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note35: バガン(2011.6.17)

【連載小説 35/100】

バガンの魅力。

広大な平原に点在する、その数2000ともいわれる大小の仏塔群。
仏塔の間に建ち並ぶ荘厳な寺院とそこに眠る仏像や壁画。
王朝の歴史を様々なコレクションとともに今に伝える博物館。
これらを繋いで行き交う観光馬車の心地よい蹄の音。

エーヤワディ川を見渡すオープンレストランと美味なるミャンマー料理。
伝統的な漆工芸の繊細なデザイン。
おおらかなミャンマーの人々の笑顔。

と、列記するだけでも充分に旅情がそそられるだろうが、僕を虜にしたのはサンセットとサンライズだ。

世界各地を旅する中で朝焼けの名所も夕焼けの名所も数々体験してきたが、その両方をこれほどまでに堪能できる地に出会ったことはいまだかつてない。

バガンに着いた日から毎日のように昇る朝陽と沈む夕陽を見てきたが、太陽と地球の間に成立する規則的なリズムによって僕たちの日々があること改めて宇宙レベルで体感することができた。

そんな思いをガイドのミンさんに伝えたところ、今は雨期で運航していないが、次回は是非乾期に来て早朝の熱気球ツアーに参加してみてほしいとのこと。

10月から3月の半年間のみ営業される空中散策は、バガン遺跡の規模と美しさを地上とは違った角度から見ることできる人気観光メニューらしい。

僕自身オーストラリアのケアンズで早朝の熱気球ツアーに出かけ、360度に広がる大空と大地を見渡し感動した経験があるから、バガン気球観光の素晴らしさは容易く推測できる。

空に浮かんで地平線まで続く仏塔の数々を朝陽に照らされながら見る…、そんな体験を次回の楽しみに置いておくことにした。

また、ミンさんからこんな面白い話を聞いた。

バガンには美しい景色を目指して世界中から写真好きのツーリストが集まってくるが、彼らの中で“ある”シーンをカメラにおさめるブームが起こっているというのだ。

そのシーンとは、昇る朝陽の中に気球がすっぽりと包まれる瞬間。
折しも昨日は月蝕だったが、太陽と月と地球が一本のラインにつながる位置関係が生み出す日蝕や月蝕のように、ゆっくりと昇る太陽を追うように中空へ浮かんでくる気球がきれいに太陽の中に入る瞬間がごく稀にあるらしい。

地上から見る気球のサイズはそう大きくないから、太陽をすっぽり覆い隠すことはなく、一瞬リング状の太陽が見える「金環食」のような光景になるそうだが、これもまた一種の“天文ショー”である。

この日蝕や月蝕ならぬ“気球蝕”、そう簡単には出会えないがシャッターチャンスを求めて東の空にカメラを向ける人が増えているそうだ。

確か気球は18世紀後半の発明で20世紀に飛行機が誕生するまでは“空を飛ぶ”人類の夢をかなえる最先端テクノロジーだったわけだが、そこには世界観の違いのようなものを感じる。

飛行機が“鳥”を目指したテクノロジーであれば、気球は小さな“天体”を目指したロマンだったのではないだろうか?
“より遠く”、“より早く”を追求する飛行機に対して、気球に求めたのは地上から離れて浮かぶ“ポジション”である。

バガンの仏塔の間を浮遊する気球に乗った自分を想像してみよう。

清らかな朝の空気の中を上昇するにつれ、地上で見上げていた高い仏塔がおもちゃのように小さくなり、高度があがるにつれその数が増えていく。

背後から射す浅い角度の太陽光線と微妙な温度を感じて、再び地上を見下ろすと、太陽と自分を結ぶ延長線上に丸い気球の影があることに気付く。

仏塔のひとつひとつを渡り歩くように動くその影を見ながら、この王都を築いた“王”に時代を越えて語りかけたくなる。

「あなたの築いた美しい都は、21世紀の今も変わらずに残っていますよ…」


気球が小さな“天体”であるならば、しばし地球を離れて中空を旅するバルーンツアーは“神の視線”の側に立つ希少な体験なのではないか?

“世界一周”の旅の途上で、人智から離れた領域が意外と近い上空にあることを意識したバガン滞在となった。
地上を転々と移動し続ける旅はスケールが大きいものながら、視線を天空に移せば、それがささやかな営みにも見えててくるのだ。

明日バガンを離れてヤンゴンに戻り、週明けの火曜にミャンマーから出国する。
名残惜しい気持ちはあるが、またこの地へ戻ってくる目的もできた。

そうやって循環する旅を重ねる僕もまた、小さな星のごとき“天体”なのだと思いたい。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年6月17日にアップされたものです。

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