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【日記&悔悟録】③介護者の体調不良はライフプラン考え直しの合図なのかも。


[日記]2011年11月2日

朝、なんだか胸に痛みを感じる。悪い方に考えているうちに軽いパニック症状を起こしてしまったようで、我慢できなくなり病院へ行く。調べてもらっても異常なし。昨日、連れて行ってもらった店で、若干、飲みすぎたせいかなぁ。

そんなことがあったにも関わらず、夜、仕事の打ち合わせを兼ねて友達とまた居酒屋に。念のため、アルコールは控えめにしておいた。


◉振り返り

最初の不安と向き合う

なんとなく胸が痛くなること、ありますか。
不安とか、ストレスとか、そういうことが原因なのだとは思いますが、
私はたまにあります。
病院に行っても、いつも「異常なし」で終わるのではありますが。


この日記を書いたのは、母の事故から2ヶ月が経った頃。
その間、母の入院・手術・退院に付き添い、
事故後の関係各方面への対応もこなし、
フリーのコピーライターとしての仕事もしていて、
東京出張にも行ったり、
実家の様子も見に行ったりしていて、
まぁ、そんなあれこれの疲れが溜まっていたのでしょう。
ちょっと落ち着いた時に、「休め」のサインが現れたのかもしれません。


まだ介護と言うようなものが始まる前であるにもかかわらず、
もう疲れてしまっていたのか、と、今更ながら、驚きです。
でも、それが私の「容量」だったのかもしれませんよね。

実は、30代の後半、1993年にフリーランスになった時、
パニック障害になったことがあります。

当時、そういう表現はまだなかったようで、
自律神経失調症という診断名でした。


急に仕事が少なくなり、
用事のない日、誰にも会わない日が続いたことから、
社会との結びつきを感じられなくなり、
自分の存在意義だとか価値がわからなくなったのです。

その一方で、そういう自分に
世間のみんなの目が集中しているように感じてしまい、
いきなり動悸が速くなったりします。

そういう時はとにかく家に戻りたい、
横になりたいという思いが強くなります。
初めてこの状態になったのは、当時住んでいた家の近所の喫茶店で
注文したランチを待っていた時でした。

一刻も早くその店から出たいという思いが強くなり、
オーダーをキャンセルして飛び出したのを覚えています。

この日記の日の胸の痛みは、30代の時ほど大きなものでは
なかったのですが、
いま思えば、不安感の底にあるものを
しっかり見極めればよかったのではないかと思います。


その作業をしておけば、
数年後、仕事よりも介護に重心を置き、
経済的なことも含めて生活のバランスが崩れてしまうことになるのを
防ぐことができたかもしれません。

つまり、介護と思われるかかわりを始めて、
最初に感じる「休め」のサインは、
「休め、そして考えよ」のサインだったのかもしれません。

それをないがしろにすることなく、
本当は自分がどう感じ、どう考え、
どこまでなら関われるか、
これ以上は無理かもしれないというラインを
どこに引くか。

そういうことをちゃんと考えておかないと、
漠然とした不安は、いつまでも漠然としたままであり続けると
警告してくれているのでしょう。


介護家族が持つべきもの

介護家族にとって、何より大切なのは「自分軸」です。
もちろん、介護を受ける人を中心にものごとが計画され、
実施されるのは大切なことなのですが、
その、本人の意向を尊重し、寄り添う家族にとって、
どこまで自分の人生を大切にできるかも大切なことです。

自分が振り回されていると感じるようになったら、
その時点で自分のかかわりのあり方を見直し、
考え直してみる必要があるのだと思います。

とはいえ、気分次第で、思いつきで変更してしまうのは
違います。

人生を俯瞰し、いま自分のためにすべきこと、
その次に、介護が必要な親のためにできること。
それを十分に考えた上でかかわり方を切り替える。
それをするのが「自分軸」で人生と介護を考えるということ
なのではないかと思います。



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