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note36: ヤンゴン(2011.6.20)

【連載小説 36/100】

25日間に及んだミャンマーの旅が今日で終わる。

一昨日、再びヤンゴンに戻った僕はシュエダゴォン・パヤーを訪れ、ヤンゴン→インレー湖→マンダレー→バガン→ヤンゴンと巡った充実の旅を振り返りながらあれこれ考えてみた。

僕をミャンマーへいざなったといえるUncle Tomは「見ると聞くとは大違い」というごく当たり前の立ち位置を提示してくれた。

これを受けてミャンマー最初のレポート(note28)で、情報過多の時代ゆえに僕たちの得る知識が極めて表層的なものになっていることを指摘したが、まさにそこを検証する旅となった。

ヤンゴンに暮らす人々の敬虔なる信仰心。
インレー湖で見た人と自然の共生リズム。
ヤンゴンで知ったビルマと日本の絆。
バガンで味わった地球スケールの時空間。

と、訪れた各地で得た感動をトラベルライターとして言葉に残すのはたやすい。

が、メディアにおどるキャッチフレーズなどは所詮限られたワードで組み立てられる工作物のようなものだから、僕でなくても器用なライターならこの国を訪れることなくヴァーチャルな旅人としてこの程度の表現をするだろう。

重要なのは、その表現に至るリアルな背景の部分。
知的体験は他者からの情報が補完してくれるが“その場に立った”肉体的体験や、“そこで心が動いた”精神的体験は旅人にのみ可能な要素である。

人の営みのヴァーチャル化が加速度的に進む現代、“旅”はリアルな感覚と感触で世界と対峙する“最後の砦”なのかもしれない。

「SUGO6」でミャンマーを訪れたことで、僕は旅に慣れきったがゆえに希薄になっていたトラベルライターとしての原点のような場所に立ち戻れたような気がしている。

旅を通じて世界を最前線で観察し報告し続けるトラベルライターとは人類が知らず知らずに失っていく領土の端に築かれる“砦”を預かる番人なのだ…

目映い黄金の仏塔を見上げながら、そんな結論に達した次第である。

ところで、今日Uncle Tomから届いたメールに以下の文面が記されていた。

「君のミャンマーレポートは予想以上によかった。詳細は再会した時に話すつもりだが僕の狙い通りだった。ありがとう」

何とも意味深なメールであるが、どうやら国際的なネゴシエーター(交渉人)として活躍しているらしい彼は何らかの意図があって僕をミャンマーへ導きたかったようである。

彼が今どこにいて何をしているのかは皆目検討がつかないが、彼は僕の旅をしっかり追っている。
再会がいつになるのか、それがどこになるのかも解らないが、それもまた進む先の楽しみのひとつにして旅を続けていこう


さて、「SUGO6」の旅は100日を越え、その舞台を東南アジアから東アジアへと移す

6大陸を巡る旅はまだ最初のアジアを出ていないが、僕の中では新たなるステージへ旅立つ感がある。
比較的頻繁に訪れていた東南アジアに比べて、南〜中央〜西アジアは旅人として未開の地だからである。

その第一歩となるのがウズベキスタンの首都タシケント。
かの「シルクロード」の中継地の“砦”からは何が見えるだろう?

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年6月20日にアップされたものです。

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