「未来都市ドバイ(トランジットの長い一日)」
世界一周285日目(4/9)
緊張のせいもあってか全然眠れなかった。
セットしたアラームよりも早く目を覚ましてしまったので、せめて持って来た大判ストールにくるまってアラームの時間まで眠ろうとしたが、眠りはやってこなかった。
寝ているリョウさんたちに悪いとは思ったが、部屋の片側だけの電気をつけてイメトレ通りにパッキングを済ませていく。昨日干した洗濯物を取り込むことも忘れない。荷物があるのでそんなに早くはパッキングを済ませることができない。最後の最後まで充電しておきたいので、変換プラグや延長コードは出したままだった。
6時前に荷物をまとめ、レセプション前で寝ているスワラジをゆすって起こした。宿泊代は前日に支払っておいている。後はここを出て行くだけだ。宿の前でなぜかスワラジは僕と握手してくれた。僕は段々と明るくなる空の下、メインバザールを抜け、ニュー・デリー駅を通過した。
陸橋を渡るり、近くにいた駅員にどちらに行けば空港行きのメトロに乗れるのか尋ねる。マップアプリでも確認していたけど念のためだ。
エアポート行きのメトロには全くと言っていいほど人がいなかった。ぽっかりとした地下鉄駅は閉鎖されたビルを僕に連想させた。
宿で教えてもらった通り、空港までの料金は150ルピー。自動券売機の前にお姉さんが立ち、僕の代わりにチケットを買ってくれた。アナログなサービスがありがたい。
ドンピシャでやってきたメトロに乗り込んで僕はシートについた。乗客はひと車両につき3人程度しかいない。
メトロが地上に出ると朝日が見えた。
インドのいろんな場所で朝日を見てきたがこれが最後の朝日だ。
デリーの朝日の下の方の空気はどこか曇っていた。それは朝焼けなのか中国よりも高いとされているPM2.5なのか、メトロの窓ガラスのせいなのか、それともその全てが原因なのかは僕には分からない。
少し早足でここまで来たので、体が火照っている。タイのパーイで買ったヘンプのニット帽を脱いで呼吸を整えた。
インディラ・ガンディー空港駅に到着すると、係員が僕のことを待っていたかのように声をかけてきた。大きな荷物を運ぶためのカート。僕の荷物を運んでくれると言う。もちろん有料で。僕は日本語で「大丈夫。サンキュー」と言うと、空港の入り口まで駆け上がった。
4年前は混雑していた印象の国際空港は、だいぶ洗練されていた。以前ここを訪れた時にはこんな立派な像のオブジェなんてなかった気がする。そのままチェックインはせずにバックパックをベンチの脇に置く。
荷物をベンチの上に整理し、僕はできる限り重ね着をし始めた。
ここでバックパックをできるだけ減量させなければならない。結局わからずじまいだった受託荷物の重量制限。一応ネットには15kgまでと書いてある。それ以降は1kgの超過につき250ルピー(423yen)がかかる。30kgというのはバックパック、サブバッグを合わせたトータルの重さだ。でも僕の頭にはなぜか30kgのバックパックを持っているという強迫観念しかなかった。15kg×250ルピー=3750ルピー(6,346yen)。昨日、ギター修理で思わぬ出費がかかってしまったため余計なお金は持っていなかった。
ここまで追い込まれると恥も忍んでいられない。さすがに下着は重ね着できないのでパタゴニアの水の上に薄手のパンツ。雨具、ジーンズ、そしてハーフパンツを重ね着する。上着はTシャツを三枚、ロンTを二枚、白シャツ、パタゴニアのシャツ、その上にフリース、一番上はアウターだ。
さらにポケットというポケットに充電器やハードディスクなんかの電子機器を詰め込んでいく。
海外にはこうやって機内持ち込みの容量を増やす隠しポケットがいっぱいついた服が売っているらしい。10kgまでの荷物を持ち込めるんだとか。まさに勝負服だ。ここまで着替えただけで汗をかいているのが分かる。
外で待ち合わせをしているインド人たちから僕の姿を見ることができただろう。でも、それは自意識過剰だ。安心しろ。誰も僕のことなんか気にしちゃいない。
バックパックを背負うと、今までで一番軽く感じた。
「これなら行ける!」僕はカウンターに並んだ。
「15kgを越えてしまった場合、超過料金はここで払えばいいんですか?」
念のためスタッフに聞いておく。
「?」
僕が何を言っているのか分かっていない様子のスタッフ。「受託荷物」って英語でなんて言ったらいいのか分からないもどかしさ!僕がeチケットを見せると、何kgまでの荷物が持ち込めるのか確認してくれた。
「お客様の預けられるのは荷物の制限は30kgまでですね」
「はっ!!???」
もう意味が分からない!ここまで受託荷物の制限に頭を悩ませ、無駄にATMでお金をおろし、そして今汗ばんでいるおれって何よ!!??
「と、とりあえず!重さだけ計らせてください!」
と言って軽量化したバックパックをベルトコンベアーに乗せると「15.8kg」という驚愕の数字を叩きだしていた。もちろんギターとPenny Boardを入れた状態で。これならどんなLCCに乗っても怖くねーぞ!
チェックインの受付開始は1時間後だったので、着過ぎた衣類を脱ぎ捨て、もう一度パッキングをし直した。
時間になりチェックインの列に並ぶ。以外と時間がかかった。パッキングしなおしたバックパックの重さは「22.3kg」。てか僕のバックパック30kgもなかったんだー。と気づいたのはこの時だった。サブバッグは7kgだけどね。
さてと、これでとりあえずは一件落着。余ったお金はドバイでディルハムに代えてしまおう。
「これ、なんですか?」
カウンターでスタッフがバックパックから突き出たギターケースを指差して言う。
「え?ギターですけど」
わざわざバックパックの中に入れてその上からレインカバーもかけているんだ。受託荷物として文句のつけようもないだろう!
「こういう壊れやすいものは受託荷物用のビニールで包んでいただかないといけないんですよ」
「え~~~~~~っっっっ!!!???」
ここへ来た時、横目で見た受託荷物の梱包。サランラップのようなビニールでトランクなどの荷物をグルグル巻きにしている人を見て『何をそこまでする必要があるんだろう?』と思ったものだ。だって300ルピー(506yen)もするんだぜ?
「それでは荷物を梱包してきてくださいまし」
「えっ!?いや、だってー…」
強靭な体つきの男性係員がカートで僕のバックパックを運んでくれた。
なされるがままにサランラップでグルグル巻きにされる僕のバックパック。
さすがにもう一度並びなおすということはなく、僕は無事出国手続きを終え、ドバイ行きの飛行機に乗り込んだ。
ジェットエアウェイズでまさかご飯が食べられるなんて…。ちょっとあなどってたよ。ゴメン(笑)
大好きな国を離れてこれから向かう先はまだ見ぬ土地。
いや、世界にはそんなところばかっかりなんだ。
長くいたインドとはこれでお別れだと思うと少し寂しい気持ちになった。グッバイ・インド!またいつか。
(そして日記は続く)
時差はマイナス一時間半。その分お得な感じがした。
ここでの滞在は24時間もない。翌日のシャルジャから出る12:20の便でイランへと向かう。降り立った国はアラブ首長国連邦、ドバイ。
頭にターバンのようなものを巻いた人の姿をチラホラ見かけるようになった。入国手続きを済ませて向かった先はインフォメーション。とりあえずはドバイモールとやらに行ってみてブルジュ・カリーファでも見ようじゃないか。あ、そうだ。シャルジャまでどうアクセスするかも訊いておこう。
インフォメーションのお兄さんは「コンニチハ!」と日本語で挨拶してくれた。
「今日はどこに泊まるの?」という質問に対して、「友達の家に泊まるんだ」と応えたが、ちょっとしらじらしかったかもししれない。こんな物価の高そうな国で泊まる余裕なんて僕にはない!空港泊に決まっておろう!ターミナルだ!
お兄さんから得た情報では空港から直接メトロに乗って「ブルジュ・カリーファ/ドバイ・モール駅」まで行くことができるということと、メトロかバスでシャルジャ空港まで行くことができるということだった。
「だけど、明日は金曜日だからメトロは13時からじゃないと動かないよ」
むぐぅ…。明日のイラン行きのフライトは12:20だ。しかたない。今日中にシャルジャ空港に行ってしまおう。
メトロの片道切符は25ディルハム(692yen)だった。レート換算アプリで日本円に換算する。やっぱりインドからやって来るとアホみたいに高く感じてしまう。メトロのチケットがインドの宿代二日分だよ。すごいよね。
後から並んできたツーリストのおっちゃんは僕と同じ行き先の往復チケットを11ディルハム(304yen)で買っていた。なんなんだ!このシステムは!戻ってきた方が安いってこと?すぐさま窓口のお姉さんに
「往復切符に代えたいんでお金払い戻してもらえますか?」と尋ねたところ、「ドバイモール駅のインフォメーションに行ってください」とのことだった。まぁいい。お金が戻ってくるならね。
プラットフォームに立ちメトロを待っていると、アジア人顔の掃除のおばちゃんが僕に声をかけてきた。
「大丈夫?何か困ったことはないかしら?」
僕の姿がさぞお上りさんに見えていたことだろう。バックパック担いでドバイをウロウロするなんてね。
「大丈夫だよ。これからドバイ・モールに行くんだ」
「そう。それならよかった」
やさしそうなおばちゃんに見送られて僕はメトロに乗り込んだ。
そう言えば、ドバイに住む人の80%は海外から出稼ぎに来た人たちなんだっけ?ドバイで働くことはそこまで難しくないそうなのだが、何かちょっとでもイザコザを起こしてしまうと働けなくなってしまうらしい。
メトロの中。アラブ、モンゴリアン、アングロサクソン、色んな顔の人たちが乗る車両の中で僕はそんなことを思った。もしかしたらあのおばちゃんもどこか別の国から出稼ぎに来た人なのかもしれないな。
ドバイ・モール駅で降りると僕はインフォメーションの列に並んだ。
「往復券に代えてもらいたいんですけど」
「どこまで?」
この後僕はシャルジャへ行くバスの出る「UNION」駅に行かなければならない。
「えっとユニオン駅まで」
「はい。じゃああと4.5ディルハム(125yen)払ってね」
貧乏バックパッカーからお金をムシりとって何が楽しいんだぁあああ!!!???なんでちょっと手前の駅まで行くのに追加の料金を払わなくちゃいけないんだぁああ!!??はぁはぁ、きっと僕が何かを勘違いしているのでだろう。
交通費でお金がぶっ飛んでいく。ヨーロッパとか入ったら恐ろしいくらいにお金が吹っ飛んでいくんだろうな。
駅とモールを繋ぐ歩道橋にはひたすらに長いベルトコンベアーのような床が続いていた。
窓ガラスの向こうにブルジュ・カリーファが見えた。
そしてようやく辿り着いたモールでまず一番最初に目についたのはこれ。
どこのテーマパークだよ…ここ?
僕はバックパックを背負ったままモール内を散策し始めた。
世界一大きいとされる水槽では何百匹もの魚たちが群れをなして泳ぎ、
モール内にある滝のオブジェを見ると、『なんでこんなシュールなものを作っちゃったんだろう?』と思わなくもなかったが、そのスケールのデカさの前では口を半開きにして立ち尽くすしかなかった。
カフェは無駄にお洒落だ。
僕の好きなスケートボード・ブランドの「ELEMENT」もこのモールで見ることができた。
店員さんたちは僕がつけているELEMENTのベルトを見せると嬉しそうな表情を見せ、一緒に写真を撮ってくれとお願いされた。
コーヒーショップの3人の女のコたちは僕に「中国人?」と尋ねてきたので、「いいや、日本人だよ。君たちはドバイ出身なの?」と反対に質問すると、2人はフィリピンで、もう一人はカメルーンから働きに来ているコだった。
モールの外に出ると高い建物が視界を遮り、ブルジュ・カリーファを見つけることができない。日差しの中、出稼ぎに来たであろう作業員たちが、道路に勤しんでいた。
一応、ネットでブルジュ・カリーファのチケットを買おうとしてみたのだが、4日間連続でどの時間帯もソールド・アウトだった。
よっぽど、この建物に対するモチベーションが高くないとチケットは手に入らないんだな。僕は外から見るだけで十分だ。
その下でスケボーをやっている少年が人間味を感じさせた。
3時間もバックパックを背負って歩くと足がクタクタになった。空腹を満たすために食べたピザパンは9ディルハム。249yen。何もかもが高い…。ここにいたらお金がどんどん減っていってしまう。
インドからリッチな先進国へと来てしまったがために、金銭感覚がインドのままだった僕はドバイ観光を早々に切り上げて、シャルージャ空港に向かうことにした。まずはユニオン駅までメトロで向かい、
そこからシャルジャ行きのバスに乗った。
20ディルハム(554yen)。まさか磁気カードの切符を事前に購入しなければならないなんて知らなかったので、直前で切符売り場に駆け込まなければならなかった。
乗り込んだバスは道路をひっきりなしに走り抜ける車の中になんとか入り込み、のたのたと走り出した。
車の量の割には外を歩いている人がほとんどいない。
道路脇の空き地で遅くまでサッカーをする子供たちの姿はなぜか不自然な光景に思えた。窓の外には人工的な街の灯りがどこまでも、どこまでも続いている。手塚治虫が「火の鳥」で描いた様な未来都市がいままさにここにある気がした。ビルが立並び、車が途切れることなく走る。人の姿はまったくない。これはドバイのほんの一面にしか過ぎないのだろう。
東京に来た外国人が日本に対して抱くイメージを僕はドバイに対して持っている。ここに育った子はどんな幼少期を過ごすのだろうか?空港までの直通行きのバスは5ディルハム(138yen)だった。
バスの中で僕はすっかり眠りに落ちてしまい、運転手に起こされた時はシャルジャ空港だった。
寝ぼけた頭を覚醒させるためにとりあえずギターを弾く。
「今、仲間がお祈りしている最中だから、唄うのはやめてくれ」とタクシードライバーに注意された。周りにいた人たちは僕に笑顔で親指を立てる。
「お~!どっから来たんだ?」
「ジャパンだよ。そっちは?」
「コイツ以外は、おれらみ~んなパキスタンさ!」
空港前でタクシーを停めてたむろしていたのはドバイ人ではなかった。
きっとこの国は外からやって来た者に対して寛容なのかもしれないな。お互いに助け合わなくちゃやっていけないのかもしれない。そう思うと、彼らに対して僕は仲間意識のようなものが生まれた。
空港内に入り、横になれないベンチに座って仮眠をとる。
眠れなくなってしまうと、ダンキン・ドーナッツで一杯5ディルハムのコーヒーをすすり、旅ノートをつけた。お兄さんがドーナッツをまとめお店の掃除をしているのを見て、「もし、ドーナッツ捨てちゃうんだったら、ひとつくれないかな?」とお願いすると、お兄さんは「いや、ダメだんだよね」と言いつつも、紙袋に入れたドーナッツをそっと僕の前に置いてくれた。深夜帯のシフトのお兄さんは僕に友好的だった。この人も海外から働きにやって来たのかもしれない。
いよいよ明日はイランだ。
現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。