見出し画像

劣等感はあった方がいい(後編)

「私なんか・・・」といったような劣等感は、客観的な事実ではなく、主観的な解釈です。解釈なのでコントロールが出来ます。上手にコントロールが出来るようになると、劣等感は自分にとって必要なスパイスなのだということに気がつきます。
前編はこちら

解脱とは何か

前編でも書いたように
劣等感とは周りの環境や
誰かとの比較から生まれる
相対的なものであることが多いのですが
ヨガ哲学では
劣等感が芽生えさせるような世界が
何故存在するかというところにまで言及しています。

悩んだり苦しんだりする相対的な世界は
それらを体験させることで
その世界から解脱するチャンスを提供している
(ヨーガ・スートラ2-18参照)

一見僕たちに厳しい試練ばかりを与えてくるようなこの世界は
解脱するためのチャンスを与えてくれている世界なのです。

「解いて脱する」と書いて解脱です。
この世界の問題を解いて
そこから脱するのがヨガの目的です。


劣等感の正体

さて
劣等感とは
主観的な解釈の一つだということが
分かりました。

そこで
アドラー心理学が説く
劣等感の正体について
触れていきましょう。

元々人は無力な存在として
この世に生を受けます。

お母さんのお腹から出てきたばかりの赤ちゃんは
1人で生きることが出来ない無力な存在ですよね。

実は人間にはこの無力な状態を脱したいという
本能的な欲求が備わっています。
これを優越性の追求と言います。

そして
その本能的にある優越性の追求と
表裏一体なのが
劣等感なのです。

人は常に
「無力な状態から抜け出したい」
「今よりも成長したい」
という状況にあって
なんらかの理想や目標に向かって
常に前進しているという状態なのです。

しかし
そんな理想や目標に到達できていない自分に対して
まるで劣っているかのような感覚を抱いてしまう。

これが劣等感の正体なのです。

つまり劣等感は
本来備わっている
「優越性の追求」がつくっているということなので
決してダメなことではなく
むしろ人としては成長しようとしている
健全な証拠です。

アドラーは
「優越性の追求も劣等感も病気ではなく
健康で正常な努力と成長への刺激である」
と語っています。

劣等感とは
自分を奮い立たせる
スパイス的な役割を担っているのですね。

最後に
ヨガを学ぼうとする人は
真面目な人が多いです。
真面目な人ほど
理想や目標を持っています。
だからその分劣等感も多いはずです。
そう、スパイス強めなのです。

そのスパイスが効いているところが
自分の魅力なんだと
前回と今回の記事を読んで
思っていただけたら嬉しいです。


まとめ

・あなたが今抱えている劣等感は、主観的な解釈。
・解釈なので「ポジティブな解釈」にも「ネガティブ解釈」にも変えられる。
・そもそもこの解釈は「優越性の追求」という本来備わっている「成長したい」という想いのおまけについてくるもの。
・だから悪いものではない。
・劣等感は自分の成長に必要なスパイス。

おわり

画像1

画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?