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「サイゴンへ」

世界一周67日目(9/3)

ベトナム最後の街サイゴン(ホーチミン)に到着したのはまだ日も昇らない時間だった。外に出るのはもう少し待とう。僕は荷物を階段の脇に括り付けて僕の中をうろついた。この街で何が僕を待っているのだろう?

ベンチで一眠りした後、オフラインのマップアプリで宿のありそうな場所に見当をつけて朝7時にサイゴン駅を出発した。

ベトナムに来てからバイクの量に驚いたがここ、サイゴンのバイクの量はダントツだった。まるで水の様に流れるバイクの群れ。運転手たちのほとんどはマスクをつけている。排気ガスが呼吸器官にダメージを与え続け中年と呼ばれる年齢にさしかかった時蓄積されたダメージは爆発するのかもしれない。それを知っているからこそ彼らはこのクソ暑い中、マスクをしながらバイクにまたがり移動するのだろう。

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アホみたいな交通量の中、僕はバックパックを背負い、Tシャツを汗で濡らしながら宿のありそうな場所を目指した。途中何度かコーヒーの休憩を挟んで安宿の集まる通りに到着した。ひとつづつホテルにドミトリーはあるか尋ね5ドルの安宿を探すした。

広い通りに出ると客引きのおばちゃんが「ヘイ!5ダラー!チープ!」と声をかけてきた。僕はとりあえず、おばちゃんに呼ばれるままドミトリーのベッドへと案内される。


荷物を置いたあとベランダでタバコをふかしていると日本人の男の子が声をかけてきた。どうやらこの宿は日本人の宿泊客が多いらしく、いわゆる「日本人宿」と化しているようだ。ベトナムに入ってから日本人に出会う回数が増えた。

外国人との出会いも新鮮だが日本人との出会いも時として面白いこともある。日本にいたら決して出会うことのない人たち。海外に出てまで日本人とだけつるむのは旅の魅力が損なわれてしまう場合があると思う。だが、欧米人向けに観光地化したベトナムの街のドミトリーでは夜遊び組が大体昼過ぎまで寝ているためこれといった出会いはしてこなかった。旅の中で出会った日本人との情報のやりとりも僕にとっては大切だ。


「HOLA guest house」に宿泊している旅人のほとんどは大学生だった。幼なじみと東南アジアを周遊してる男の子や予備校時代の友達と一緒に旅してるヤツら。女子大生の一人旅。

僕にもそんな時代があった。
大学2年の時に初めての海外旅行で行ったインド。そこには様々なドラマがあって今でもその思い出の数々を鮮明に覚えている。あの経験がなかったら今の僕はないんだろうな。インドが僕に「旅」の魅力を教えてくれた。



宿のテーブルの一角を占領して2時間ほど漫画製作にあたった後、僕はロシア・中国でお世話になったヤムチャさんから頂いた「地球の歩き方(2006)/東南アジア」でサイゴンのおおよその町並みを知り、ある場所に向かった。ガイドブックを読まなければ手に入らない情報もある。

向かった場所は「ベトナム戦争証跡博物館」だ。

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ベトナム戦争のことは浪人時代に選択した世界史で勉強してきたがどんな戦争だったかはすっかり忘れてしまっていた。だけど、大学に入ってからも僕はベトナム戦争に度々触れてきた。

集英社に持ち込みをかけた漫画。「Surf on the Radio!!!」という読み切り作品がある。架空の世界を旅しながらゲリラ的にラジオ放送を行い、出会った人たちとドラマを作っていく話だ。
僕は凄腕のラジオDJがどんなものかを知るために「Good Morning Vietnam」という映画を参考にした。ベトナムに送られたアメリカ兵たちの士気を上げるために凄腕ラジオDJがベトナムではちゃめちゃなラジオ番組を届ける。そこにベトナム人との出会いや友情、戦争相手としての葛藤など様々なドラマがあるヒューマンドラマだ。

そして村上春樹の翻訳書の数々で僕はベトナム戦争を知ってきた。

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戦争博物館からは生々しい戦争の傷跡が感じられた。多くのベトナム人が傷つきそして死んでいった。過去の戦争の数々を知るたびに「あの戦争は必要だったのだろうか?」と思うことがある。戦争が終わった後も沢山の人が傷ついたままだった。戦争で使われた枯れ葉剤の影響はすさまじく、普通の生活すら送ることが難しい障害を負った子供たちが生まれた。

そんな障害を負ったベトナム人が作り上げた木彫りのベッドの装飾を見た時、体が震えた。作り上げた人の魂が装飾には宿っていた。生きることを強く願う生命力のようなものを感じた。

建物の中からスコールの雨音が聞こえる。

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75年のサイゴン陥落から2013年の今現在までまだ38年しかたっていない。この国は社会主義国としてひとつにまとまり今日までの目覚ましい復興を遂げている。

今まで旅してきたにぎやかな観光地やのんびりとした雰囲気の残る田舎。

でも、ここで戦争があったんだよ。
強いよな。ベトナムのみんなって。

癒えない傷もある。だけどベトナムはそこから立ち上がったんだ。

踏みしめて一歩ずつ進んでいこう。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。