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060.旅を人生の住処に

2003.4.8
【連載小説60/260】


先週は本当に楽しい1週間だった。
開島1周年を祝う様々な宴が各ヴィレッジで続き、たくさんの席に招待された。
加えて、島外からの客人を迎える機会もかなりあり、ある意味で今までで最も多忙な日々を過ごしたような気がする。

特にうれしかったのは、マーシャル諸島からカブア氏とジョンが祝賀に駆けつけてくれたことだ。
彼らとの出会いは、僕がトランスアイランドに暮らすことを越えて、人生にとって特別な意味を持つと信じているからだ。

今、ここに居ることの意義や意味を相対の中に明確にしてくれる誰かがいて、僕ははじめて全体にネットされる。
互いの人生という「旅」が太平洋上で偶然に出会い、それを「再会」の連続の中で紡いでいく豊かさ…

多分、これは旅を愛する者にしかわからない感覚だ。

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トランスアイランド建国1周年。
今この瞬間、この島に居る僕が感じる不思議な充実感は何なのだろう?

放浪と共に旅の日々を過ごしてきて来た僕が、ひとところに根を降ろして季節がひと巡りしたことで得る安心感とでも例えればいいか・・・
それは土地だけではなく、精神の拠り所としての場を得たということだ。

一方で他国が不幸な戦争の中。
僕らは名も無き島にいれど、豊かな自然に包まれ、日々信頼できる友と語らい、未来の夢を共有できる。
そう、ここはまさに「楽園」だ。

たかが1年。
もちろん、そういう見方もあるだろう。

遠い先を行く文明国家は、あまりに多くの過去を背負うがゆえに、その未来が思うにままならないでいる。
それに対して、重ねた時間が短い分、我々には今のところ、より多くの未来が広がっているだけということなのかもしれない。

つまり、歴史に学ぶなら、この島でさえ徐々に未来の光を見失い、「楽園」を郷愁の彼方に置き去りしてしまうかもしれないということだ。

が、僕はこの悲観論に対してこう対抗できる。

トランスアイランドは、「循環」の中に人類の「適正」を求めるから、過去と未来は常に均等にある。
そして、目指すところは、20世紀文明の延長線上にある繁栄ではなく、その成果は成果として大いに活用し、反省すべき課題をひとつずつクリアする中に実現する身の丈の豊かさだ。

つまり、テクノロジーやネットワークがエコロジーと共存することで、「楽園」は過去へも未来へも片寄ることなく、言い換えると、「郷愁」や「夢想」にとどまることなく、目の前にあり続けることが可能なのだ、と。

今、人類にとって最も大切なことは、「リセット」する勇気ではないだろうか?
国家も民族も、重ねた歴史に囚われることで、新たな一歩を踏み出せないことが多い。

この島に暮らす人々にも、他者が知ることなき個々の過去はあり、それらは国家や民族レベルの歴史と何処かで通じていた。
が、彼らは少しの勇気でもってその人生をリセットし、ひとまずは心の「平和」を得ている。
そして、この先も同様のリセットを繰り返すことで過去と未来をバランスよく保ちながら生きていくだろう。

この数ヶ月、トランスアイランドにおける「楽園」の可能性を追ってきたが、改めて思い浮かぶのが
「楽園とは、実存する空間ではなく、そこを目指す人の心の中にこそあるものだ」というフレーズ。
(『楽園創造編』のスタートともいえる第41話にも記した)

人は「楽園」を目指す「旅」に出るのではなく、「旅」そのものを「楽園」とする生き方を目指すべきではないだろうか。

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「旅を人生の住処にする」
としたのは、かの芭蕉だが、改めてそのライフスタイルにシンパシーを感じる。

まず、「旅」の継続を可能とするのはその「身軽さ」だ。
彼はあえて身軽でいることで、他者にない深き「生」を得、後世に多くを残した。
そして、彼は孤独ながら「言葉」を旅の友とした。
それも17文字という極小の覗き穴から大自然とその先に広がる宇宙を見ていた。

もちろん、彼になど遠く及びはしないのだが、僕もまた物語を書くことで「言葉」を生涯の友とし、「身軽」に旅を重ねてきた。
そして今は、この小さな島から僕らを包む全ての世界を観察しようと考えている。
言い換えるなら、ここからだからこそ見える世界があると信じている。

この先、いつまでこの島に暮らすのか?
長くなるかもしれないし、また別の地へ旅立つのかもしれない。
何れにしても、僕は旅を続けるだろう。
そして旅を続ける限り、そこが僕の住処であり、それが人生なのだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

結果的に『儚き島』という摩訶不思議なネット小説は5年間休むことなく続く作品になったのですが、当時は片道切符の旅のような執筆でした。

20年を経て行う再掲載にて、終えるまでには5年かかるわけですが、ひとまず1年の物語を振り返ってみると、このプロジェクトは「旅」をプロデュースする僕にとって「思考」のトレーニングのような日々だったように思います。

この小さな島から僕らを包む全ての世界を観察しようと考えている…

というフレーズに凝縮された僕のスタイルは当時と変わらず今も続いています。
そして「小さな島」とは、旅する自らの足元で移動し続ける「小さな土地」のことなのです。
/江藤誠晃


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