絶望して悲しそうにしてますけど、本当は「絶望したかった」んじゃないですか?│ジョン・ロックの『人間知性論』を卓球にフル活用しよう!⑯
第二巻 観念について
第二〇章 快苦の様相について
絶望は、ある善をえられないと考えることであるが、人々の心に違った働きをし、心地悪さや苦を産むときもあれば、安息と怠慢を産むときもある。
何かが叶わないと感じたとき、人は絶望します。
「あの人には勝てない…」
「チキータなんてできない…」
こうした絶望は、心地悪さや苦を生むこともあれば、安息や怠慢を生むこともあります。
諦めることで、悔しさを感じることもあれば、どこかホッとすることもあるわけです。
絶望することでホッとするのは、全然良いんです。
ひとつ問題なのは、
「ホッとしたいがために、すぐに絶望する」
という人がいることです。
目標に向かって努力し続けるのは、大変な道のりです。
なので、覚悟の足りない人は、すぐに諦めます。
そして絶望して見せ、周りの注目を集め、慰めてもらいます。
これが、すぐに絶望する人の手口です。
別に、本人がそれでいいなら、それで構いません。
しかし、それはその人の卓球人生のためになっているのでしょうか。
その人にとって卓球は、
「成長するための装置」
ではなく、
「絶望を生産する装置」
になってしまっています。
それで良いんでしょうか。
僕は、卓球を成長のために使ってほしいと思います。
自ら絶望を求めるようなことは、すべきじゃないんじゃないかと思います。
⑮今の打ち方はどれくらい良かったのか、一回一回しっかり考えよう。
⑰これまでの観察を基に、次のボールを予測することができる。
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