家康が幼少と老年を過ごした 静岡・駿府【東海道本線 途中下車の旅#8】
富士山がよく見える富士~清水間
天気のいいときは、最高の景色が楽しめます。
清水からほどなくして静岡駅に到着となります。
東京から来るとなると、この辺りで食事を取ろうとする方もいると思うので、静岡の駅近くの食事事情についても書きました。
静岡駅前にあった銅像
奥は、駿遠三(静岡~愛知東部)の三国を統治した今川義元
手前は、若き日の松平家の嫡男・竹千代、後の徳川家康です。
松平家は三河の国人だったのですが、駿河の今川家に従属していました。
家康は幼少の頃からその人質として、今川義元の元に送られ、駿府(今の静岡市内)で十年余り過ごしていました。
静岡駅から5分ほど北へ行くと、駿府城の跡があります。
ここが、今川義元の本拠地だった城です。
ただ、義元は、1560年の桶狭間の戦いで信長に討ち取られます。
それを機に、家康は独立。家康は、以後、天下人への道を歩んでいきます。
徳川家康が1603年に江戸幕府を開き、秀忠に将軍職を譲ってからは、この駿府城に戻り、ここで大御所として政治を執り、晩年を過ごすことになります。
駿府は、元々が今川家の城下町でした。
しかし、武田信玄の侵攻により、駿府の城下町は一時荒廃に見舞われます。
その後、家康により再整備され、江戸時代初期で、江戸・京・大坂に次ぐ10万もの人口を抱える大都市となっています。駿府は幕末まで徳川家の直轄地として、幕府の奉行が置かれることになります。
駿府は東海道でも最大の都市でした。
城の南側を東海道が通っていて、宿場町としては五十三次のうちの19番目の「府中」として知られています。
駿府城跡の堀の前に、『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さんの像が建っています。
作者の十返舎一九も駿府の出身ですし、弥次さんもまた駿府の出身という設定です。その縁もあってか、この場所に弥次喜多像が建っているのだそうです。
ちなみに喜多さんは江尻(清水)の生まれ。
まさに静岡から生まれた珍道中のお話だった訳です。
静岡までで、今の東海道本線も、だいたい3分の1。
途中下車の旅は、更に西へと進んでいきます。
次は遠州に入ります。
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