インドで出会った聖人。

ヒンドゥー教の聖地、バラナシに向かう列車の中だった。

走行中にもかかわらず開け放たれた乗り降り口から、足をぶらぶらさせながらタバコをふかし、流れゆく異国の風景を眺める私の肩を不意に叩いたのは、見知らぬ外国人だった。

「タバコを一本くれないか。」
そう言った彼の風貌は、キリストをイメージさせた。
30代後半くらいの、ひげもじゃのナイスガイ。

ハイライトのメンソール一本渡すと、妙に気に入られてしまったようで、一緒にバラナシを観光しようと言う。

明らかに警戒するべき場面ではあったが、彼のあまりにフランクで優しい雰囲気に思わずイエスと答えてしまった。

彼はネパール人の医者で、気まぐれに仕事をしてお金を稼いでは世界を旅する、自由人のエリートだった。
名前はたしか、ガネシだったと思う。

今でも忘れられないエピソードがある。
安宿で休んでいる時、私の腕に蚊がとまり、無意識にその蚊を潰そうと腕を叩いた時だった。
「No kill.」と彼は言った。

最初、意味がわからなかった。
どうすればいいか聞き返すと、
彼は自分の腕に止まった蚊に、ふっと息をふきかけ逃がしていた。

虫さえ殺さぬ、ベジタリアンのお医者様。
私には彼が、聖人に見えた。

世の中で争いが起きるのを見るたびに、
毎年蚊取り線香をつけるたびに、
僕は今でもガネシの事を思い出してしまう。
そして、そのたび自分がとてもちっぽけな人間だなと思う。

ただ、彼はめちゃくちゃマリファナを吸っていた。


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