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note3 : 香港2011.3.13

【連載小説 3/100】

“現場”のリアリティとは、結局“現場”にいる者のものでしかない。
ここ香港でもインターネットにアクセスすれば地震被災地の映像が次々とアップされるから事態の深刻さや今後の不安は日本にいる人々とかなり近いレベルで共有できるような気がする。

問題は、そこに生まれる無力感なのだ。
誰かがtwitterでつぶやいていた。
「テレビをつければ、どのチャンネルも悲惨な映像が繰り返されるばかり。私たちはどうすればいの?」

そう、天災という極めて強力で容赦なき圧力の前で小さな僕たちにできることは少ない。
素人が“現場”に近づくことはできないから、悲しむ人の肩をそっとたたいて慰めのコトバをかけることも、空腹に耐える人に身辺に有り余っている食料を即座に差し出すこともできない。ヘリコプターからの中継で映されたひとりの老人の表情が頭から離れない。
津波から逃げて屋根に昇り、ひとまずの難を逃れたものの救助を待ち続ける寂しそうな姿。マスメディアを通じてその姿を見た何十万、何百万の人々の心に浮かぶ思いは「早く救助してあげて」「お気の毒に」「がんばって」…でも、それらをどれだけ集めても、お茶の間という安全な“現場”の声でしかないから無力感を伴うのだ。

“現場”とは何か?僕は、テレビに映し出されたあの老人のうつろな眼差しの側から見える光景を想像する。そこにあるのは壊滅的な町並みではなく、見慣れた白い雲が浮かぶ空だ。長く暮らした家屋を、淡々と営んできた商店を、いや場合によっては愛する家族を亡くしたかもしれない老人が途方に暮れて屋根から見上げる空は無情なまでに青く、そこに何台ものヘリが爆音をたてて飛んでいる。
そして、その脳裏に浮かぶ思いとは?ここで僕の想像力はストップし、思考は振り出しに戻る。
結局、“現場”のリアリティとは、結局“現場”にいる者のものでしかないのだ。

一方で“希望の光”も見えてきた。
世界がひとつに繋がった今、グローバル社会の反応は速かった。米国は強力な空母「ロナルド・レーガン」を支援活動に派遣。2008年に四川大地震を体験した中国や、先日不幸な震災があったばかりのニュージーランドからも支援表明。北方領土問題でぎくしゃくしていたロシアからは発電用天然ガス提供の申し出、等々。おそらく世界が争いにあけくれた20世紀なら、こういった動きは不可能だっただろう。21世紀の今、様々な課題をかかえながらも国家レベルの「友の輪」は確実に存在し、こういった機会を通じて強くなっていくのだと信じたい、

もうひとつの“希望の光”はソーシャルネットワーク。
その使命として震災の模様と対応を国民に発信し続けるマスメディアと並行してfacebookやtwitterなどのソーシャルメディアは瞬時にして“個”の思いを繋ぎ、その連鎖を勢いよく拡大させている。外地にいる僕も、友の呼びかけに応じてオンライン募金活動に参加したばかりだが、情報のみならずささやかながらも具体的なアクションを起こせるところに“個”が主役のソーシャルメディアの真価が見える。億単位の人が暮らす“国境なき”ヴァーチャル国家がソーシャルネットワークであるならば、そこに生まれる「善意の輪」は現実の国家間の絆をも補強するパワーを持つはずだ。

さて、僕は「SUGO6」の旅を続けることにした。
僕の“現場”は“旅”であり、なすべきはそこから広くコトバを発し続けることだとの思いを新たにしたからである。
また、奇しくも世界の“繋がり”を意識せざるを得ないこの時に「世界一周」の旅に導かれた“縁”も感じている。

香港湾を目の前に、今キーボードを打つ僕が見上げる空も青い。
が、世界をひとつに繋ぐこの同じ空を悲観とともに見上げる数多くの人がいることを心に刻んで旅を続けることにする。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年3月13日にアップされたものです。

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