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044.青きコンセプト

2002.12.17
【連載小説44/260】


「BLUEISM」

以前、僕の提唱したワードが島の楽園創造における基本コンセプトとして採用された。

「青き海、青き空、青き自然、青き地球…、永遠に変わらないであろう、それらに包まれて、極小の僕らも同じく青きまま生きよう」
というBLUEISMは、島民の内的な精神支柱であるのと同時に、環境と人の関係性を模索するトランスプロジェクト自体の外的グローバルメッセージでもある。
(詳細は第18話)

いかなるプロジェクトも、そこに核たるコンセプトがあってはじめて具体的な施策が生まれる。
トランスアイランドの楽園創造に関しても、そこに生まれるアイデアやテクニックは、全て明確なコンセプトのもとに展開されなければならない。

そして、そのコンセプトが人間側の論理だけでなく、全てを取り巻く自然をも包含して設定されることに大きな意味があるのだ。

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NATURAL
SIMPLE
ORGANIC
ECOLOGY

マーケティングのプロフェッショナルであるエージェント、スタンによると、トランスアイランドのコンセプトは以上のようなワードに集約される。
が、彼曰く、これらは全て20世紀後半に各所で使い古されたキーワードであり、方向性に問題はなくとも人心を掌握するパワーの面で既に見劣りするものだという。

そこで、コミッティ会議で検討されたのが、今までにないワードながらも万民に発信可能でわかりやすいメッセージワード。
抽象的であっても、それを受ける個々が具体的なアクションに対して明確なイメージを喚起しやすい概念を創出しようということで幾つかの候補が出された後、最終的には僕の発案が採用されることになった。

では、僕の考える「BLUEISM」に関して記しておこう。

南海の島という圧倒的な自然の中に暮らして日々得るのが、何かに包まれているという実感。
それは花や果実の様々な色彩、甘い風の香り、強い陽射し、波の音…、とまさに五感による「生」の実感だ。
そして、それらの背後には常にふたつの「青」が存在する。
海と空だ。

海の青。
それは「繋がり」の象徴。

不思議な感覚なのだが、NEビーチの海岸で海水にそっと手を浸すだけで、最近の僕は世界中の国々を結ぶネットワークにログインした気分になる。
日本やアメリカをはじめとする環太平洋の国々はもちろん、その先に繋がる他の海や大小様々な河川を通じて世界中と結ばれている感覚だ。

そして、島の大地をけって海へ飛び込めば、この感覚はさらに研ぎ澄まされることになる。
沖へと泳ぎ出て波間に浮遊すれば、そこで僕は国家や社会から離れた自立的かつ有機的な「個」となり、ネットワークそのものに溶け込むのだ。

空の青。
こちらは「広がり」の象徴だ。

天候により、その表情を時に厳しく、時に寂しく、また時には恐ろしくも変える空ではあるが、そのベースカラーは常に青だ。
そして、人は太古からこの広大な青いキャンバス上に出現する太陽や雲に豊穣を願い、そこからもたらされる恵みの雨によって生かされてきた。

加えて空は、天や宇宙という無限大の広がりの間口として、人々に「可能性」という広がりの概念を提示してきてくれた。
過去から未来へと連なる生命的広がりの背景色が空の青といってもいいだろう。

で、僕の「BLUEISM」提唱の原点。
それは、個々の人の心にも同様の海と空が存在するという思いだ。

人と人を繋ぐ関係性とは、決して無色透明の空気のような実感なきものではなく、青い海のごとき包まれる確かな実感。
そして、人の心には時に黒い影ができたり、霞がかかったりするとしても、その背景色を求めれば、そこには必ずおおらかな空の青。

そんな内的地球観があってもいいと思うのだ。

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かつて、南の島から日本に帰ると、時差ボケならぬ色彩ボケを感じることが幾度かあった。
南国の強い色彩に慣れた目のまま文明側に戻ると、アスファルトやビルの人工グレー色と空気の汚れによって、色彩の全てが褪せて目に映る感覚だ。

この感覚的ズレは、さらにどこか地に足の着かない精神的不安定を併発するから、元に戻るのにかなりの時間を要し厄介なのである。

おそらく、その心に明確な青さを宿していれば、人はどこへ行っても褪せない色彩世界と向き合うことができるだろう。

トランスアイランドに触れることで、心を青く染めることができる…
そんな島を目指したいものだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

港町神戸で育った僕は都会っ子でありながら、空と海に触れる機会が多かったと思います。

通った小学校が山手の高台にあったこともあり、教室の窓からも校庭の南側のフェンス前からもパノラマ的に瀬戸内海から大阪湾を見下ろすことができる高環境。
そこから夢想した「世界」を目指すベクトルが今の仕事の基本軸になりました。

その後、大人になって南国の島々を転々とする生業を得て、日本と行き来する中で実感したのが、ここに記した「色彩ボケ」。
自然の中に息づく原色に触れる機会という点において日本の都会は貧しい環境ですが、本物の「青」に出会う機会が多かった分、僕の人生は豊かであったという自信はあります。
/江藤誠晃




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