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クミの聖書のお話(週一更新・メンバーシップ特典)

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本物の偽牧師、足袋田クミの聖書のお話 毎週一本記事を追加します 内容は基本的にYouTubeチャンネル「羊たちの夕べ」でお話しするものと同じです。そちらは無料でご視聴いただけ…
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2024年6月の記事一覧

人のために規則がある

人のために規則がある

規則は何のためにあるか、と問われて、意外と多くの人は答えに窮するかもしれない。法律は、とか、憲法は、とか、もっと身近に校則は、とか言い換えてもいい。秩序を守るためとか最低限の道徳だとか、もっともらしく答えられそうな気もするけど、イエスの答えは実際納得しやすいものに思えます。「規則は人のためにある。その逆じゃない。」

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する必要のないこと

する必要のないこと

使徒行伝など見ますと、「断食して祈り」というフレーズが見られます。おそらく熱心な祈りを献げるためのアクションとして断食という形が取られたのでしょう。何曜日が断食、というふうに制度化していたわけではないかもしれませんが、祈っていたらご飯を食べ損ねた、というのではなく、意識的に食事を絶って何かに集中することによって結果を出そうとする姿勢に見えます。

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すでにイエスは俺たちの横に着席している

すでにイエスは俺たちの横に着席している

この地の関税は当時ガリラヤを治める領主(テトラルキア)であったヘロデ・アンティパスの懐に入るものでした。徴税はプブリカニ(Publicani)と呼ばれる取税人が請け負いました。あらかじめ決められた税収があり、そこを上回る額が彼らの収入になったようです。

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罪あるいは病、赦しあるいは癒し

罪あるいは病、赦しあるいは癒し

「信仰」と訳されている単語について一言。「信頼」とか「信じていること」などというこの言葉の意味の広がりを考えるときに、宗教的な意味での「信仰」という言葉で拾いきれない部分があります。もっと素朴に、もっと単純に、彼らは「イエスが奇跡を起こしてくれるだろう」と信じていたのでしょう。その気持ちがどうやら実際に奇跡が起こることへとつながっていきます。

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皮膚病の癒しと福音宣教

皮膚病の癒しと福音宣教

まずテクニカルな点から。

本文中のらい病と訳されている、ギリシャ語でレプラという単語は、レビ記でヘブライ語でツァラアトと呼ばれた皮膚病のカテゴリを言い表そうとしているようです。しかし、ツァラアトは現代でいうところのらい病あるいはハンセン病よりずっと広いカテゴリのようで、おそらくここでレプラという単語で示唆されているのもハンセン病とは違う何らかの皮膚病であろうと思われます。ひとまずこの後の話では便

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