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note62: ニューヨーク(2011.9.15)

【連載小説 62/100】

以前に「Uncle Tom(トムおじさん)」と呼ばれる日本人の友人を紹介したことがある。

そう、世界を舞台に活動する某匿名機関のネゴシエイターで、僕にとっては貴重な情報人脈のひとり。
彼の勧めもあって僕は1回目の「Dice Free」システムを利用してミャンマーを訪れた。※[note26]に記した。

そんなUncle Tomから昨日メールが届いた。
折り入って話をしたいことがあるから、ニューヨーク滞在中に会えないか?というのである。

「21世紀について語りたい」ということなのだが、前回のレポートで僕が「改めて“21世紀”の意味を考えている」などと記したことを受けてのものらしい。

そういえば、お互い世界を転々としていることもあって彼とは国際情勢について議論する機会が多かったが、「21世紀の○○は…」というフレーズをよく使う男だった。

同世代ゆえに思考や発想法が近いということもあるのだろうが、僕らの世代が何故かくも“世紀の変わり目”にこだわるのかについて改めて考えてみたので記しておこう。

世紀という単位は基本的に人の一生を越える時間だといっていい。

日本が「世界一」であることは誰もが知る平均寿命は男性が79歳、女性が86歳で総合では82.7歳になっている。
 ※世界平均は67.6歳である。

これは平均値だから100年を越える長寿者も多数存在するが、僕たち日本人の心理の中には「人生は概ね80年前後」という前提条件があるといっていい。

そこで仮に人生を80年と想定して“世紀の変わり目”との関わりを考えてみる。

まず世紀の初頭20年以内に生まれる人。
この層は自らが生まれた次の世紀を知らぬままこの世を去る。

次にその後「世紀半ば」あたりまでの間に生まれる人。
この層は人生の終盤に世紀の移行を体験する。

では世紀末に近い20〜30年以内に生まれる人は?
この層は比較的若い頃に世紀の移行を体験する。

これらの層に対して僕やUncle Tomが属する1960年代前半生まれの者には特別な“世紀観”のようなものがある。
それは80年を人生のスパンとするなら20世紀と21世紀にまたがって双方を均等に生きる希少な世代というところからくる。

登山にたとえるなら「山頂」。
長いマラソンにたとえるなら折り返し地点。

つまり、人生における文字通り“ピーク”のタイミングで新世紀を迎えた感がこの世代にはあるのだ。
若い頃を振り返ってみれば「大人になる」ということは「21世紀を迎える」と同義だったようにさえ思える。

そんな僕らの今のポジションとは?

何かを生み出す立場から守る立場へ。
自ら獲得する者から他者へ伝える者へ。
知識や情報のチャージからディスチャージへ。

人生の前半から後半へと移行することで、世の中に対する人の役割は着実に変化していく。
20世紀に育てられて社会の中核となった僕らには、21世紀に対する責任のようなものがつきまとっている気がする。

そういえばUncle Tomが「21世紀をどう方向付けていくのかは、僕らの人生にどう決着をつけるのかということなんだ」と熱く語っていたことを思い出した。

彼に会うのは次週後半になりそうだが、久しぶりに会う彼からどんな話が出てくるのか楽しみである。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年9月15日にアップされたものです。

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