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note76: バンクーバー(2011.10.21)

【連載小説 76/100】

転々と世界を旅する中で、僕は何度も「文明と自然」を対比させて双方の概念を行き来する思考をレポートしてきたが、旅も終盤にかかった今、もうひとつの文化的な対比概念を強く意識している。

「木の文化と石の文化」である。

住居をはじめとする建造物や芸術作品などの人々の営みを支える価値観が変化する“木”に立脚しているか、不変の“石”に立脚しているかの対比ととらえてもらえればいいだろう。

アメリカやカナダは近代的な国家分類でいえば「西洋=石の文化」に属するが、バンクーバーのような大陸北西部の街に滞在して先住民族レベルの長い歴史に触れるとモンゴロイドの築いた「東洋=木の文化」が色濃く残っているのがわかる。

ポイント・グレイ半島の西端に位置するブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)は1877年創立の伝統ある国際的な総合大学で、広大なキャンパス内には人類学博物館や植物園が併設され、ツーリストが訪れることできる。

前回、星野道夫に触れてある場所を訪問するとレポートしたのは、この博物館のことだった。

トーテムポールから生活道具にいたる北米先住民の人類学的コレクションが有名なミュージアムの中で最も目立つ展示は『ワタリガラスと最初の人々』だろう。

前回のレポートで紹介したハイダ族の血をひくアーティストのビル・リードの作品で「その昔、いたずら好きのワタリガラスが何か面白いことはないかと浜辺に埋まったハマグリの上で叫ぶと、おびえながらも貝の中から出てきたのが最初の人類だった…」という先住民の神話をモチーフとした木彫り作品である。

僕はかつて『森と氷河と鯨-ワタリガラスの伝説を求めて』という星野氏の著作に載っていたカラー写真でこの作品を見たのだが、まさか実物を世界一周の旅の途上で見ることになろうとは考えてもいなかった。

旅がもたらす不思議な“縁”というか“運命”というものがある。

1952年生まれの星野道夫は19歳の時に見たアラスカの写真集に惹かれて単身旅に出掛けたのをきっかけにアラスカ通いを続け、写真を撮り文章を書き、ついにはそこに根を下ろして生活し、最後はカムチャッカ半島の事故で44年の生涯を終えた人である。

駆け出しのトラベルライターだった僕は“旅と共にある”氏の人生と著作に大きな影響を受け、彼が逝った1996年にハワイへ活動拠点を移し、アラスカとポリネシアを結ぶ先住民族の絆を追い、その後ハイダ族のカヌーイストが登場するドキュメンタリー作を発表した。

南洋の島々や東南アジアの国々を舞台に活動を重ねて来た僕を知る人は意外に思われるかもしれないが、以前にも記したように僕にとって最初の海外一人旅の地がバンクーバーだったことがモンゴロイドの歴史を追うきっかけとなったのである。

「人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと」

これは星野氏の著作に出てくる有名なフレーズだが、“人生”を“旅”に置き換えても通用する。

「SUGO6」の目の数が合わなければ僕がバンクーバーに来ることはなかったし、自転車で訪れたスタンレーパークでトーテムポールを見なかったらUBCの博物館には来ていなかっただろう。

きっと、偶然と偶然が重なり合って必然となるのが旅であり人生なのだ。

さて、冒頭に記した「木の文化と石の文化」の対比に話を戻そう。

星野道夫という人は徹底して“木の文化”を追いかけた人だった。
色鮮やかなアートとしてミュージアムや公園に建つトーテムポールではなく、誰もいない原野で朽ち果てて行くトーテムポールに輪廻転生を語るその視座がぶれない作家だった。

マイアミでヘミングウェイゆかりの地を訪れた際に、Uncle-Tomから受けた“ニューツーリズム”の在り方を考えるミッションに対して「偉大な人物の生涯を視座に世界や歴史を再見する旅」の可能性を記したが([note73])、星野道夫の生涯を追う旅もまた、極めて魅力的なツーリズムになるだろう。

このままアラスカまで氏の軌跡と“木の文化”を追いたい衝動にかられるが、それはまた改めての機会に温存しておいて、明日ロスアンゼルスへ移動する。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年10月21日にアップされたものです。

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