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人のために規則がある
23 ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。 24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。 25 そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。 26 すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。 27 また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。 28 それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
規則は何のためにあるか、と問われて、意外と多くの人は答えに窮するかもしれない。法律は、とか、憲法は、とか、もっと身近に校則は、とか言い換えてもいい。秩序を守るためとか最低限の道徳だとか、もっともらしく答えられそうな気もするけど、イエスの答えは実際納得しやすいものに思えます。「規則は人のためにある。その逆じゃない。」
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