この練習をやることで、試合で狙い過ぎることが無くなり、ロングサーブが入るようになるでしょう。



このように、

「練習では上手く行くのに、試合だと…」

という場合、どこかに気付いていない「無」があるはずです。

練習と試合の違いを考え、「無」を見つけ、そこを練習することで、試合でもできるようになっていきます。


㉞アドバイスをもらって終わりではなく、その感覚を掴むまでは猛練習あるのみ。
㊱自信をつけるには継続が必要なので、試合前日に頑張ってもしょうがない。

ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?