足袋田クミ

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足袋田クミ

羊たちの夕べ所属VTuber足袋田クミ(たびたくみ)です。聖書やキリスト教の話をしています。ヘブライ語とギリシャ語が好きです。

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聖書を原語で読む意味は何か

はじめに聖書系Vtuberの足袋田クミです。この記事では、聖書を原語、つまりその書かれた元の言語であるヘブライ語(あとアラム語)やギリシャ語で読むことの意味について考えていきます。 原語の方がいいことと別に翻訳で構わないこと結論から申し上げれば、聖書を読むにあたり、原語の方がいい場面(あるいは原語でないといけない場面)と、翻訳で事足りてしまう場面の、両方が存在します。 私たちが真っ先に避けるべきことは、場面や目的を想定せずに原語でないといけないとか翻訳でもいいとか言い切っ

    • イエスの家族になる

      まず構造の話から。エルサレムから律法学者がやってきた話の前後から挟むようにして、「イエスの家族」という話題が語られます。これはマルコがしばしば行う手法で、前後の話と間の話の解釈を繋げるように読者を誘導する書き方です。

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      • 言葉を届けるのに適切な距離

        ここまで、イエスの活動を見てきましたが、この箇所にもあるように、病人の癒しや悪霊の追い出しがかなりの部分を占めており、パリサイ人らとの論争が描かれたのはそれに付随する形ででした。イエスはこれまでの枠組みを批判する存在ではありましたが、やはり、第一には人々の間に入っていって奇跡を行う、力ある人物だったのでしょう。

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        • 王なる神

          (中高科のメッセージの原稿) 今日は士師のひとり、ギデオンの話です。まず、ギデオンについて書かれている話を紹介します。 イエラエル民族はカナンに定住したものの、ミデヤン人、つまりアラビア半島の遊牧民にしばしば攻撃を受けました。要するに定住して農耕を始めたはいいけど年一の収穫をごっそり遊牧民に取られちゃって困ったわけです。これじゃ約束の地の意味がない。 さて、主の使い、あるいは主自身がギデオンに接触しギデオンをミデヤンその他遊牧民の連合との戦いのためにリクルートします。ギ

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          善を励ます

          ラビ・ユダヤ教の中であっても、律法の解釈は発展を遂げていて、必ずしも杓子定規なものではありませんでした。つまり、安息日に許されていることの中には、緊急時の命の優先という概念がありました。ですから、もし「安息日に誰かが死にそうだったら労働をしても良いか?」という質問が出たならこんなふうにこんがらがった問題にはしなくてよさそうです。そういう時は人命を優先しなさい、という議論で終わりのはずです。 しかし、ここのイエスの議論は少し違う路線へと展開しています。

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          人のために規則がある

          規則は何のためにあるか、と問われて、意外と多くの人は答えに窮するかもしれない。法律は、とか、憲法は、とか、もっと身近に校則は、とか言い換えてもいい。秩序を守るためとか最低限の道徳だとか、もっともらしく答えられそうな気もするけど、イエスの答えは実際納得しやすいものに思えます。「規則は人のためにある。その逆じゃない。」

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          する必要のないこと

          使徒行伝など見ますと、「断食して祈り」というフレーズが見られます。おそらく熱心な祈りを献げるためのアクションとして断食という形が取られたのでしょう。何曜日が断食、というふうに制度化していたわけではないかもしれませんが、祈っていたらご飯を食べ損ねた、というのではなく、意識的に食事を絶って何かに集中することによって結果を出そうとする姿勢に見えます。

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          すでにイエスは俺たちの横に着席している

          この地の関税は当時ガリラヤを治める領主(テトラルキア)であったヘロデ・アンティパスの懐に入るものでした。徴税はプブリカニ(Publicani)と呼ばれる取税人が請け負いました。あらかじめ決められた税収があり、そこを上回る額が彼らの収入になったようです。

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          宣教は73手先でパウロ

          (中高科のメッセージの原稿) 今日の箇所は、エルサレムで自分語りをするパウロの演説の場面です。どうしてこうなった感がありますが、一応ここまでの流れを追うとこうなってしまうのです。一旦この場面までを描く小説家になったつもりで空想してみましょう。 例えばの話、あなたがペンテコステの出来事に立ち会ったとして、その後で、「何らかの手段を使って、エルサレム中のユダヤ人にイエスが救い主だと証しなさい」と言われたらどうやってそれを実現するでしょうか? エルサレムを練り歩くのは面倒です

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          罪あるいは病、赦しあるいは癒し

          「信仰」と訳されている単語について一言。「信頼」とか「信じていること」などというこの言葉の意味の広がりを考えるときに、宗教的な意味での「信仰」という言葉で拾いきれない部分があります。もっと素朴に、もっと単純に、彼らは「イエスが奇跡を起こしてくれるだろう」と信じていたのでしょう。その気持ちがどうやら実際に奇跡が起こることへとつながっていきます。

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          皮膚病の癒しと福音宣教

          まずテクニカルな点から。 本文中のらい病と訳されている、ギリシャ語でレプラという単語は、レビ記でヘブライ語でツァラアトと呼ばれた皮膚病のカテゴリを言い表そうとしているようです。しかし、ツァラアトは現代でいうところのらい病あるいはハンセン病よりずっと広いカテゴリのようで、おそらくここでレプラという単語で示唆されているのもハンセン病とは違う何らかの皮膚病であろうと思われます。ひとまずこの後の話では便宜的に皮膚病とだけ言って話を進めます。

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          ガリラヤの原体験

          宣教を開始したイエスはシモン、アンドレ、ヤコブ、ヨハネを弟子に取ります。ガリラヤ湖で漁師をしていた四人はイエスに連れ立ってカペナウムに到着しました。そこでユダヤ人の会堂、シナゴーグと呼ばれる礼拝所に入ります。安息日、つまり土曜日の出来事です。

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          洗礼者ヨハネからイエスへ

          福音のはじめ、とあります。どことなく創世記の冒頭を思わせる表現ですが、著者はおそらくモーセ五書のオマージュのつもりでこの福音書を書き始めたのだろうと思います。理由は後述しますが、まずは順番に読みましょう。

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          ペンテコステと多言語世界

          (中高科のお話の原稿) 今日はペンテコステです。五旬節とか聖霊降臨祭などとも呼ばれます。教会ではこの日を年に一度祝いますが、元となった出来事の意味を一緒に考えてみましょう。 イエスが昇天した後、エルサレムに留まっていた弟子たちのところに聖霊が降りました。その結果、弟子たちは地中海世界の様々な言語で話し出します。 聖霊が降ったら何が起こるのか? ペテロがこのあとの演説でこう言っています。自分らは、神がイエスを復活させたことの証人だ。つまり、使徒行伝における聖霊の働きとは

          ペンテコステと多言語世界

          夜勤組に朗報

          (中高科のクリスマス会のお話の原稿) 今日はクリスマスの話をします。今日言いたいことは、福音が最初に届いたのは夜勤組にだった、ということです。 一旦、聖書を読みます。 天使が羊飼いたちに福音を告げます。キリストが生まれた、という知らせです。 嬉しい、結構大きめのお知らせなんですけど、その割りには聞いてる人の人数が少ない気がします。全ての民のために、と言ってるくせにです。 私としては、この羊飼いたちが、配慮してもらって優先的に聞かされたんだと思うんですね。つまり、救い

          夜勤組に朗報

          クミが聖書から学んだこと

          はじめに聖書系Vtuberの足袋田クミです。この記事では、私が聖書を読んで自分なりに得た学びについて共有します。拙い者でありますし、未だ聖書を全部理解できたとは露ほどにも思わないのですが、皆さまと意見を交換できればと存じます。自分とは理解が違うと感じられる場合も、私とのスタンスの違いを測ることでご自身の理解の助けにしていただければ良いかと思います。 随時、下の動画で喋ったことを思い出しながら書きます。 ユダヤ民族の記憶民族が生き残るために何が必要だったのか ユダヤ民族史

          クミが聖書から学んだこと