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note98: ケアンズ(2012.1.4)

【連載小説 98/100】

現在のシドニー近郊であるボタニー湾に初上陸したジェームズ・クック率いるエンデバー号は海岸線を測量しながらオーストラリア大陸を北上したが、1770年6月11日に船が珊瑚礁の浅瀬に乗り上げてしまい長期の修理期間と航海の遅れを余儀なくされる。

そして、クック一行が座礁した場所こそが、あまりにも有名な世界最大の珊瑚礁地帯にして世界遺産「グレートバリアリーフ」なのである。

航海にとって座礁は致命的な事態である。
クックのように“未知なる”大陸を探検した時代の船旅ではなおさらで、船が使えなくなることは“帰国不可能”に直結し、通信手段もない当時、助けを呼ぶこともできず、野垂れ死にするか上陸した地でサバイバルを続けるしかないのだ。

実際のところ、記録によれば沈没と死を覚悟したクック一行は可能な限りの積み荷を投機して船を軽くし、夜の満潮時を狙って暗礁からの脱出に成功したとある。

その後、座礁地点の北方50kmにあるアボリジニの村に滞在し7週間かけて船の修復を行ったのだが、その場所が現在の「クックタウン」で、そこに流れ込む川が「エンデバー川」と名付けられている。

ジェームズ・クックの軌跡を追うスペシャルツアーしめくくりの場として僕が訪れたのがこのクックタウン。
観光地ケアンズから海沿いの道を北へ約260km、途中からはダートロードとなるため4WD車によるハードなドライブとなるが、“辺境”と呼ばれる土地を目指しただけの価値はある。
※ そういえばケアンズから北へ延びる海沿いの道は「キャプテンクックハイウェイ」と名付けられている。

ノースクイーンズランド最古の町には「ジェームズ・クック博物館」があって、彼の航海に関わる歴史情報はもちろん、彼の一行が調査を重ねた野生動物や植物の数々が丁寧に保護されて展示され、その偉業の詳細を学ぶことができる。

また、クックタウンのもうひとつの見どころがアボリジニのロックアートで、保護区では語り部からスピリチュアルな先住民族の物語を聞くことができるから、オセアニアを旅したクックの冒険と彼が見たアボリジニの世界を追体験できるデスティネーションなのである。

さて、ニュージーランドからオーストラリアへと続けてきた人物紀行もここで終わることになるが、その後のジェームズ・クックの生涯についてまとめておこう。

クックタウンからさらに北上を続けオーストラリア大陸最北端のヨーク岬を通過した一行は北に位置するニューギニアとオーストラリアが陸続きでないことを確認しながら東を目指し、途中オランダ植民地のバタヴィア(現在のインドネシア首都ジャカルタ)に立ち寄って船の修繕を行い、座礁からちょうど1年後の1771年6月に英国に帰還する。

翌1772年、王立協会から新たなミッションを受けたクックは第2回の太平洋航海に出掛け、1回目とは逆の東回りで南半球の高緯度航海を行い、西洋人として初めて南極圏に突入する偉業を達成した後、トンガやイースター島、ニューカレドニアなどに上陸、南米大陸の南方で新たな島を発見するなどの成果を得て3年後に帰国。

さらに1年後の1776年には北極海を抜けて太平洋と大西洋をつなぐ北西航路を探索する第3回の航海に出掛けたが、この航海で1778年にハワイ諸島を発見、残念ながら翌年にアラスカを経て再度訪れたハワイで先住民族との間に起きた争いによって落命することになる。

学んでから旅するか、それとも旅する先で学ぶのか。
順序はどちらでもいいが、彼の生涯を知り、その軌跡を追う旅をすることではっきり解ることがある。

それは18世紀後半に“未知なる”世界を追い求めたジェームズ・クックの3回に及ぶ太平洋航海によって、人類は体系としての“世界”を手に入れたということ。
そして、21世紀の現代を生きる僕たちは彼が繋いだ見えざる海上ルートを旅して“既知なる”世界を一周する旅を享受しているのだ。

僕の長旅もいよいよ終わる。
ジェームズ・クックの冒険には質量とも遠く及ぶものではないが、充実感とともにクックタウンから見る水平線の彼方に“帰還先”の日本が見えてきた。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2012年1月4日にアップされたものです

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