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劣等感はあった方がいい(前編)

アドラー心理学では、ヨガの世界でいう「カルマ」のような原因論ではなく、目的論という立場をとり、トラウマの否定というところによくフォーカスされますが、学んでみるとヨガ哲学と繋がるところがたくさんあります。今回はアドラー心理学とヨガ哲学から見る劣等感についてを書きました。

劣等感の正体

あなたは劣等感を持っていますか?

容姿が・・・
体型が・・・
性格が・・・
過去にあれが・・・
などなど
探せば何かしら出てくるものなのかなと思います。

ここは
前フリなので
一生懸命に劣等感を探さなくていいです。

ちなみに僕はたくさん持っています。
劣等感の高島屋です。

例えば
「身長があと5cm欲しかったな〜」とか
「その5cmは上半身じゃなく下半身に足して欲しいな〜」といったように
身長や脚の長さに劣等感があったりします。

この身長問題を例に
もう少し考えてみましょう。

僕の身長は
日本人のちょうど平均くらいですが
僕が仮に日本より平均身長が低い
フィリピン人だったとしたら
まあまあ大きい方です。

ということは
もしかしたらフィリピンで暮らしていたら
この劣等感は芽生えていなかったかもしれません。

もっと極端に
僕がおとぎ話に出てきそうな
小人の村の住人だったとしたら
僕は巨人扱いされて
逆に劣等感を抱いていたと思います。

つまり
劣等感とは周りの環境や他の誰かと比較して生まれる
相対的なもの
であることが多いのです。

相対的なので
周りの環境がどこなのか
他の誰かとは誰なのかによって
変化するものなのです。

劣等感は
拭い去ることが出来ない
事実だと思っていませんか?

違うんです。
劣等感とは
客観的な事実
ではなく
主観的な解釈
なのです。

解釈
つまりどう受け止めるかという問題なので
そこで苦しんでしまうことも出来るし
逆にそれをプラスの材料にすることも出来るのです。

後編へつづく

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