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note59: ヘルシンキ(2011.9.8)

【連載小説 59/100】

自然豊かな北欧の国フィンランド。
首都ヘルシンキもたくさんの森に囲まれ、滞在時間を重ねるほどに身も心も緑色に染まっていく…

そんな風にこの町の魅力を“自然人”としてリリカルにまとめてしまえば充分なのだが、“文明人”から抜けきれない僕は、一方でかくも豊かな気分になれる理由をロジカルにまとめたくなりデータをリサーチする。

■面積:338,000平方km(日本の約90%)
■国土の森林率(世界1位の72.9%)

ということでフィンランドは緑が多いわけだが、この「森林率」という指標でいえば日本も世界第3位の68.5%で負けていない。
※ちなみに2位は隣国スェーデン

ところが
■人口:538万人(日本の4%強)
■人口密度:15.92人/平方km(日本の約20分の1)

つまり、ひとり当たりの緑の量が桁違いに違うのだ。
なんと2ヘクタール以上の森を所有する人口が70万人以上もいるらしい。

そんなフィンランドだから大いなる大自然を求めて遠くの森へ旅することもできるが、生活の周囲にも森が溢れていて、ヘルシンキのような都会にいても少し歩けば緑豊かな公園や森が点在し「ちょっとお出かけ」の気分で四季折々の自然に触れることができるのだ。

人間の多さを指して“豊か”であると言う人は少ないが、自然の多さは万民が認める“豊かさ”である。

近所のスーパーへ家族で買い物に出かける感覚で公園へ行ってピクニックをしたり、白夜のシーズンに会社帰りに仲間と森で焚き火を囲んだり、といった日本の都会暮らしではかなわぬ夢のような日常が、この国には当たり前のように存在するのだ。


さて、日本を出てまもなく半年。
物語のごとき長旅はアジアからアフリカを経てヨーロッパ編が明日で終わるが、ここまでの日々を振り返って今の思いをフィンランドにたぶらせて表現するなら「“木を見て森を見ず”ではいけないな…」ということになる。

国家が“木々”であるなら国際社会は“森”である。

もちろん木々にはそれぞれの魅力があって、登ったり、もたれたり、ぶらさがったりして個々楽しむことができるように、訪ねる国々の歴史や文化をひとつずつ味わうこと自体は有意義な活動である。

が、一方で無数の木で成り立つ森が生態系という総体バランスで保たれているように、国際社会は各国の複雑な力学バランスの中にも全体が崩れる事なく存続していかなければならないから森を知らずして木を語ることはできない。

残念ながら対立や紛争のニュースは日々絶えることなく世界中から聞こえるが、それらは全て“木”だけの問題ではなく“森”のバランスに関わる課題なのである。

そういった視座に立てば、「世界一周」の旅は文明も自然も含めた地球という生態系をまさに総体や体系として見るまたとない機会だ。

今日、公園を散歩中に知り合った地元の老人は、僕が日本から来た事を知ると「3月の地震と津波は本当に大変だったね」と心から暖かい言葉をかけてくれた。

そう、僕がこの長旅に出かけた翌日の3月11日に日本という“木”は大きな傷を負ったが、そんな極東の“木”を遠い北欧の“木”が共に国際社会という“森”に生きる友として思いやってくれているのだ。

ここフィンランドだけではない。
被災した日本への暖かい励ましの言葉を、僕はこれまでに旅の途上で何度も受け取ってきた。

そんな“繋がり”に意識を向けることで見えてくる“豊かさ”。
それこそが僕の報告すべき“世界”なのだと強く感じている。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年9月8日にアップされたものです。

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