見出し画像

note13 : シンガポール(2011.4.22)

【連載小説 13/100】

人類が築いてきた文明の成果を最も分かりやすいかたちで表現してくれるのは摩天楼、すなわち超高層建築物群だろう。

地上200メートル。
シンガポールマリーナベイに登場した「マリーナベイ・サンズ・ホテル」の最上階にある「サンズ・スカイパーク」から眺める夜景は、インドシナ半島の南端、赤道直下に位置する面積700平方kmという極めて小さな国家の中心部を宝石箱のふたを開いて見せるショーのごときだ。

シンガポールへ移動して3日目の夜となるが、僕は毎日ここへ来て遅くまでまばゆい摩天楼の景色に見とれている。

ところが、ボルネオ島のジャングルで過ごした20日間という“自然”からすれば、まさに対局と言える“文明”の中にその身を置いていることになるのだが、そこに大きな環境変化を感じないところが面白い。

実は、ボルネオ島の最後の夜にガラマ川で見た無数のホタルの灯りが僕の中で摩天楼の灯りと微妙にオーバーラップして点滅し続けていて、肉体がジャングルから都会という物理的な移動をしたほど、心の側に環境変化がないのだ。

それが自然界に生み出される光であれ、人工的に生み出された光であれ、無数に集まった様は無条件に美しい。

ボルネオの川のほとりの樹に集っていた数えきれないホタルの光のひとつひとつが独立した生命の灯火であったように、シンガポールの摩天楼に輝く窓の光のひとつひとつには、そこに暮らす人々や世界中から集まった旅人の営みが生命の輝きとして無数に息づいている。

ホタルであれヒトであれ、個々の命という意味においては等価であり、それぞれが持てる能力を駆使して灯す光には大差なく心動かされるのだろう。


「note8」で世界一周の旅を長編小説ととらえ、物語を“構造的”に考える作者視点を提示した。

旅する主人公の“主観”に対して、全体を俯瞰する作者が持つ“客観”があり、そこに物語を貫くコンテキスト(文脈)が存在するといった内容を記したが、自然と文明の双方に生まれる光を共に美しいと思う心情こそがそれだと思う。

PASSPOT社から来た「エコツーリズムの未来を考える」というミッションもまた、ボルネオという“自然”からシンガポールという“都市”へ続く一連のものだったが、“自然”を美しいと思い、その美しさを損なう“文明”の現実も知って、さらにその関係を修正すべき未来のあり方を考えるというのが「エコロジー」だ。

僕がボルネオ島からアップした前回までのレポートは“自然”の側から発する生態学的論調になっていた感があるが、エコロジーやエコツーリズムとは狭義には生物学をドメインとしながら、広義にはその背後に広がる文化的、社会的、経済的要素も巻き込んだ人類文明論だから、“文明”の側からのアプローチも必要だろう。

エコツーリズムの対象となるのは自然環境のみならず、世界中に積み重られてきた人類の歴史と文化であり、その持続可能性を探るものである。シンガポールという超文明都市を舞台に視点を変えて未来を模索してみよう。


ところで、僕は過去、シンガポールへはかなり頻繁に訪れている。
回数でいえば10回前後になるだろうか?ビジネスでこの国の観光に関わる仕事をいくつか手掛けてきたし、プライベートでも思い立ったらぶらりと訪れるお気に入りのデスティネーションである。

東西交流の歴史を持ち優れた観光立国でもあるシンガポールは“人類文明の定点観測地点”として相応しいから、何度も足を運んでしまうのだ。

「SUGO6」の旅は日本を出て40日を越えたが、この国へ来て気持ち的には少し自らの陣地に戻った感がある。

旅行作家を生業とする僕にとって、ビジネスの“本城”は当然日本であるが、シンガポールは “出城”のような場所なのだ。

滞在は29日までとなっている。
この国の奥深い魅力を伝えるレポートを何回かに分けてお届けしよう。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年4月22日にアップされたものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?