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018.島のイズム

2002.6.18
【連載小説18/260】


鶏が先か?卵が先か?

トランスアイランドという島が、この先いかなるイデオロギーやイズムを持って育っていくのかについて考えている。

思想や主義があって、そこにコミュニティが発生するのか?
コミュニティの生成の中で、環境に対応して思想や主義が生まれるのか?

鶏と卵に喩えたのは、そういうことだ…

ある意味でこの島は特異なポジションにある。
「文明から距離をおいた南の島で、人類の豊かな未来を検証する」というコンセプトをもってスタートしたプロジェクトだから、その点では思想や主義が優先。

が、一方で、コミュニティがどう育ち、広がっていくのかに関しては成り行きに任せるというのが、運営の基本姿勢だから、主義や思想は後からついてくるというパターンでもある。

つまり、今現在、島のイデオロギーやイズムは、「あるようでなく」、「ないようである」ということだ。

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故郷の日本はサッカーW杯一色のようだ。
僕個人は、スポーツとしてのサッカーには疎いので、連日の勝敗に一喜一憂することはないのだが、各国が一同に会しての祝祭的イベントとしては、少なからず興味ありだ。

ワールドワイドなスポーツ大会の醍醐味は、そこにアクターとしての様々な国家が登場することにある。
文明社会における国力の勝敗は経済力によるから、表舞台に登場する国家は限られるが、スポーツに舞台を移すと、そこが少し賑やかになっていい。

もちろん、資金と競技人口の豊富さで大国に優位さはあるものの、大国とて、得手不得手はあり、万能ではない。
大国を打ち負かす伏兵的小国の登場や、特定競技に国家の威信をかけた国民的熱狂などは、グローバルな人間ドラマとして、優れたエンターテインメントである。

経済がスタンダードとしての英語やドルを媒介とした大国有利の勝負になりがちなのに対して、スポーツはルールを軸に国境や言語を越えてフェアな勝負が可能。
試合前の勝敗決定がありえないから、万国こぞって、強固な郷土意識をもっての闘いとなる。
故に、盛り上がらないはずがない…

国家という枠組みと、それを構成する人間との関係。
イデオロギーやイズムを語る時、我々はそれを「経済」の目で見てしまうが、それは偏った見方というものだろう。
「スポーツ」や「文化」の視点から、自らがよって立つ国家を観察することも忘れてはならない。

僕は昔から「資本主義」というイズムそのものに、生身の人間から遠く離れたところにあるよそよそしさを感じてきたのだが、そう思う人は他にもいないだろうか?

そこに暮らす人々の心を熱く、強く動かしてはじめての「イズム」であるならば、国旗を片手にスタンドやテレビモニターの前で、我を忘れて熱狂するサポーターを無数に生み出すスポーツの方が、優れてコミュニティを結束させる精神的パワーだ。

ある意味では、生身の身体でぶつかり合うスポーツのようなリアルな闘いの存在があることで、実体のないマネーで繰り広げられる不公平、不透明な人類の勝負世界はかろうじてそのポジションを維持しているのかもしれない。

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「BLUEISM(ブルーイズム)」

僕はトランスアイランドの精神的支柱として、そんなイズムを提唱したいと考えている。

環境から人心の潮流が生まれるのだとしたら、この島に暮らす人々に多大なる影響力を持って存在するのは、圧倒的な自然だ。

いかに最新のテクノロジーを導入し、グローバルネットワークとの連携を準備していたとしても、ここではヒトの叡智が、ありのままの地球の自然に対してほんの小さくしか存在しない。

青き海、青き空、青き自然、青き地球…
永遠に変わらないであろう、それらに包まれて、極小の僕らも同じく青きまま生きよう…

そんなより深きところにある「イズム」は不可能だろうか?

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

2002年5月31日から6月30日にかけて日本と韓国で開催された第17回FIFAワールドカップが既に20年前で、4年に1度のお祭りだから今年もWCイヤーです。
国際観光市場の活性化においてワールドワイドなスポーツイベントの開催は短期的な人の移動を活性化し経済効果を高めるだけでなく、その後の人的交流を生み出すトリガーになります。
当時の熱狂がインバウンド市場活性化に向けたひとつの基点であったと思いますが、この時は再び東京でオリンピックが開催されることも、コロナ禍によって上記の効果が見込めない大会になることも想像していませんでした。

この回で、「資本主義というイズムそのものに、生身の人間から遠く離れたところにあるよそよそしさを感じてきた…」と記しましたが、今もその感覚は変わっていません。

昨今のスポーツイベントビジネスを見ると、残念ながらそこに見えるのは政治色ばかり。
イデオロギーの再見を「青」という色彩ベースで考えた僕の発想は、今も変わらない牧歌的?なアプローチです。

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