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note58: ヘルシンキ(2011.9.5)
【連載小説 58/100】
「森と泉の国」へ移動して3日目。
樹々に囲まれる時間の中で、僕は“旅人”としての半生を振り返りながら「もう少しヨーロッパ諸国にも関わっておけばよかったな」と思っている。
気付けば“旅を人生の住処とする”トラベルライター稼業も四半世紀を越えたが、海外に関わるキャリアの多くはポリネシアやミクロネシア、オセアニア圏にある南国の島々と濃密な自然と文化を抱える東南アジア諸国を舞台としたもので、ヨーロッパ大陸へのアプローチは限られたものだった。
そこには仕事を始めた若い頃に抱いた“南方”への憧憬や、プリミティブな“自然”に包まれたいという願望。即ち僕の“非文明”志向が大きく影響していたことがある。
いや、言い換えれば“文明に背を向ける”という一種のニヒリズムのようなものが僕にトラベルライターという個人主義的な職業を選ばせたのだ。
日本や欧米の文明的に完成された社会で得る物質的かつ精神的な刺激を否定するつもりはなかったが、僕にとっては南の島々における自然界の人類に対する圧倒的な大きさや、途上国の持つ混沌としたパワーの方がはるかに魅力的だったから、結果的には“文明”の側から軸足を外して活動してきたことになる。
今でもその選択は間違いなかったと思うし、“息を吸うように”旅に出て、“息を吐くように”文章を創作してきたこの仕事が天職だと満足している。
ただ、ジュネーヴで湖を眺め、ヘルシンキで森に包まれて過ごしながら、世界の捉え方を「文明対自然」という対極的なポジションだけに限定してしまうことで見落とすものが結構あるなと感じているのだ。
伝統ある建造物や街並みとそれを取り巻く森が絶妙に溶け合うヘルシンキで3日も過ごせば、文明と自然の間には“対立”ではなく“融和”や“共生”も無理なく成立するということを五感で味わうことができる。
こういった自然観を持って南方や途上国を訪れていたならば、トラベルライターとして見えた世界やそこから生まれた表現も少し違ったものになっていたのだろう。
が、それは反省心ではなく取り返しのつかないことでもない。
むしろ、この“気付き”は僕がこれから重ねる後半生の“旅”への示唆となるはず。
世界を一周することで、さらにその先に展開する新たな“再見の旅”が見えてきたのだ。
さて、ヘルシンキ入りと同時にPASSPOT社から以下のメールが届いた。
>>>>> message/2011.9.3-20:00<<<<<
真名さま
2回目となる「Dice Free」の権利行使承りました。
少し長めの滞在をご希望ということでニューヨーク訪問を3週間程度でコーディネートさせていただきます。
フライトは9/10のフィンエアーAY005便(14:10ヘルシンキ発→15:50ニューヨーク着)
宿泊につきましては選択肢が豊富にありますので「Hotel Research」機能を使ってお好みのホテルをお探しください。
ステイ中のアクティビティに応じて何カ所か転宿されてはいかがでしょうか?
また、次回の「Dice Roll」デーは9/23の予定です。
それでは、ヨーロッパ大陸最後の訪問地となるヘルシンキの旅をお楽しみください。
>>>>>SUGO6 Support Desk<<<<<
「森と泉の国」、そしてヨーロッパは残り4日間だ。
文明と自然の関係についてもう少し思索を深めた上で、旅を次なる北米大陸のステージに移行させることにしよう。
おそらくそうすることが今回の旅でどうしても立ち寄りたかったニューヨークという“文明都市”への旅を意義深いものとしてくれるはずだからだ。
※この作品はネット小説として2011年9月5日にアップされたものです。
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