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026.過去から未来への航海術

2002.8.13
【連載小説26/260】


ワークショップ報告(2)

人類の親しいペットとなった犬でも、危険時などに咄嗟に見せる表情や遠吠えの中に先祖のオオカミ時代の鋭さを感じることがある。
もはや空を飛ぶことなど忘れたはずのニワトリでも、その翼を必死に羽ばたかせて中空を舞うことがある。
どれだけ進化をとげたとしても、生きる者には全て、かつての「野生」が眠っているものだ。

ジョンの祖先は人類未踏の孤島を次々と開拓し、生活圏をオセアニアに拡大した勇敢なミクロネシアの海の民。
そこから出ることなく、島に長く定着し、世界大の複雑な網の目に取り込まれて、もはやかつての「野生」を見ることも難しい閉塞した現代のマーシャル社会ではあるが、僕らの島へやってきた少年の中には、偉大な航海者の血が脈々と流れている。

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ジョンが操舵してきたカヌーのこととその船旅を詳しく解説する機会がなかった。
詳細までレポートするにはかなりの文量が必要だし、図解の説明も必要だ。
それらは別の機会にゆずるとして、概要をまとめておこう。

ジョンが操ってきたカヌーは、シングル・アウトリガー・カヌー。
大きな三角形の帆のあるメインの船体に対して、大きく真横に突き出た「浮き」が存在する。
伝統的なミクロネシアのカヌーはパンノキで作られるが、ジョンのカヌーは、船体が耐久性のある軽いFRP製で、「浮き」部がパンノキという新旧融合型。
帆の部分も本来はパンダヌスの葉で編むところを、ウィンドサーフィンなどに使用されるハイテク素材のものを採用した。
加えて、カヌーには小型の風力発電キットと燃料電池が積まれ、衛星携帯電話や無線機への電源供給や簡単な調理などにも活躍した。

全てを自然の素材からつくるカヌーのみが伝統的な航海術を担う船なのだが、ジョンはあえて新しい価値観を受け入れる道を選んだ。
彼の言葉を借りるなら「伝統を大切に守りながらも、新たな歴史を築くために必要と思われるものは貪欲に取り込んでいきたい」ということになる。

新旧融合型カヌーの効果はまず、カヌーの丈夫さと軽さから生まれるスピードが単独航海のリスクを大きく軽減してくれるところにある。
実際のところ、風に恵まれれば時速25キロ以上のスピードが出るこのカヌーは、マーシャル・トランスアイランド間を半月で航海し、船体もほぼ無傷だった。

さらに、大海を孤高に進むカヌーの位置を離れた場所で正確に把握可能な通信システムは旅する者とそれを見守る者の心に大きなゆとりを生み出してくれる。
今回の船旅は無事終わったが、遭難や船体トラブルなどの有事に最短時間で現場へ直行するための備えがあるのは文明の大きな成果だ。

さて、ジョンにとって、このような新しいカヌーとシステムによる航海が初めてだったのはいうまでもないが、それは彼をサポートしたカブア氏にとっても同様であった。
島の少年を危険な航海に送り出す責任者として、彼が最大限のフォロー体制をもってことに臨んだことをその後のメールで知ったので追記しておこう。

まず、カブア氏は1600キロに及ぶ航海の三分の一に伴走船を準備し、カヌーのテストとジョンの訓練期間とした。

伴走船の協力者は、マーシャルを遠洋漁業の基地とする日本の船舶会社と地元のダイビング業者で、予定した海域までジョンのカヌーをフォローした後の帰路に行うマジュロ島沿海域の水質調査と珊瑚礁の生態調査をマーシャル議会から有償で依頼することで快く了承を得た。

この訓練段階に5日を費やし、ジョンの操舵技術と体力に問題のないことを確認した上で、
再度通信作業などを直接指導したカブア氏は、残りの航程約1000キロの単独航海にGOサインを出したのである。

ジョンは日に三度の定時連絡を一度も遅れることなくこなし、幸いにも大きく崩れなかった天候にも恵まれて、予定どおりの日程でトランスアイランドへたどり着いた。

当初、島西部にカヌーが漂着した際には、ジョンが気を失っていたこともあり、「謎の漂流者」事件としてちょっとした騒ぎになったが、彼はその日もマーシャルへの定時連絡を済ませており、到着の直前、半月ぶりの陸地を目の前にして、一気に疲労感と安心感から意識を失ったらしい。

ジョンは堂々と上陸して、はじめて会った島民に告げるメッセージまで心の中に準備していたらしく、いまだに航海の締めくくり部に対して大きな不満を持っているようだが、迎えた我々としては、その航海に百点満点を与えることに何の異論もない。

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シングル・アウトリガー・カヌーの大きな特徴は、船に前と後ろがないことにある。
風向きにより瞬時に方向を変えて進むことができるよう、船体部分は前後どちらにでも進める形状になっているのだ。

このカヌーを空から見たら、一種の羅針盤に見えるのではないかと僕は思う。
目指す先が未来、後ろが過去という大きな時間の流れを示す軸だ。

そして航海する者は前を見るだけではなく、進んできた航路を常に確認しながら自らのポジションを確認し続け、場合によっては後戻りすることもよしとする。
未来と過去を行き来するが故に、相対的な歩みは少し遅くなるのだが…

僕らが安心してその身を任せてきた大型の文明船は、ある意味で前に進むことしかできない不器用な乗り物だ。
沈没する可能性は低くても、見誤った針路を簡単に変更できない欠点を持つ。

そう考えると、僕がトランスアイランドへ来たということは、自らの人生の航海を託す船をジョンたちのそれに近いサイズに乗り換えたということなのかもしれない。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

一匹狼的人生を送ってきた僕にとって、20年前も今も、この身を委ねる文明船が不器用で不安定だとの思いは変わりません。
いや、その思いは年々強まっています。

ビジネスにしても人生にしても「進路変更」というのはなかなか勇気がいるものですが「身軽」であることは状況対応力を磨くものだと感じることしばしばです。

余計な積荷は捨てて大海に漕ぎ出し、潮流や風を読みながら水平線の先にあるはずの楽園を目指す…
そんなイメージで「旅の仕事」をしてきた半生を振り返ると、これはある種の「航海術」だったなと思います。
/江藤誠晃




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