「その日は僕が生まれた日で、誰かが星になった日」
世界一周209日目(1/23)
深夜まで宿のすぐ近くでライブが開かれていた。
アンプを通した生演奏をずっと聴かされていたもんだからうまく寝れなかった。まだもうちょっと眠っていたいけど、昨日仲良くなった韓国人男子3人組にちゃんとバイバイしておきたかったので毛布から這い出た。
それに昨日の夜別れ際、彼らがシェアしている自分たちの部屋に戻る時に「たぶん君はまだ寝てると思うけど、僕たちは10時にチェックアウトするよ」という言葉がちょっと寂しく感じたのもある。
時刻は8時半。朝ご飯を食べに行くことにするとしよう。25歳になって初めて迎える朝だ。
1月のジョードプルの朝は寒い。
上着はパタゴニアのシャツやフリース、ユニクロのダウンなんかを持っているんだけど、下はというと、穿き始めてそろそろ一年が経過するお気に入りのnudie jeans(regular Alf red selvege)とパタゴニアの薄いパンツしか持っていない。
足が寒いなぁ。でもたまにはnudie jeansも休ませてやりたい。そうだ。僕は無印良品のレギンスを持って来ていたんだっけ?
防寒着を入れている圧縮袋の底からレギンスを取り出してWILD THINGSのボーダーパンツと合わせた。
一体、誰が考えだしたんだろうなぁ、この組み合わせ。ええ。分かっています。ちょっとしたオシャレ気取りです。
宿レストランを営業しているため、ゲストハウスの集まる要塞付近には残念ながら安いメシ屋はない。素敵な宿に泊まらせておいてもらってなんだけど、宿のご飯ってちょっと高いんだよね。
売店で3ルピーのパンをほおばりながら時計台を越えるとチャパティとビリヤニに似たインドチャーハン(プロウ)を売っているお店を発見した。
男たちが屋台を囲んで立ち食いをしている。
チャパティは2枚で25ルピー(41yen)だった。明日も来よう♪食後は9ルピー(15yen)のチャイでしめくくり、宿に戻ることにした。
宿に戻りWi-Fiの届くレストランでiPhoneをいじくっているとちょうど韓国人男子たちがチェックアウトするところだった。彼らはこのあとプシュカルやアーグラーなどインドの北へ行き、バラナシへ向かうそうだ。
「Have a nice Trip!!!」
2階のオープンテラスから僕が言うと、彼らはにこやかに手を振り返してくれた。
さあて、僕も漫画を描かないとな!
ブラックコーヒー(33yen)をオーダーして11時から17時まで漫画製作をした。
僕の泊まっている「Hill View guest house」は家族経営で宿のママ姉妹が経営している。子供たちは時々、僕の漫画製作現場に(って言ってもレストランのテーブルなんだけどね)やって来ては興味深そうに眺めてすぐにどこかに行ってしまう。そこまでしつこくない。観光客慣れしてるんだろうな。ヴィシャカパトナムのデッカン・フライドチキンで漫画描いてた時なんてヒマなスタッフたちがしょっちゅう見に来てたもん。
それでも僕は子供が怖い。だって、ヤツら何しでかすかわからないから。
昨日は久しぶりのWi-Fiでネットにちょくちょく繋いだり、ブログを読んだりしていたため作業効率は全然よくなかったけど、今回はいい感じに集中できたと思う。寒さで鼻水が原稿用紙に垂れてしまった時はさすがに集中力が切れたけど。
この日は背景のペン入れを終わらせた。
残すはベタのみ!明日で漫画の完成だ!
そして僕はギターを持って街に出る。
ここはバスキング向きじゃないことは分かっている。今回は少しやり方を変えてみようじゃないか。どこが一番唄いやすいポジションなのか確かめるべく2~3曲唄っては次ぎの場所へ唄う場所を代えていった。「ど~も~!ありがとうございます!それでは!」みたいにね。
ジョードプルの人たちは今までとは違った旅行者に対し、興味を持ってすぐに集まって来てくれる。
ただ残念なのは、演奏中にトゥクトゥクやバイクがしょっちゅう横切ることだ。走行音がうるさい。けど、僕はここでは単なる背景に過ぎないんだよなぁ…。
集まってくる人のほとんどはガキんちょだ。
「うわぁ~!何コイツ?おっもしれ~!」ってな感じで、僕が唄っているのにも関わらず、演奏そっちのけでガヤガヤと騒ぎ立てる。うぅ…うっさいなぁ。ねえ、君たち聴いてんの?
雰囲気のいい交差点を見つけた。ライトの下で唄っていると、近くにあったカフェのマネージャーが出て来て僕にお店の前で唄ってくれと言ってくれた。残念なことにお店の前も交通量が多く、過度にクラクションが鳴らされる。ありがたいんすけど、ここってー...バスキング向きじゃないよなぁ。
「じゃあ、僕そろそろ次の場所に行きます。唄わせてくれてありがとう」
「えっ?もう行っちゃうの?まだやってけばいいのに?」
「いやぁ、もしかしたらお客さんに迷惑なんじゃないですか?」
「そんなことないって」
雰囲気の良いお店は扉がないため、ふつうに走行音が入ってくる。ただ、僕が立っていたお店の前ほどじゃない。欧米人の旅行者たちは普通のトーンで会話をしていた。
「一週間も滞在するなら、毎日ここで唄ってくれてもいい。時間は何時でも構わないよ。そうだチャイをごちそうしよう」
と言って出されたのは大きなマグカップに入ったチャイ。甘過ぎない上品な味わいのチャイだった。
うん。明日も来よう(笑)
その後、時計台付近で同じ様にバスキングを繰り返し、この街の感触を掴んでいった。
宿に戻り、誰もいない屋上で唄っていると一人の欧米人がやって来た。く、苦情かっっっ!!!???
「えっ、あー…」
「ああ。気にしないで。続けて」
そう言うと彼はHill View ゲストハウスの屋上から見えるジョードプルの夜景を見ながらタバコを吹かしていた。
なんとなく始まった会話。デンマーク人の母親を持つドイツ人の彼の年齢は20歳。うわぁ~…ふつうに歳上かと思ったよ。
インドを3ヶ月旅している割には他の欧米人ツーリストの様なヒッピーさは感じなかった。膝の擦れたジーンズにパーカー。シンプルな格好だ。
「20歳ってことは大学生?」
「いや、高校を卒業したばかりだよ」
「?」
「コールセンターで働いていたんだ。今年の春から大学に行くんだ」
そういう彼はトータルで7ヶ月インドを旅するそうだ。6ヶ月のビザを使い切り、一度ネパールへ入国し、1ヶ月トレッキングを中心の旅をしてインドのビザを取り直した後、また一ヶ月旅をする。
「バラナシには行った?」
「まだだね」
「昨日の夜みたいに、夜通しずっと音楽が流れてるよ。4年前に行ったんだ」「昨日のは葬式だったみたいだよ。宿のスタッフに聞いたんだ」
25年前の1月22日の昨日、僕は生まれた。
だが、その日に日本から遠くは慣れたインドで誰かが弔われていった。
この世界のどこかでは毎日、誰かが生まれ、誰かが去っていく。
人間だけじゃない。何万年、何億年と繰り返されてきた生命の営みに、
僕は宇宙の神秘を感じずにはいられなかった。
今夜も遅くまで音楽が鳴り止まない。
現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。