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「ストーリーは人から人へ in トルコ」

世界一周376日目(7/9)

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やー。今日も快眠だったなぁ♪

iPhoneのアラームを
設定するのもやめてしまった。

どっちにしたって、
サジュークと一緒に行動するから、
僕一人早起きしても
日記を書くくらいしかやることがない。
それでもやっておかなきゃならないことのひとつなんだけど、
連日の夜更かしで僕もすっかり夜型人間の一員だ。

もちろんトルコにお住まいの皆さんが
僕たちの様な堕落した生活を送っているわけではない。

太陽が昇れば働きに出かける
勤労な方だっていらっしゃるのだ。

いや、
まともに自分の生活態度を見直した時に感じる
後ろめたさっていったらないよ。


ここはトルコでいちばんデカイ都市、
イスタンブール。

その郊外にあるサジュークのおじさんの家だ。


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いきなり甥っ子と
一緒にやって来て(そりゃ電話はしたさ)、
泊まりこんで、遅くにまで寝ていて、
昼過ぎにやっと起きて来て、

おい!サジューク!
いつまでシャワー浴びてんねん!
行儀よくご飯の並べられたテーブルで
じっとしているこの気まずさよ!

まぁ、それでもサジュークの親戚のみなさんは
僕によくしてくれた。


そんなスローライフを送っている僕たちだが、
今日は大事な約束がある。

タイでお会いしたコモンさんの紹介で、
イスタンブールに住んでらっしゃる

「小林さん」
という方に会っていただく約束をとりつけたのだ。

小林さんのお仕事が終わった19時に
タクシム駅の前にある彫像の前で
待ち合わせすることになっているから、
遅くてもここを3時くらいには出よう。

せかせかしてもしょうがない。

サジュークには今日の僕の予定も話しておいてある。


サジュークのおじさんたちは
久しぶりの甥っ子との再会を楽しんでいるようだし、
タイミングを見計らって、一人だけ退出して
バスに乗ってタクシムへと向かうことにしよう。

いつものようにまったりと時間を過ごした。



サジュークのおじさんは
「じゃあそろそろ行こうか」と僕たちを車に乗せる。

そして向かった先は
売店の裏にある隠し部屋のようなところだった。

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部屋の隅にはジュースや
水などの在庫が寄せられいた。

どうやらここはストックルームのようだったが、
それ以外の役割を果たしているようだ。

エアコンが効いており、
じんわりかいていた汗がぴたりとやんだ。

卵パックが天井を覆うように
びっしり貼付けられている。

部屋の二隅にスピーカーが取り付けられている。

壁にはどこか桃源郷を思わせる風景画が
二枚かけるられていた。

「この絵はおれたちの故郷のダルシムの絵なんだ」

飛び交うトルコ語の会話。
時折サジュークが英語に翻訳してくれる。

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僕もギターと歌を披露し、
後半はずっとサジュークが
ガットギターを弾いて唄っていた。

サジュークのおじさんは、
彼のことを息子の様に思っており、
一ヶ月も前から彼がイスタンブールに来ることを
楽しみにしていたようだ。

そうかー、おじさんの気持ちも分かる。

さっきから、
ちょびちょびとウイスキーを飲んでいるおじさん。

いい気持ちなんだろう。


「えっと、知り合いの方と
待ち合わせしているので、そろそろー」

「やー、大丈夫さーメ~ン!
おじさんがタクシーで
送ってくれるって言ってるから」

「や、悪いって。
バスに乗ればいいんだろ?
何番のバスに乗ればいいのか教えてくれれば、
一人で行けるよ。あとで待ち合わせしよう」

「大丈夫だって!!」

おじさんもそう言っているのでしばらく残ることに。

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一時間前になって僕はタクシーに乗せてもらい、
一人タクシムへと向かった。

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サジュークが運転手と交渉してくれて、
20リラを僕に手渡してた。


「だいたい20リラそこらで行けるんだ。
これを渡せば大丈夫さ」

ぬは~~~っっっ!
ありがとうございます!おじさん!





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約束した時間の5分前。

待ち合わせ場所にソワソワして向かった。

紹介されたブログの顔写真くらししか見ていない。
アジア人がいればすぐ目につく。

像の周りをゆっくりと一周したが
それらしき人の姿は見つからなかった。



「清水さんですよね?」



後ろから声がかけられた。

振り向くと、ガタイのいい
サングラスをかけたビジネスマンといった
風貌のお兄さん。


「じゃあ行きましょうか」

簡単に自己紹介を済ませ、
向かった先は美味しいピラフが食べられるお店だった。

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トラブゾン料理が食べられる場所で
トルコにやって来た時はよくここに通ったそうだ。

せっかく時間を割いてまで
僕に会ってくれているんだ。

グダグダした会合にならないように
どんな質問をするのか頭に準備しておく。


日本を離れて海外で暮らす。
「移住」が僕の中での質問のテーマだった。

小林さんは一体どんな想いで
トルコで暮らしているんだろう?



小林さんの話

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移住のきっかけはドイツの旅だった。

自動車の整備士として働かれたあと、
小林さんは一週間、ドイツへと旅立った。

「海外で働きたい!」というアツい想いが
ずっと胸の中でくすぶっていたそうだ。

「自分に何ができるのか?」

そう考え、
日本語を教える資格を取得するために
学校に通い始めた。


そのタイミングでやって来た
2011年の東日本大震災。

これが小林さんの人生を変える
大きなターニングポイントになった。

小林さんの出身は
福島県の南相馬市という場所だった。

たまたまHISが支援プロジェクトとしていた
一ヶ月間にトルコ滞在できる格安プランに応募し、
トルコにやって来ることになる。



シミ:「人が心配に思うことって
やっぱり生活、お金のことだと思うんですよ。
そこはどう思われたんですか?」

小林:「迷った時に思い浮かべる言葉があるんです。
「孤高の人」っていう登山の漫画のセリフなんですけど

『最も勇気がいる道こそ進むべき道』

っていうセリフなんですよね。

日本での生活は家もめちゃくちゃになってしまったし、
生活も大変だろうけど、
まぁなんとなく生活していくんだろうなって。

反対に何もない状態で
トルコにいって自分がどこまでできるか、
自分の運を試したいってとこもありました」

カッパドキアから現地で
日本語を学ぶスタッフやツアー会社との出会いに恵まれ、
そのまま以下k月の滞在プログラムを延長して、
自腹を切って日本への航空券を買った。

最初は現地で旅行客の
ケアのようなお仕事をされていたそうだ。

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小林:「単に僕は運がよかったんですよ」

そうさらっと言ってのける小林さん。

いや、違う。

引用された言葉の通り、
この行き方を選ぶにはよっぽど勇気がいたに違いない。

そして、運もあったにせよ、
やる気と努力なしではトルコで生きる道は開けてこない。



シミ:「トルコ語とかは
もともと勉強されていたんですか?」

小林:「いや(笑)。

僕、教材とかで勉強することができないんですよ。
頭に入ってこない。
だから教科書は全部捨てちゃいました。

その代わりに何か分からないことが
あればガンガン質問して、
新しい言葉に出会ったらメモするようにしたんです」



今は新しいスマートフォンに替えてしまわれたそうだが、
メモ帳には単語とその訳がびっしり書き込まれていた。

もちろん小林さんはトルコ語を喋れる。

ここでご飯の注文をする時もトルコ語だった。


そして、小林さんにはトルコ人の奥さんがいる。

去年結婚されたばかり。

「奥さんがが日本語覚えてくれないから
僕が覚えるしかなかったんですよね(笑)」と言うが、
国際結婚のハードルを高く感じてしまう僕には驚きだ。

そして興味深かったのは、
小林さんはよくコスプレのパーティに参加するようだ。


小林:「もともとそういうことには
興味なかったんですよ。
ただ、他のトルコ人の友達がやっているから
『じゃあやってみようか』って言う風に」


この新しいことにチャレンジするのも
小林さんの魅力なのかもしれない。

他にも居合道をされていたり、
リアルタイムだとラマザンもやってみたりと、
小林さんがいかにトルコの暮らしに
溶け込んでいるかが分かった。

話を聞いているだけで、肌がゾクゾクした。

なんてアクティヴな生き方なんだ!と。



「じゃあそろそろ二軒目行きましょうか?」

とお店が混んできた段階でスマートにお会計を済ませる。

ごちそうさまでした。ありがとうございます。

歩きながら話す。

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小林:「僕、左肩に刺青が入っているですよ」

シミ:「えっ!!??
もしかして過去に
荒れていたとか言うあれですか?」

小林:「トルコと日本の国旗が
交わったデザインなんです」


刺青は一生消えることの無い体に刻むものだ。

これはファッションなんかじゃない。

小林さんの覚悟なのだ。

僕はその刺青を見せてもらうことをしなかった。

半袖のシャツだったら腕をめくれば見ることができただろう。

いや、僕はその話を聞かせてもらっただけで十分なのだ。



歩いている途中に、
イスティカル通りで小さなアコーディオンを弾く
日本人のバスカーの女のコを見つけた。

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昭和っぽい唄い揚げで
街の雰囲気作りの一員になっている。

いいキャラ作りだ。

僕が1リラコインをケースにいれると、
小林さんは「同郷のよしみとして」と
真似をしてコインをいれた。

「頑張ってくださいね」

日本人のバスカーを見るとエールを送りたくなる。

僕も適当な場所を見つけて
2曲ほどシャウトしたが、コインは一枚も入らなかった。

「うわぁ~!これ妻に見せたら絶対喜びますよ!」

小林さんはそう言ってくださった。
それだけで嬉しいです(涙)


最後におなじみのシミット・サライで
残りの軽くお喋りをして
約2時間のインタビューは終わった。

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僕はお土産として買ってきたアップルティーを差し出す。

グランドバザール付近のお店で5リラで買ったものだ。

トルコに住まれているのにトルコのお土産だんなんて。
消耗品だからいいか。


「これカッパドキアで買ったんですか?」

「いやぁ、グランドバザールの近くで」

「これ欲しかったんですよ!
このまえ買いそびれちゃって!
粉末ですよね?」

「わかんないです(照)」


開けていいですかと箱を開封してみると、
粉末のアップルティーが出てきた。

水でも溶けるインスタント・コーヒーみたいなヤツだ。

思っていた以上に
喜んでもらい僕もほっとした。ラッキーだ♪

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小林さんとは9時半に別れた。

11時のワールドカップまでには家に帰るそうだ。

沢山お話聞かせていただき、ありがとうございます。

初めての異国の地で生きていく
小林さんの姿に勇気づけられました。

生きていく上で
もちろんお金を稼いでいかなければならない。


だが、まずは日本を出ること。

そこで仕事を得ることは
できないかもしれない。

だが、「旅」というものが
僕たちに与えてくれるものは計り知れない。

僕はそう思う。




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サジュークは待ち合わせ場所に現れなかった。

きっとおじさんが返してくれないのかもな。

だってサジュークがイスタンブールに来る
一ヶ月前もから楽しみにしてたんだろ?

「うちに泊まってもいいぜ」とビギンが言うので
お言葉に甘えさせてもらうことにした。

後からビギンの家にやって来たサジュークは
僕に申し訳ないと謝る。


「おいおい。忘れたのかい?
僕は外でも寝れるんだぜ?気にするなよ」

「いや、約束を守れなかったことを
申し訳なく思うんだよ」



そんなサジュークに僕は日本から持って来た
WILD THINGSのハーフパンツをプレゼントした。

日本で買ったセラペ柄の僕の起きに入りのパンツ。

東南アジアで穿いて、色が薄れ、
一カ所穴が空いたところを縫ってある。



「よかったらこれ、もらってくれよ。
僕のこと忘れるなよ?
そしてもし必要なくなったら
また別のヤツに渡してくれ」

「いいのか!最高だよ!これ!
もし仮に誰かに渡すとしたら、
それはきっと旅人さ!

ポケットに
『これは日本人のシミと一緒に
旅してきたパンツです』
って手紙を入れておくよ!」



イスタンブールの生活4日目。

出会いと想い。Stories drift to you

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。